書評
『いまどきの老人』(朝日新聞社)
老女たちの跳梁
ふつうなら衰退の一語で片づけられてしまうボケ現象を、発想の転換によって肯定的な力に高めたのが、赤瀬川原平の『老人力』(筑摩書房)である。体力の低下、物忘れの頻発、おなじ話の繰り返し。マイナスのイメージでしか語られない現象に見舞われたとき、それを嘆くかわりに、「老人力」がついてきたと前向きに考えること。若い者が聞いてもいちいち納得できそうな、ほがらかで、やがて悲しき人生訓だ。しかしここにあるのは、負のエネルギーを自分の胸の内だけでとりあえず処理しようという、きわめてつつましく、きわめて日本的な裏返しの気遣いであって、なんとなく愛らしい老人像に収まる物足りなさを拭いきれない。発想主が男性だからなのか、女性たちが枠外に追いやられているし、反骨ではなく反逆を掬いあげた世界も少なすぎる。そんな不満を一挙に解消してくれる時宜にかなった粒よりの小説集が、『いまどきの老人』だ。四百字詰め原稿用紙一枚弱で報告される悔恨の人生、妄想と幻想のあいだをつきぬけるじんわりした恐怖、なにげない会話の力を駆使した静謐な破局と、主題も形式もさまざまな八篇が収められているのだが、枯淡な晩年の心境だの、淡く美しい老いらくの恋だの、労苦の果てに見出されたささやかな幸福だのを描くわが国の老人小説にお馴染みの設定はひとつもない。一篇一篇が未発見の《老人力》とも呼びうる識閾下の暴力に骨の髄まで浸されていて、短篇小説の分野における新たな可能性を示唆してくれるものばかりなのだ。
ことに新鮮なのは、女性たちを近親者の眼で冷徹に観察した、いわば老女物の諸篇。夫の死後、猫を徹底的にいたぶり、次々に家から追い出すようになった祖母を孫の視点から描く、シャーリー・ジャクソンの「おばあちゃんと猫たち」、プール修理業者の怠慢をなじりつづけ、自身の言葉におぼれるばかりか、最後にはプールで本当に溺死してしまう義母を見つめるアリソン・ルーリーの「プール・ピープル」、独自の催眠療法をほどこす医者に騙されて不義の子をもうけた女性が、不眠症に悩む町の有力者をその医師とまったくおなじ手法で眠らせ、一度かぎりの美しい復讐を果たすジョアンナ・スコットの「You Must Relax!」、旧家の老姉妹が代々伝わる門外不出の家宝を若い骨董商にちらつかせて上品なセクハラをほどこす、ジェームズ・パーディの「ミスター・イヴニング」、すでにタイトルで勝負を決めた感のある、エレン・カリーの「ハムナイフであんたたちのお父さんを刺したのは私じゃありませんよ」。
表向きは元気そうな老人たちの背中に、救いがたい心の荒廃が立ち現われ、周囲に物悲しい傷跡が残される。だがそれは、癒しに頼らない、力強い悲しみなのである。
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