書評

『植治の庭―小川治兵衛の世界』(淡交社)

  • 2018/08/12
植治の庭―小川治兵衛の世界 / 田畑 みなお
植治の庭―小川治兵衛の世界
  • 著者:田畑 みなお
  • 出版社:淡交社
  • 装丁:大型本(237ページ)
  • ISBN-10:4473011585
  • ISBN-13:978-4473011589
内容紹介:
植治とわたし-序にかえて(武居二郎)/近代造園の総合プロデューサー・小川治兵衛(尼崎博正)/1 作風の確立(無隣庵庭園/山県有朋の別荘「無隣庵」/平安神宮神苑/対龍山荘庭園/対龍山荘… もっと読む
植治とわたし-序にかえて(武居二郎)/近代造園の総合プロデューサー・小川治兵衛(尼崎博正)/1 作風の確立(無隣庵庭園/山県有朋の別荘「無隣庵」/平安神宮神苑/対龍山荘庭園/対龍山荘の建築)/2 円熟の境地(慶沢園/高台寺土井庭園/清水吉次郎の別荘普請/織宝苑・清流亭庭園/円山公園/碧雲荘庭園)/3 「植治」の展開(旧古河庭園/光雲寺庭園/清水家十牛庵庭園/清水家十牛庵の建築/都ホテル庭園/怡園)/4 植治と近代の京都(別荘庭園群の成立/神坂雪佳と中原哲泉)

ここに造園界の国木田独歩がいる

もう十数年前になるが、熱海の旧岩崎家別邸の西洋館を見に行った時、建物の前に広がる庭が、作りは日本式なのにイギリス風の西洋館ととても合っていて感心した。日本の伝統的な庭にありがちなわざとらしい自然ぶりがなく、日本でもイギリスでも自然の光景はこんなだろうと思わせるようなごく素直な日本庭園だから西洋館とも合ったのだろう。

管理人に誰の作かときくと、

"ウエジ"

とのこと。 やはりウエジか。明治中期以後昭和はじめまでに建てられた貴顕(きけん)紳士の邸宅を探訪すると、たとえば京都なら旧山縣有朋別邸(無隣庵)で、東京なら旧古河邸で、しばしばウエジの三文字を聞くことになる。

何の名前だか分かりづらいが、京都の木屋の小川兵衛のことだ。といっても、おそらくたいていの人は初耳にちがいないし、なんで植木屋のおやじのことをわざわざ問題にするのか見当もつかないかもしれない。

僕も初めてウエジの名を聞いた時はそうだった。大工の寅五郎はダイトラで彫物師の辰五郎がホリタツで、およそ職業の一字と名前の一字を合わせて呼ばれているような人物は講談や落語のネタにはなっても文化の俎上に上ったためしはないのである。

しかし、植治のことを少し知り始めてみると、京都のお庭を見歩くのが好きな人や日本庭園の伝統に魅せられている人はもちろん、日本の文化と近代化の問題に関心のある人なら植木屋治兵衛の名と仕事は知っといた方がいいと思うようになった。

現在、われわれは旅館や邸宅だけでなく公共的な場でも日本庭園を見るし、海外にもいくつも作られているから、なんとなく当たり前で改めて考えもしないが、実は、江戸時代までの日本庭園と明治中期以後今日までの日本庭園はちがっている。別物になったとまでは言わないにしても、作庭の立脚点は大きくズレた。そのズレをたった一人で引き起こしたのが植治にほかならない。

植治こそ近代の日本庭園の発明者で、今日われわれが親しんでいる日本庭園はたいてい彼の作庭の流れに属するにもかかわらず、なぜかこれまでその作庭の実際と意味をまとめた本が一冊もなかった。明らかに後世の落ち度にちがいないが、さいわいこのたび京都の研究者と出版社(淡交社)の手で長年の落ち度が克服され、誰でも植治が切り開いた明るい庭の世界をまとめて眺めることが可能になった。没後六十年にしての慶事である。

