書評
『ロンド』(東京創元社)
ほとんどの推理小説はわたしを退屈させる。というのも夥しい登場人物の行状と性格、立場を記憶し、トリックや伏線を巧みに考慮しながら小説作品を読み進めることが、しだいに苦痛になってくるからである。わたしにとって読書とは、責任を欠いた、つまり換言すればいつ放り出してもいい快楽でなければならず、そのため読書が労働に似てくるかのような推理小説は、どうしても敬遠されがちとなるのだ。わたしがもしこのジャンルに手を伸ばすとすれば、それは真犯人の発見へ向かう労働から完全に解放された読書を作品が許可してくれる場合に限られているといえる。だがそのような作品はきわめて稀である。大方の推理小説は、ひとたび真犯人が判明した時点で役割を終えてしまい、もう二度と手に取られることがないだろう。それは、わたしが理想とする読書のあり方ではない。
捕物帳の醍醐味とは犯人探しにあるのではなく、江戸の季節感と風物詩にあるとは、よくいわれてきたことだった。であるなら推理小説の本当の面白さも同様に、犯人探しやトリックの妙にではなく、むしろ作家が構築する架空庭園めいた世界の独自性にこそ求められねばならない。版画家としてすでに著名な著者の手になるこの書物は、その意味で近年の稀なる収穫のひとつといえるだろう。
物故した巨匠の最晩年の傑作の発見をめぐって、次々と連続殺人が生じる。それもダヴィッドから中世絵巻まで、美術史上の傑作を真似た形で。美術館の若い学芸員はその謎を追うが、謎めいた館に捉えられる。わたしはけっして推理小説のよきマニアではないが、この小説を読み進めていくうちに、これまで自分が読み通してきたいくつかの古典的な傑作の思い出が走馬灯のように駆けめぐってくることを、禁じることができなかった。一例をあげるなら、ここに登場する魅力的な女性探偵は、どう見ても中井英夫の『虚無への供物』から飛び出てきたように思えてくるのである。
生きること? そんなことなど家来に任せておけ。19世紀フランス高踏派の小説家リラダンは、『アクセル』のなかでそう宣言した。『ロンド』という、超絶技巧と危険な夢想の綾なす長編小説においてこそ、この言葉はよりふさわしいもののように思われる。われらが時代にかかる文学的デカダンスが生まれたことを、慶賀しなければいけないと思う。
ところで今気がついたのだが、この作品は結末まで読み進んでも、実は何も解決していないことに思い当たる。正統派からすれば、これほど人を食った話もないだろう。作者はいつかこの続きを書き、みごとに事件を解決する意思があるのだろうか。謎めいた長編小説である。
【この書評が収録されている書籍】
捕物帳の醍醐味とは犯人探しにあるのではなく、江戸の季節感と風物詩にあるとは、よくいわれてきたことだった。であるなら推理小説の本当の面白さも同様に、犯人探しやトリックの妙にではなく、むしろ作家が構築する架空庭園めいた世界の独自性にこそ求められねばならない。版画家としてすでに著名な著者の手になるこの書物は、その意味で近年の稀なる収穫のひとつといえるだろう。
物故した巨匠の最晩年の傑作の発見をめぐって、次々と連続殺人が生じる。それもダヴィッドから中世絵巻まで、美術史上の傑作を真似た形で。美術館の若い学芸員はその謎を追うが、謎めいた館に捉えられる。わたしはけっして推理小説のよきマニアではないが、この小説を読み進めていくうちに、これまで自分が読み通してきたいくつかの古典的な傑作の思い出が走馬灯のように駆けめぐってくることを、禁じることができなかった。一例をあげるなら、ここに登場する魅力的な女性探偵は、どう見ても中井英夫の『虚無への供物』から飛び出てきたように思えてくるのである。
生きること? そんなことなど家来に任せておけ。19世紀フランス高踏派の小説家リラダンは、『アクセル』のなかでそう宣言した。『ロンド』という、超絶技巧と危険な夢想の綾なす長編小説においてこそ、この言葉はよりふさわしいもののように思われる。われらが時代にかかる文学的デカダンスが生まれたことを、慶賀しなければいけないと思う。
ところで今気がついたのだが、この作品は結末まで読み進んでも、実は何も解決していないことに思い当たる。正統派からすれば、これほど人を食った話もないだろう。作者はいつかこの続きを書き、みごとに事件を解決する意思があるのだろうか。謎めいた長編小説である。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 2003年1月19日
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