書評

『時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会)

  • 2019/05/31
時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史 / 加藤 耕一
時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史
  • 著者:加藤 耕一
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(372ページ)
  • 発売日:2017-04-24
  • ISBN-10:4130611356
  • ISBN-13:978-4130611350
内容紹介:
建築的創作行為としての「リノベーション」の歴史的意義を見直し、近代的建築史観を再考する。
2019年4月、フランス・パリのノートルダム大聖堂で火災が発生したニュースは世界を駆け巡り、歴史的に重要な文化財の修復・復元という大きな課題についての議論が巻き起こった。本書はノートルダム大聖堂など歴史的建築物の再利用の歴史と建築にまつわる人間の価値観の変遷をテーマとしており、まさにこの課題を考える上で必読と言える。本書のエッセンスが詰まった「はじめに」をぜひお読みいただきたい。

建築は「粗大ゴミ」ではない

本書の前提にあるのは、近代という時代はもう幕を閉じようとしているのではないか、われわれは近代と次なる時代のあいだの過渡期に立っているのではないか、という問いかけである。ここでいう近代とは、簡単にいえば「成長時代」としての近代である。

大局的に見れば、「いま」という時代は成長時代から縮小時代への歴史的転換期にあたるといえそうである。むろんグローバルには、アジアの一部やアフリカなど、まさにいま成長のまっただなかにある地域も残っている。しかし、先進国は成長期を終え成熟期に入っているのであり、「成長」「成熟」という比喩が示しているとおり、成熟した「大人」がフィジカルな「成長」を望み続けても、発達するのは胴回りばかりであろう。

縮小時代のわれわれが直面しているのは、人口減少、少子高齢化、縮小する都市、郊外,地方都市の空洞化、空き家問題などである(注1)。これは近代の建築が直面していた問題とは正反対のベクトルを有する問題といえる。成長時代の最中には、人口爆発、都市のスプロールこそが問題であり、二度の大戦を経て世界中で住宅の大量供給が問題となった。モダニズムと呼ばれる20世紀前半の建築は、まさにこれらの問題を解決するために登場し、20世紀後半になると、成長し続ける都市に対していかに建築的に対応するかということが、いっそう大きなテーマとなった。

(注1)これらの問題を扱った以下の書籍に、本書執筆の大きな刺激を受けた。松村秀一『建築―新しい仕事のかたち――箱の産業から場の産業へ』彰国社、2013年、大野秀敏+MPF『ファイバーシティ―縮小の時代の都市像』東京大学出版会、2016年。


20世紀の建築問題、都市問題を解決してきた方法論は、東南アジアやアフリカに持ち込めば、いまでも有効かもしれない。しかし翻って、日本はどうなるのか。20世紀的な方法論の持続は、われわれを幸せにしてくれるだろうか。

同じ「成熟期」にある欧米と日本を比較したとき、日本人の建築観はきわめて異質であるように思われる。日本の住宅はたとえば35年の住宅ローンの支払いが終わったとき、支払った総額分の価値を有していない。築35年の住宅の資産価値は驚くほど低い。その住宅が建つ土地を不動産売買しようと思うと、古い住宅の取り壊し費用がかかるため、更地にしてから売った方が高く売れるという。住宅はほとんど粗大ゴミ扱いである。また、全国の空き家率は2000年頃を境に10%を超え、ますます増え続けている(注2)。それらの空き家はいま、やっかいな粗大ゴミとして、いかに撤去すべきかが検討されている。

(注2)現代日本の中古住宅市場が直面している問題については以下の論考を参照。島原万丈「日本の住宅市場の課題と成長可能性――なぜ今、リノベーションなのか?」『STOCK&RENOVATION 2014』HOME'S総研、2014年。


しかし欧米では、住宅に対する投資額と資産額が一致することも多いようだ。すなわち欧米では古い住宅は粗大ゴミではない。それどころか、投資額に見合った価値ある資産として、中古住宅が不動産市場で売買されるわけである。筆者が留学時代にパリで出会った不動産業者も、「パリのアパルトマンは買った額と同じ値段で売れますよ」と言っていた。残念ながら彼は営業する相手を間違えていたが……。

日本人はいつから「新築好き」になったのか

欧米人と日本人の中古住宅に対する感覚の違いはいったいどこから来るのだろうか。日本人には伝統的、文化的に新築信仰がそなわっていて、それは変えることができないものなのだろうか。たしかに日本には伊勢神宮がある。20年に一度、新築してピカピカの社殿に神様をお迎えする式年遷宮で有名な、日本の伝統を体現する建築である。だが一方で日本には法隆寺もある。傷んだ部材を交換しながら、1300年以上建ちつづける世界最古の木造建築である。また日本には侘び寂びのような古びたものを愛でる文化的伝統もあったはずである。たとえ日本の伝統的な木造建築が、西洋の伝統的な石造建築に比べて寿命が短いように見えたとしても、世界最古の木造建築を擁する日本人としての誇りをもっと持ってもよいのではなかろうか。

こういうと、法隆寺は積年の部材交換の繰り返しで1300年前の木材などほとんど残っていないのではないか、という意地の悪い反論が聞こえてきそうである。しかし石造建築でも、木造建築に比べれば少ないものの、割れたり欠けたりした石材は取り替えて修理されることも多い。木造と石造の差は程度の問題であり、根本的な違いではないのだ。

