後書き

『フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命』(原書房)

  • 2019/06/10
フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命 / ロー ラ・J・スナイダー
フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命
  • 著者:ロー ラ・J・スナイダー
  • 翻訳:黒木 章人
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(440ページ)
  • 発売日:2019-02-13
  • ISBN-10:4562056347
  • ISBN-13:978-4562056347
内容紹介:
至高の画家は、なぜ科学者(レーウェンフック)を描いたのか。『天文学者』『地理学者』のモデルと言われる科学者レーウェンフック。同じ町、同じ年に生まれた二人の天才の生涯と、謎に満ちた関係性を徹底解明。光学機器と視覚理論の発展が、17世紀の絵画と科学にもたらした一大転換とは。
17世紀、望遠鏡と顕微鏡という新たな光学器機と理論、そして肉眼を超える驚異的な観測能力が大きな引き金となって「科学革命」が起こった。その結果、天文学、物理学、生物学、解剖学、化学は大変貌を遂げる。そして〝ものの見方〟が初めて科学の中心理念とされた。
画家たちもまた、凸レンズや拡大鏡、カメラ・オブスクラを用いて自然界を観察し、昆虫や植物の細密画を描き、光と影、そして色彩と色調を捕らえようとした。しかし、そこで大きな問題に行き当たる。「肉眼で見えないものを知覚することはできるのか?」
17世紀デルフトの科学者と画家たちがもたらした「一大転換」とはなにか。訳者あとがきを抜粋して公開する。

「不可視の世界」に挑んだ科学者と画家たち

哲学者で歴史学者のローラ・J・スナイダーが二〇一五年に著した、一七世紀のネーデルラント(オランダ)の小都市デルフトで一週間ちがいで生を享け、それぞれ芸術と科学に不滅の足跡を残した、ふたりの天才についての物語『Eye of the Beholder: Johannes Vermeer, Antoni Van Leeuwenhoek, and the Reinvention of Seeing』の邦訳をお届けした。
主人公のひとりのヨハネス・フェルメールは、ダ・ヴィンチやピカソやゴッホ、ルノワールなどと並ぶ〈絵画史上最高の画家〉とされ、その名前を知らなくても《真珠の耳飾りの少女》なら知っているという人も多いだろう。

四三歳で亡くなり、二〇年ほどの活動期間中に(確認されているもので)三五点程度の作品しか残さなかったフェルメールには謎が多い。両親についても名前についても画家としての修業先にしても結婚の経緯にしても、とにかく謎だらけだ。無論、本書で書かれていることも説のひとつに過ぎない。
凝縮された光と陰と豊かな色彩に満ち満ちた作品と共に、謎深い人物だというところも、フェルメールの魅力が時を経ても色あせることのない理由のひとつなのだろう。

もうひとりの主人公であるアントニ・ファン・レーウェンフックは、知名度こそフェルメールに劣るものの、自作した高性能の顕微鏡でさまざまなものを観察し、九○歳で亡くなる直前まで続けていたというから驚きだ。その過程で、赤血球や微生物、精子などを人類史上初めて発見した。
彼による〈肉眼では見えない世界〉の発見は、地球は宇宙の中心ではなく、太陽を周回する惑星であるとするコペルニクスの〈地動説〉に匹敵する大発見だと言える。

小さな市(まち)の同じ街角に暮らしていた同い年のふたりの男は、果たして友人同士、もしくは知り合いだったのだろうか。その謎はいまだに解明されていない。
ふたりはカメラ・オブスクラと顕微鏡という当時最先端の光学機器をつかっていたので、互いに刺激し合っていたのではないかという説にはそれなりに説得力があり、その点を論じた書籍も多数出版されている。ふたりが幼馴染だったとする、ミステリー仕立ての小説もあるほどだ(櫻部由美子『フェルメールの街』二〇一七年、角川春樹事務所)。

しかし著者のスナイダーは、フェルメールとレーウェンフックが友人同士だったかどうかはさしたる問題ではないと切り捨てる。むしろ重要なのは、ふたりとも一七世紀ヨーロッパで生じた〝ものの見方〟の革命に身を投じていたことにあるとスナイダーは主張する。

さまざまな自然の事象が生じる原因は、過去の文献を鵜呑みにしたり思索を巡らせて推断するのではなく、実際にその眼で確認し、実験した上で解き明かすべしという、フランシス・ベーコンが唱えた〈経験論〉を、デルフトの〝画家〟と〝素人〟自然哲学者は実践していた。このことこそが知的好奇心をかきたてられる、たまらなく魅力的な事実なのだ――哲学と科学の関係を長年研究してきた哲学者であるスナイダーのみが描き得る視点だ。

スナイダーが本書で提示した〝ものの見方〟の革命は、実は現在も別のかたちで進行中だ。
二〇世紀末に登場したインターネットは、きわめて強力な〝知る力〟を人々に与えた。フェルメールの時代の画家たちのように、世界中の人々はインターネットが見せてくれるものに一瞬で夢中になった。誰もが液晶画面を見て、これまで知らなかったことを(知らなくても何も問題がないことも含めて)〝敢えて知ろう〟とした。
が、インターネットが常に真実を、世界の本当の姿を示してくれるとは限らない。同じハエの複眼を顕微鏡で観察しても、光の加減で孔があいているように見えたり金色の針で覆われているように見えたりするように、同じものや出来事がサイト制作者の主観という〝光源〟によってまったくちがうもののように見えてしまう。

これをわかっていないと、普通に考えればあり得ないフェイクニュースを信じてしまったり、挙げ句の果てにはインターネットが示すものこそが正しく、既存のメディアは信じられないと断じてしまう。サイト制作者も既存のメディアの人々も同じ人間で、両者とも嘘をつくこともあるというのに。
一七世紀の自然哲学者と画家たちと同様に、二一世紀を生きる我々も〝見る修行〟をしっかりと積まなければ、インターネットを正しく使うことはできないのだ。

[書き手]黒木章人(翻訳家)
フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命 / ロー ラ・J・スナイダー
フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命
  • 著者:ロー ラ・J・スナイダー
  • 翻訳:黒木 章人
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(440ページ)
  • 発売日:2019-02-13
  • ISBN-10:4562056347
  • ISBN-13:978-4562056347
内容紹介:
至高の画家は、なぜ科学者(レーウェンフック)を描いたのか。『天文学者』『地理学者』のモデルと言われる科学者レーウェンフック。同じ町、同じ年に生まれた二人の天才の生涯と、謎に満ちた関係性を徹底解明。光学機器と視覚理論の発展が、17世紀の絵画と科学にもたらした一大転換とは。

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