書評
『時がつくる建築: リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会)
価値を生む創造的再利用
1990年代の半ば頃から、既存の建物に手を入れる「リノベーション」物件が目に見えて増えてきた。経済の停滞や人口減少・都市縮小を反映した現象であろう。ところが建築の世界では、いまだに新築に比べ一段低い仕事と見る傾向があるという。日本では中古流通の市場規模が小さく、新築物件であっても住み始めてすぐに住宅部分は値下がりするため、35年ローンを支払い終わった頃、土地以外の資産価値は極小となる。それでもなお新築が貴いとされてきたのである。
そこでスクラップ・アンド・ビルドとリノベーションの対立が、諸方面で浮上している。新国立競技場の建設ではこの対立をめぐり選考結果が覆されたし、豊洲移転か築地残留かも、安全・安心以前にこれが問われるべきだった。更地に新築することは、再利用に絶対的に優(まさ)るのだろうか。
建築史家の著者はこの問題につき「『使い捨て』こそが近代文明的で、補修して使い続ける再利用の感覚が野蛮で前近代的と感じる価値観には、きわめて素朴な近代信仰が隠れて」いると指摘する。そして西欧建築史を古代まで振り返り、再利用と再開発、修復/保存の三つが歴史的にどのような順序と経緯で現れたのか検討を加える。最先端の専門家だけに古い洋書から図版や写真がふんだんに引用されるが主張は明快で、我々の思い違いを粉砕してくれる。
まず、既存建物を改変しながら再利用・転用するリノベーションは、4~8世紀の古代末期から19世紀まで当たり前のように繰り返されてきた。技術革新による人口増や天候不順での人口減、異民族流入による宗教の交替といった環境変動が生じると、円形闘技場が軍事施設へ、(ローマのパンテオンのように)神殿がキリスト教の聖堂へと転用され、彫刻や大理石ははぎ取られて部材に再利用された。中でも狼藉(ろうぜき)に遭ったのがフランス革命後の教会財産で、国有化されて以降、監獄や兵舎・工場に転用された。
一方、破壊をともなう「再開発的建築観」は、16世紀に起源を持つ。ルネサンスが「古代の発見」を行ったからだが、それだけでは「破壊」までは正当化されない。これが著者の慧眼(けいがん)で、「野蛮」かつ「悪趣味」という中世像が「発明」されてこそゴシック様式建築はペディメント(三角形の破風飾り)や対称性・秩序を特徴とする新築に建て替えられ、曲がりくねった街路やパリの市壁は壊されて、直線的な道路や環状の大通り(ブールヴァール)が建設されたのである。
ところが19世紀にV・ユゴーが『ノートルダム・ド・パリ』を書くと一転して「保護」の建築観が生まれる。文豪は、聖堂への干渉(破壊)こそが野蛮と呼ばれるべきだと訴えたのだ。けれども「保護」もまた無理ある立場だった。というのも建築は連続する時間の中で変化する以上、どの時点を理想として「修復」すれば「保護」したことになるのか不明だからだ。
かくして再利用的建築観が再浮上、現在のリノベーション・ブームに繋(つな)がっていく。きっかけは1978年に世界遺産委員会が創造的に「歴史的記念物を使う」べきか論じたことで、同年には鉄道車両の延伸で時代遅れになっていた旧オルセー駅を過去のいつかには戻さないリノベーションにより美術館として再生されることが決まり、いまや観光客で大賑(おおにぎ)わいとなった。
更地からの新築だけが建築家に自由を与えるのではない。既存建築へ敬意を払いつつも創造的に再利用することが、価値を生むのであろう。
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