本書の試みは、このような日本人の建築観、価値観に対する挑戦である。古くなったものを捨て新しいものを求める価値観は、20世紀の日本に特有の異常な価値観だったのではないか。むろん、新しいものに喜びを感じる心は日本人に限ったことではないだろう。しかし、「うちは古家で恥ずかしい」という日本人の感覚と、古い住宅が不動産業界で高値で取引される欧米人の感覚の差から見えてくるものは、日本人の無意識下に潜む、新旧のあいだの価値のヒエラルキーである。すなわち、新しいものが善で、古いものが悪という前提があるのではないか。

それはおそらく、多くの日本人に共通する価値観であろう。そして、欧米では現に古い住宅が高値で取引されていると知ると、きっとこう言うのである。「日本の建物と欧米の建物は違うからね」と。しかし、日本が西洋化する以前の、欧米とは違うつくりかたの時代の建物、すなわち明治以前の木造建築はすでにそのほとんどが文化財級の存在であり、ここで論じられている不動産売買の対象ではない。問題となっているのは日本が近代化し、西洋の建築を学ぶようになったあとの建物なのである。つまり違っているのは建築そのものではなく価値観なのだ。そしてその価値観はおそらく日本の伝統的な価値観ですらない。ここではそれを「20世紀的価値観」と呼んでみることにしたい。目指すべきは、20世紀的価値観からの脱却である。

リノベーション≒建築の再利用

本書の中心的な主題は、既存建物の再利用である。20世紀末以来の経済停滞と呼応するように、わが国でも「リノベーション」という言葉がしばしば聞かれるようになった。一般の人からすると、まだまだ「リノベーション」は業界用語に聞こえるようだが、古い物に手を入れるという意味で、じつは欧米では普通の人が当たり前に使う言葉である。一方日本でも、建築の世界では「リノベーション」はもうすっかり普通名詞である。だが建築の世界でもまだ、仕事としてのリノベーションは新築の仕事とはまったく別の、一段低い位置に見られているように思われる。つまり、リノベーションなんて最近の経済状況に応じて流行してきたニッチな隙間産業くらいの存在でしかない、というわけだ。

しかし果たして本当にそうなのだろうか。本書が提示したいのは、建築の長い歴史から見れば既存建物の再利用もまた、きわめて本質的な建築行為であったということ、そしてスクラップ&ビルドの新築主義がリノベーションより上位に見えてしまう価値観の方こそ、20世紀的建築観によってもたらされたわずか一世紀の流行に過ぎないのではないか、という仮説である。本書が明らかにするように、西洋の建築の歴史を播くと、数々の既存建物の再利用の事例が登場する。しかしそのことはこれまで、ほとんど注目されることはなかった。20世紀的価値観のなかでは、必要のない論点だったからである。むしろこれまでの建築史研究は、歴史上の建築家がいかに新しい建築を創造したのかということに光を当ててきた。だが歴史上の建築家たちは、どうやら新築もリノベーションも、いずれも重要な建築的創造行為として、その能力を振るってきたのである。おそらく欧米の人々は、その歴史をごく当たり前に理解しているのではないだろうか。建築は新築がすべてではない、古い建物を再利用して現代的な建築に生まれ変わらせることが、建築のもうひとつの側面であるということを。

一方、日本が伝統的な「大工」と「建物」の世界から、西洋風の「建築家」と「建築作品」にシフトしてからの歴史はきわめて浅い。だがそのシフトは徹底的なものであり、この一世紀のあいだに日本人は「20世紀的建築観」を強固なものにしてきた。われわれ日本人は西洋における既存建物再利用の歴史をほとんど知らず、翻って日本の伝統的木造建物が部材の再利用を繰り返してきた歴史とも、現代社会は断絶していると感じている。建築といえば新築のことであり、古い建物を使い続けることを恥ずかしいと感じている。最近では世の中に古い建物を魅力的に再生した事例が増えてきているにもかかわらず、それはごく一部の文化的な場で起こっている特殊事例に過ぎず、わが家とは関係のない出来事だと感じている。ふたたび「欧米と日本は違うからね」という感覚の登場だ。こうして既成概念の檻に自らを閉じ込め、そのくせ新築とリフォームのあいだに厳然たるヒエラルキーを打ち立て続けるのは、不幸なことではないだろうか?

筆者の専門は西洋の建築の歴史であり、日本の伝統的な建築の再利用の歴史について論じることはできない。しかしまずは西洋の建築における再利用の歴史を知ることで「20世紀的建築観」から脱却することができれば、次のステップに進めるのではないかという漠とした期待を抱いている。

[書き手]加藤耕一(東京大学教授・建築史)
時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史 / 加藤 耕一
時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史
  • 著者:加藤 耕一
  • 出版社:東京大学出版会
  • 装丁:単行本(372ページ)
  • 発売日:2017-04-24
  • ISBN-10:4130611356
  • ISBN-13:978-4130611350
内容紹介:
建築的創作行為としての「リノベーション」の歴史的意義を見直し、近代的建築史観を再考する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
東京大学出版会の書評/解説/選評
ページトップへ