書評
『半島を出よ〈上〉』(幻冬舎)
全国のプレジデントな皆さん、危機管理できてますか? 足下の面倒事だけでなく、遠い先で起こるかもしれないもっとイヤァなことにまで想像力を飛ばせてますか? 村上龍の上下巻併せて一〇〇〇ページ弱にも及ぶ大長篇小説『半島を出よ』くらい、プレジデントな皆さんが読まなきゃならない本はありません。『頭がいい人、悪い人の話し方』なんて頭の悪い本を読む時間があったら、これ読んどけ、そーゆーことなんであります。
二〇一〇年四月、北朝鮮の九名のコマンドが開幕戦でにぎわう福岡ドームを武力占拠し、その二時間後、輸送機で四八四名の特殊部隊がやってきて市中心部を制圧。北朝鮮の反乱軍を名乗り、福岡市民と共に独立国家を目指すという声明を出す。これに対し、日本政府は福岡を封鎖する対策しか立てられず――。読者の一歩先まで想像力を飛ばす作家、村上龍が描く「北朝鮮の選りすぐりの兵士によって日本のどこかが制圧されたら」というifの世界は、背筋が凍りつくほどリアルです。たとえば、福岡ドームの観客の反応。どう対応していいかわからず、ただじっと坐っているだけの彼らは、わたしやプレジデントな皆さんの似姿に他なりません。
北朝鮮の思惑、沖縄戦以外は本土を戦場にした経験のない日本人のとまどい、何のアクションも起こせない日本政府のジレンマ、住基ネットや国民保護法といった実感も危機感もないままに作られた制度の弱点、非常事態のさなかにあっても毎日の生活を続けていかなくてはならない福岡市民の日常。一〇〇人を越える名前とキャラクターを持った登場人物が、話し、動き、考える様を、クリエイティビティ溢れる筆致で描ききるこの群像劇は、優れたシミュレーション小説であり、スリリングな冒険小説であり、問題児がそれぞれのスキルを活かして鍛え抜かれたコマンドと対峙する青春小説でもありと、さまざまな読み応えを備えているのです。
物語の最後のほうで、とある人物が死ぬ間際に〈これが死か。全然恐くなかった。自分の代わりは他にもいると思〉うシーンがあります。〈自分の代わりはどこかにいて、自分は決して特別な存在ではない。自分が絶対だと思っている人は死に向かい合ったとき恐怖で錯乱するだろう〉。わたしもその意見に深い共感を覚えます。にもかかわらず、この小説を読み終えると、イシハラという変わり者のカリスマ男のもとに集まった陰惨な過去を背負う一九人の壊れかけの少年たちや、北朝鮮のエリート兵士、福岡市民など一〇〇人を越える登場人物一人一人が、かけがえのない代わりなどいない屹立した一個の人間なのだという思いで胸が満たされていくのです。そのくらい全てのキャラクターがくっきりと鮮やかな輪郭をまとっているのです。
この小説の行間からは、「もっと想像力を!」という作者の声が聞こえてきます。自分ではない誰か、自分とは違う立場、自分の知らない世界、まだ見ぬ明日、マイノリティの境遇、想像するだけで気持ちが萎えたりイヤな気分になったりするようなこと。そういったものに思いを飛ばす力こそが、今の日本人にもっとも欠けているのではないか。そんなことを深く考えさせられる小説なのです。全国のプレジデントな皆さん、財政破綻し国際的孤立を深める、この小説の中で描かれた近未来の日本像を前に、あなたならどんな想像力を働かせますか?
【この書評が収録されている書籍】
二〇一〇年四月、北朝鮮の九名のコマンドが開幕戦でにぎわう福岡ドームを武力占拠し、その二時間後、輸送機で四八四名の特殊部隊がやってきて市中心部を制圧。北朝鮮の反乱軍を名乗り、福岡市民と共に独立国家を目指すという声明を出す。これに対し、日本政府は福岡を封鎖する対策しか立てられず――。読者の一歩先まで想像力を飛ばす作家、村上龍が描く「北朝鮮の選りすぐりの兵士によって日本のどこかが制圧されたら」というifの世界は、背筋が凍りつくほどリアルです。たとえば、福岡ドームの観客の反応。どう対応していいかわからず、ただじっと坐っているだけの彼らは、わたしやプレジデントな皆さんの似姿に他なりません。
北朝鮮の思惑、沖縄戦以外は本土を戦場にした経験のない日本人のとまどい、何のアクションも起こせない日本政府のジレンマ、住基ネットや国民保護法といった実感も危機感もないままに作られた制度の弱点、非常事態のさなかにあっても毎日の生活を続けていかなくてはならない福岡市民の日常。一〇〇人を越える名前とキャラクターを持った登場人物が、話し、動き、考える様を、クリエイティビティ溢れる筆致で描ききるこの群像劇は、優れたシミュレーション小説であり、スリリングな冒険小説であり、問題児がそれぞれのスキルを活かして鍛え抜かれたコマンドと対峙する青春小説でもありと、さまざまな読み応えを備えているのです。
物語の最後のほうで、とある人物が死ぬ間際に〈これが死か。全然恐くなかった。自分の代わりは他にもいると思〉うシーンがあります。〈自分の代わりはどこかにいて、自分は決して特別な存在ではない。自分が絶対だと思っている人は死に向かい合ったとき恐怖で錯乱するだろう〉。わたしもその意見に深い共感を覚えます。にもかかわらず、この小説を読み終えると、イシハラという変わり者のカリスマ男のもとに集まった陰惨な過去を背負う一九人の壊れかけの少年たちや、北朝鮮のエリート兵士、福岡市民など一〇〇人を越える登場人物一人一人が、かけがえのない代わりなどいない屹立した一個の人間なのだという思いで胸が満たされていくのです。そのくらい全てのキャラクターがくっきりと鮮やかな輪郭をまとっているのです。
この小説の行間からは、「もっと想像力を!」という作者の声が聞こえてきます。自分ではない誰か、自分とは違う立場、自分の知らない世界、まだ見ぬ明日、マイノリティの境遇、想像するだけで気持ちが萎えたりイヤな気分になったりするようなこと。そういったものに思いを飛ばす力こそが、今の日本人にもっとも欠けているのではないか。そんなことを深く考えさせられる小説なのです。全国のプレジデントな皆さん、財政破綻し国際的孤立を深める、この小説の中で描かれた近未来の日本像を前に、あなたならどんな想像力を働かせますか?
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