植治は万延元年に生まれ、明治十年に植木職の小川家に養子に入り、三十代の半ばまで、伝統を誇る京都の植木職人の一人として過ごす。転機が訪れたのは明治三十五年のこと。山縣有朋から京都の別邸の作庭の仕事が舞い込んだのである。つづいて、府知事から「山縣さんへ行っている植木屋を呼べ」の声がかかり平安神宮の神苑(しんえん)もまかされることになる。

以後、京都、大阪、神戸だけでなく岡山、山口、静岡、東京と、明治、大正、昭和を通して走り回り、昭和八年に没するまで百件を超す庭を残した。

山縣の別邸・無隣庵の時からそうだったが、植治は伝統的な日本の庭が気に入らず、なんとか変えようと思った。どこが気に入らなかったかというと、その不自然さがいやだった。

桂離宮や竜安寺の石庭はむろん、江戸期を代表する大名庭園においてはことさら、物神性と物語性が庭には付きもので、たとえばこの石はどこどこの産で、この松は何でといった銘石、銘木趣味があり、石を組むには釈迦三尊になぞらえた三尊石の組み方があり、亀石、鶴石の蓬莱山の考えがあり、あるいは歌枕に寄せた池の作りや築山の作法があり、これでもかと見よがせに落ちる滝や巨大な石灯籠があった。

すべてはいちじるしく作為的で、作為のバックには江戸期に定形化した和漢の宗教や絵画や文学といった文化が隠されていた。

植治はそうしたものから自由になりたいと願った。しかしそこは作庭の苦しさで、素材は同じ石と草木と水しかない。で、彼はどうしたかというと、京都の町を出て山に分け入り、森の様子、草地の光景、川の流れ、岩の露頭をじっと見つめた。そして、町に下り、頭の中にしだいに浮かんでくるイメージを庭に定着させ、迷うとまた山に入った。

定形化した文化を一度離れ、野生の自然に還ることで新しい庭の文化を生み出したのだった。

出来上がった植治の庭を具体的に眺めると、まず石灯籠が姿を隠し、それまで立っていた石が寝姿になり、庭木はかくべつ目立つものはなくなり、芝地が広くとられ、そうした中を流れる川も滝も池も"奥入瀬の渓流"といった風情。

一介の植木屋のオヤジがどうして国木田独歩のような意識と方法を得たのか分からないが、一見、江戸時代からズルズルと今日まで続いていると思われている日本庭園の世界にも、近代的なリアリズムの影は深く落ちているのである。
植治の庭―小川治兵衛の世界 / 田畑 みなお
植治の庭―小川治兵衛の世界
  • 著者:田畑 みなお
  • 出版社:淡交社
  • 装丁:大型本(237ページ)
  • ISBN-10:4473011585
  • ISBN-13:978-4473011589
内容紹介:
植治とわたし-序にかえて(武居二郎)/近代造園の総合プロデューサー・小川治兵衛(尼崎博正)/1 作風の確立(無隣庵庭園/山県有朋の別荘「無隣庵」/平安神宮神苑/対龍山荘庭園/対龍山荘… もっと読む
植治とわたし-序にかえて(武居二郎)/近代造園の総合プロデューサー・小川治兵衛(尼崎博正)/1 作風の確立(無隣庵庭園/山県有朋の別荘「無隣庵」/平安神宮神苑/対龍山荘庭園/対龍山荘の建築)/2 円熟の境地(慶沢園/高台寺土井庭園/清水吉次郎の別荘普請/織宝苑・清流亭庭園/円山公園/碧雲荘庭園)/3 「植治」の展開(旧古河庭園/光雲寺庭園/清水家十牛庵庭園/清水家十牛庵の建築/都ホテル庭園/怡園)/4 植治と近代の京都(別荘庭園群の成立/神坂雪佳と中原哲泉)

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1991年1月4/11日号

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