後書き

『鉄道人とナチス: ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀』(国書刊行会)

  • 2019/03/30
鉄道人とナチス: ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀 / 鴋澤歩
鉄道人とナチス: ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀
  • 著者:鴋澤歩
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(358ページ)
  • 発売日:2018-03-27
  • ISBN-10:4336062560
  • ISBN-13:978-4336062567
内容紹介:
技術官吏の出身ながら異例の栄達をとげ戦間期のドイツ国鉄総裁として名声を得た鉄道人が、戦争とユダヤ人虐殺に加担するまでを描く。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに加担したドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラー。日本ではほとんど知られていないこの鉄道人について、その生い立ちからヒトラーとの関係性まで、ドイツ国鉄の成り立ちを交えて活写した『鉄道人とナチス』。第44回交通図書賞受賞も果たしたこの労作の執筆秘話を、著者鴋澤歩氏自身による後書きで紹介する。

第二次世界大戦の最中、技術官吏からドイツ国鉄総裁へと上り詰めた鉄道人はなぜユダヤ人虐殺に加担したのか?

まだ20代のおわりごろであったように記憶している。とある編集者の方に会うことができた。駆け出しの経済史研究者を大阪に尋ねてくれたのは、同じ出版社のご同僚の紹介によるものだったが、私が19世紀工業化時代のドイツの鉄道を扱っていると知ると、その方は少し考えて、「『ドイツの鉄路はすべてアウシュヴィツに通じていた』という本なら、出してあげます。」という意味のことをおっしゃった。わかりましたありがとうございます書きます―と即答しなかったのは、我ながらいかにも若かった。また、たいした考えがあってのことでもなかったのである。ドイツの鉄道の発展が、ナチス・ドイツに収束するだけだったのでは必ずしもなかろう、という確たる主張をもっていたのではない。その時の感想を言葉にすれば、「そういう本を書くのは、俺の柄ではないなあ。」に、ほぼ尽きる。当時の私はドイツ経済史をもっぱら数字いじりでやれないかと考えており―今もそれはあまり変わらないのだが―、新しいデータも新鮮な視角も手元にないのに、それについて自分に何か書くべきことがあるか疑わしく感じた。いかにも禁欲的な研究者然としているようだが、もちろん自慢したいのではないし、実際に私は昔からそう立派ではない。有体にいって、ナチや戦争やホロコースト(ショアー)について書くのは、おっかないことだと思えたのである。20世紀前半のドイツ史に興味がないはずはないが、それについて文章を書くのは自分ではない、もっと何かの確信のある人たちではないか……。

その後、10年近くかけて本を一冊出すことができた。19世紀ドイツ語圏の鉄道を題材にした経済史・経営史の研究書で、多くの方々のお力添えもあってなかなか幸運な本であったが、これを書き終えたことで自分の中に、考えてみたいことが出てきた。「ドイツ」は鉄道が作ったのではないか、である。19世紀の鉄道業の発達と「ドイツ」国民経済の成立とは本質的な関係があるはずだ。「近代国家」というもののある側面を、ここから改めて浮かびあがらせることができるのではないか。……そのためには、これまで書いてきた論文とは違う、最初に鉄道が敷かれるよりもずっと前の時代からはじまる通史的な叙述が必要だと思えた。そこで、かなり長いものになるはずの文章を、どこに発表するあてもなく書きはじめた。いま手元にある一番古いワード・ファイルで確認してみると、それが2010年代に入ったころであった。ドイツ帝国建設の1871年を通りすぎるところまで、筆はなかなか順調に進んだように記憶する。国民国家的帝国の建設によって「ドイツ国民経済」ができたわけではないから、さらに時代を下って書き進めるつもりであった。しかしそこで、たとえていえば、ふと顔をあげて、自分の原稿の終着点に近いはずの20世紀前半に目を遣った。そこに見えた光景に、それまでいささかも知識がなかったわけではない。にもかかわらず、進捗はぱたりと止まってしまった。前に進めないどころか、それなりに苦労して書き終わった文章も、読み直すと、たいして意味があるように思えなくなった。
私は弱り、がっかりし、大げさにいえば煩悶した末に、とうとう本書のもとになる、当初計画した一篇とはいちおう独立した文章を書きはじめた。これが2015年の夏ごろのことである。腹をくくって、というほど決然たる再出発ではなく、もとの原稿に色気を残しながら、恐る恐るという調子で書きはじめたが、すぐにある種の執着が生じたように思える。

それから2年は、ずっと本書の原稿とともにいた。東京、京都、札幌、那覇、福島、ノルウェー・ベルゲン、台湾・新北市、そしてドイツ・ベルリンといった場所にもUSBメモリーを資料とともに携え、その土地での別の仕事のかたわらに少しずつ書き継いだ。ドルプミュラーは、最も若い世代の技師として、私が最初に書いた本に登場していてもおかしくなかった人物である。その男が年齢を重ね、20世紀前半のすさまじい現実に直面することになった。自分は、かれの姿を追いかけていかねばならないと思った。そのうちに、ナチス・ドイツ史をあつかった先行する多くの優れた業績を支えていたのも、それが日本語の場合にはとくに、既に出来上がった「確信」ではなく、むしろ一種の覚悟ではないかと気づかされた。

そんなわけで、私にはこの本を書くのに2年どころか7年はかかったといいたくなるし、ひょっとすると20年以上を要した気さえしてならない。これはあきらかに錯覚で、そもそも長い時間をかければ良いものでもない。だが、20代末にはまだ実感できなかった自分自身も含めた人の世の悪というべき部分、暗い側面を少しは知ってからでないと、叙述の及ばない部分も多かったはずである。その意味では、『ドイツの鉄路はすべてアウシュヴィツに通じていた』という本を書くのを躊躇し、せっかくのお申し出を断ってしまった若く傲慢な自分を、ゆるしてやってよいようにも思える。私の文章はともかく、たとえば「エレン・シュパイアー」という一人の子どもの名前がおそらくはじめて片仮名にされただけでも、出版の意味があったと信じたい。

[書き手]鴋澤歩(大阪大学大学院経済学研究科教授)
鉄道人とナチス: ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀 / 鴋澤歩
鉄道人とナチス: ドイツ国鉄総裁ユリウス・ドルプミュラーの二十世紀
  • 著者:鴋澤歩
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(358ページ)
  • 発売日:2018-03-27
  • ISBN-10:4336062560
  • ISBN-13:978-4336062567
内容紹介:
技術官吏の出身ながら異例の栄達をとげ戦間期のドイツ国鉄総裁として名声を得た鉄道人が、戦争とユダヤ人虐殺に加担するまでを描く。

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