書評

『浦安の世間話―前田治郎助の語り (シリーズ・日本の世間話)』(青弓社)

  • 2017/12/18
浦安の世間話―前田治郎助の語り  / 米屋陽一
浦安の世間話―前田治郎助の語り
  • 著者:米屋陽一
  • 出版社:青弓社
  • 装丁:単行本(230ページ)
  • ISBN-10:4787290649
  • ISBN-13:978-4787290649
内容紹介:
下総国葛飾郡当代島村と呼ばれた江戸前の漁村から東京ディズニーランドを擁する都市へと大きな変貌を遂げた浦安──。そのムラの原風景、人々の暮らしぶりを、漁師として生きた前田治郎助翁の朴直な語りによって再生する貴重な世間話を集成。

海に生きる町

七月に羽田神社の祭を見に行ってから、東京湾岸の漁師町の運命に気が惹かれた。どこまでも低い家並みがつづく迷路のような町に、低く注連縄(しめなわ)が張りめぐらされていた。そこここの路上で人々はたむろして酒を飲み、祭を祝っていた。

羽田が進駐軍による空港建設のため強制移住させられ、漁業権を放棄させられた町ならば、対岸の浦安は、東京の膨張によって埋め立てられ、ベッドタウン化された町である。昭和四十六年、漁業権は完全放棄され、ディズニーランドとウォーターフロントのホテル群が新名所となった。

米屋陽一編『浦安の世間話』(青弓社)は、この激しい変貌をとげたムラの原風景を、明治四十四年生まれの漁師、前田治郎助さんが語ったもの。十二年、数十回にわたる念入りな聞き書きである。

不思議な話が多い。嫁が二度の難産で胎児の頭を崩して引っ張り出したので、婆さまが巣鴨のお地蔵さまに願をかけて護符をのました。三度目は無事生まれたが、護符が赤ん坊にぴらぴらとくっついていたという。

こんな話もある。大正六年、当代島の稲荷神社の太い松が二本、津波で倒れた。ところが十日か十五日すると松はすっと自然におっ立った。「あれ松の木起きちゃったよ。稲荷さまが、神さまが起こしちゃったがんべ」。こんな話も。「隣のシンスケの婆さんが死んだ時、渡しの六文銭入れんの忘れちゃった。したら、夢で取りに来たとよう」。「綿ちょうだい」というおなつ狐、月に化けた狢(むじな)など動物も登場すれば、海坊主や「ねんねろよォ」という化け物も話をいろどる。

どのように、こうした話は一人の爺(じ)さまの体内に溜(た)まったのか。「浜が引けるとこう車座になって、炬燵(こたつ)に入って。お茶飲んで、まあ色んな世間話や馬鹿っぱなししてね。若え衆がみんな寄ってね、焼き芋買ってね」

ふつうの人の生き死にが、こうして共同体の成員にしっかりと記憶される。たとえば海で遭難して死骸が上がらない大根屋(でえこんや・屋号)の五郎さんはイチッコ(巫女)の口を借りていう。

「自分が海の藻くずとしてね、節々が緩んで死んでく辛さってなかった。あの舟が助けるな、この舟が助けるなって思っても、助けずにみんな素通りしていっちゃった」。そして本当の命日を告げ、その日には念仏あげてくれと頼んだそうである。

浦安。すなわち漁場の泰を願って命名されたムラ。海は生計(たつき)を立てる恵みでもあり、命を奪う脅威でもあった。読みながら、シング『海へ乗りゆく人々』や柳田国男『清光館哀史』も思い起こされた。風が立って沖の方が波の花で真白になる。これを「そば畑になる」といって、漁師はあわてて舟の向きを変えた。一方、海上交通によるコミュニケーションは豊かだったのだろう。「今でも赤い鳥居が残ってんでしょ。羽田の穴守さまのね、アメリカがずいぶんね、あれを工事しかかってくんと人身事故が起きんの。あれ、さすがのアメリカあきらめちゃったの」。対岸のうわさも飛び火して根づく。

自在に溢れるものを虚心に聴いている。読みやすく整理してしまいがちだが、そこは禁欲的に、聞き手のフィルターは最少限にとどめられる。

ほんとにそうね。海の怖さってゆうものは、陸から来たけだものか、実際において海で亡くなったホトケの霊が囁くもんか知らねえけどもな、一晩中、人間の声のような、ざわざわ、なんとなくうるせえような感じでな、商売が出来なかったんだぞ

商売とは魚取りのこと。昔は堅気の仕事も渡世といった。世を渡る。いい言葉ではないか。世間、また然り。ゆっくり読むといい。語り言葉がまざまざと耳によみがえる。

【この書評が収録されている書籍】
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。

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浦安の世間話―前田治郎助の語り  / 米屋陽一
浦安の世間話―前田治郎助の語り
  • 著者:米屋陽一
  • 出版社:青弓社
  • 装丁:単行本(230ページ)
  • ISBN-10:4787290649
  • ISBN-13:978-4787290649
内容紹介:
下総国葛飾郡当代島村と呼ばれた江戸前の漁村から東京ディズニーランドを擁する都市へと大きな変貌を遂げた浦安──。そのムラの原風景、人々の暮らしぶりを、漁師として生きた前田治郎助翁の朴直な語りによって再生する貴重な世間話を集成。

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初出メディア

毎日新聞

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