書評
『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(KADOKAWA/角川学芸出版)
日本人の万葉集物語
『百人一首』には、「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天(あま)の香具山」とあるが、『万葉集』では「春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の 衣干したり 天の香具山」となっている。これは、藤原定家(1162ー1241)の「改作」と説明されるところだ。ただし、それは、今日でいえば「改作」にあたるということでしかない。この点を、著者は、定家自身が「自分自身の歴史意識と美意識に基づいて定家が思い描いた〈古代〉像」の反映と見るべきだ、と説く。漢字のみで書かれている『万葉集』は、音に出して読むと読み手によって揺れが生じてしまう。ために、どうしても読む側の思考が訓(よ)みに反映されてしまうのだ。「月西渡」は普通に訓めば「つきにしにわたる」だが、月が西に行くなら「つきかたぶきぬ」でもよいか、というように。漢字を見ながら「うむぅ」と考えるところから、『万葉集』の読解は、はじまるということを、著者は丁寧に解説している。つまり、藤原定家の改作や読解を考える場合には、定家の読解の論理を推定する必要があるのだ。以上は、万葉学の「いろは」の「い」なのだが、そういう基礎を語るときにこそ、学力や見識がわかるから怖いのだ。私と著者とは同業者、しかもほぼ同年齢。ケチの一つでもつけたいところだが――。悔しいことに、分かり易い上に、この上なく正確なのだ。残念……。
著者は、みごとに、平安なら平安時代の人々の論理で、いかに『万葉集』が訓み継がれ、いかに理解されてきたのかということを描き出している。では、近代の『万葉集』はどう読まれたのか。明治なら明治の人びとの論理で『万葉集』は訓み継がれていた。そして、いわれているように『万葉集』は「忠君愛国」の書となってゆく。ここも、ちゃんと説明してある。時代や、時代の訓みの論理を見事に説明しているところに、著者の力量が表れた本である。
ALL REVIEWSをフォローする





























