書評

『共生虫』(講談社)

  • 2019/12/10
共生虫 / 村上 龍
共生虫
  • 著者:村上 龍
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:2003-03-14
  • ISBN-10:4062736969
  • ISBN-13:978-4062736961
内容紹介:
体内に謎の「虫」を宿した、引きこもり青年ウエハラ。彼はネットを通じ、インターバイオと名乗るグループから、その虫が殺戮と種の絶滅を司る「共生虫」であると教えられる。選ばれた存在であることを自覚した彼は、生贄を求めて外の世界に飛び出してゆくのだが…!?衝撃のインターネット文学、ついに文庫化。
否応なく時代とリンクしてしまう表現者がいる。

たとえば村上龍。無差別殺人鬼を主人公にした小説『イン ザ・ミソスープ』を書いた時、わたしたちは神戸で起きた酒鬼薔薇事件に顔色を失っていた。『限りなく透明に近いブルー』でデビュー以来、癒しとしてのSMを描いた『トパーズ』、援助交際をする女子高生を主人公にした『ラブ&ポップ』など、時代が発信する無視できないノイズに敏感に反応してきたこの作家は、テニス、F1、サッカーと、時々の流行りのスポーツに対してもコミットメントの姿勢を露(あら)わにし、そうした上品とは言いかねる貪欲な好奇心のありようを指して、〈野蛮〉という毀誉相半ばする評価が与えられてもいるのだけれど、わたしはこう考えている。

村上龍は新人作家のように書く、と。

デビューして二〇余年にもかかわらず(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)、村上龍は『限りなく――』当時と同じスタンスで小説を書き続けている。それは脈絡のなさだ。本来なら若手作家が反応すべき風俗や事件を取り上げ続けるこの作家の著作を並べてみるといい。そのとりとめのなさはちょっと感動的なほどだ。が、実はそれは表向きの貌(かお)にすぎない。多くの著作に通底しているのは今ここにある危機であり、それを成立させている社会システムに対する異議申し立てなのである。古い革袋に新しい酒をそそいでも仕方がない。新しい危機に対しては、新しい思想が必要なはずだ。出来不出来の差が激しい村上龍の著作群からは、そんなメッセージが伝わってくる。そのわかりやすい真摯さゆえに、彼の小説は多くの読者を獲得し、商品として見事に流通しているのではないか。

最新作『共生虫』のテーマは引きこもり。主人公のウエハラは中学生くらいから不登校を始め、青年となった現在は自宅近くのアパートに引きこもっている。外部はもちろんのこと、家族の誰ともつながりを実感できず、だから「ウエハラ」という名も、本名を拒否して自分で勝手につけた名前だ。彼には小学生の頃、唯一親しみを覚えていた入院中の祖父の病室で、隣のベッドに寝ていた老人の鼻から灰色の細長い虫が這い出てきたのを目撃し、体内に侵入されてしまったという異常な過去がある(と信じている)。

虫の存在が自分の引きこもりの原因なのかと長年いぶかしんできたウエハラは、知性派ニュースキャスターのサカガミヨシコのホームページに、その体験をメールで報告。やがて彼女のシンパから返ってきたメールによって、自分に宿ったのは種の絶滅をプログラミングする「共生虫」という虫で、それを体内に宿す選ばれし者は殺人・殺戮と自殺の権利を神から委(ゆだ)ねられていることを教えられたウエハラは、父と兄を金属バットで殴り、新たな生贄(いけにえ)を求めて外へとさまよい出る――。

新潟で少女を九年間も監禁した男、幼女連続殺人犯・宮崎勤、金属バットで父親を殺害した一柳展也。引きこもりのイコンともいうべき実在の人物を思い起こさせる主人公が生きている歪(いびつ)なリアリティを、作者はそれに即した声(文体)で描き出す。たとえば、カギカッコ体の会話の排除。ウエハラ自身が他者とコミュニケートできないキャラクターだから、いわば創作上の必然性ゆえのモノローグの選択かと思わせながら、村上龍の狙いはもっと緻密なのだ。その意図は物語の終盤で明らかにされる。

ウエハラをインターネット上で操ろうとしていた悪質な連中が、彼が隠れ家としている丘陵地帯に現れるシーンにカギカッコ体の会話が採用されているのだけれど、その後、連中のうちの一人が書いた手記を読むと、実は彼らはお互いまったくコミュニケーションが取れていない間柄であることが判明するのだ。小説内におけるカギカッコ体の会話に対して感じている嘘臭さ、ひいてはインターネット上に蔓延している匿名発言の危険性をも、村上龍はこの“カギカッコ体を使う/使わない”のテクニックで表明している。

また、ウエハラが頭のおかしい女から、戦争中の残酷なニュース映像や水俣病の映像を見せられるシーン。その映像は、おそらく三〇代より下の世代にとってリアリティを失効している。過去と現在がひとつながりであるという実感が持てない歴史からの断絶は、まさに、今ここにある日本人の危機ではないか。過去を持たない者は未来を持たない。未来を持たない者は希望を持てない。村上龍は引きこもりという現象の理由の一端を、インターネットの繁栄によって閉塞化に向かっている社会と、歴史から断絶された日本人の寒い心象風景に求めているのだ。

先に村上龍の作品は出来不出来の差が激しいと、生意気なことを書いたけれど、引きこもりをそれが求める的確な声で、リアルに描き尽くした本書は文句なしに素晴らしい。『トパーズ』以来の傑作なのではないだろうか。これが書けるのは、今、日本では村上龍しかいない。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

共生虫 / 村上 龍
共生虫
  • 著者:村上 龍
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:2003-03-14
  • ISBN-10:4062736969
  • ISBN-13:978-4062736961
内容紹介:
体内に謎の「虫」を宿した、引きこもり青年ウエハラ。彼はネットを通じ、インターバイオと名乗るグループから、その虫が殺戮と種の絶滅を司る「共生虫」であると教えられる。選ばれた存在であることを自覚した彼は、生贄を求めて外の世界に飛び出してゆくのだが…!?衝撃のインターネット文学、ついに文庫化。

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初出メディア

ダカーポ(終刊)

ダカーポ(終刊) 2000年6月7日

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