書評
『文房四宝 墨の話』(KADOKAWA/角川学芸出版)
妖気がひそむという墨の魅力
文房四宝などというものを身近に感じたことはないが、それでも、墨・筆・硯・紙の四つのうち、筆と硯と紙については、その筋にうるさい話があるだろうくらいの予想はつく。狸の毛で作った筆がいいとか、字は忘れたがタンケイの硯とか、越前の和紙とか聞いたことがある。しかし、墨となると何も浮かばない。筆のように大小があるわけでも、硯のように石としての面白さがあるわけでも、紙のように用途に応じてちがうわけでもない。形は小型の墓石。字まで刻んである。摺れば黒い液が出る。それだけ。それだけのものについて一冊の本が成り立つことが興味深くて、読みはじめた。
毎年、冬がくると、わたし好みの墨を作ってもらっている。
オッ。たいていの読者がオッだろう。毎年、誰の上にも冬はくるが、冬がくると墨を作る人がいるなんて、これはいったいどういうことなんだ。
著者は、「墨には妖気がひそんでいる」と説明する。その妖気に取りつかれた中国の詩人・蘇東坡(そとうば)は、明けてもくれても古今の名墨、珍墨ばかり頭に浮かび、仲間の詩人の持つ「承晏墨(しょうあんぼく)」を強奪したがそれでも気持ちはおさまらず、人里はなれた松林の中に小屋を建て、松を焚(た)いて煤(すす)を採り、ついに名墨「海南松煙墨」を得たそうだ。
こうした歴史エピソードから、墨が妖気を持つにちがいないことは分かるのだが、いまひとつ実感が湧かないまま読み進めた。そして九十四ページまできて、一枚の図版と出会って納得した。著者所蔵の「墨人宝玉」を摺って点じた墨痕。まん中がまっ黒で回りに灰色のにじみが出ているだけなのだが、美しい。深い味がある。簡単な印刷でこれだけ引き込まれるのだから、本物ならどれほどか。
本物を目の前に著者の言、「黒い部分をくっきり残して、淡く透明なにじみの部分が、まるで金環食のポジチブのように環をえがいて美しいのである。黒い部分の墨色は、ほんのわずかに青味がさしていた」
青味さす金環食。たかだか墨のにじみのためにここまで言うかだが、図版を眺めていると、そんな気もしてくる。
この墨を作った金子増耀(ますてる)は、変わった経歴の持ち主だったという。靖国神社の大村益次郎の銅像を作るほどの鋳造家であったが、敗戦で何もかも失った後、フトしたことから墨に目ざめ、後半生を松煙墨の製造に注ぐ。墨には油煙墨と松煙墨の二種がある。油煙墨は、今でも奈良の老舗で行われているように、室内で菜種油を燃やして作る。煤の粒子が細かく整っているから、安定した強い黒色が出るが、しかし、深みはない。一方、松煙墨は、蘇東坡がしたように、山に入って小屋掛けし、松脂を燃やして作るから、品質は安定しない代わり、当たると、黒に青味が加わり、厚みと冴えのある発色をする。
ただの黒以上を求めるなら松煙墨しかないのだが、山に入る作業のあまりの大変さからすたれてしまった。その再生に取り組んだ金子増耀は十年以上を費やし、貧窮の中でようやく墨人宝玉を作って、没したのだった。
現在、著者の手中にある墨人宝玉の発色は、完全ではなくて、黒のなかの明るさがやや足りないそうだ。松煙墨は、油煙墨とちがい、年をへて枯れるにつれて色が変わるから、座右にあたためて明るくなる時を待っているという。
“墨憑き”ともいうべき人々が、日本列島にはまだわずかながら生息しているのである。
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