書評
『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』(朝日新聞出版)
'80年代歌謡曲は、なぜ今も愛されるのか?売野雅勇の半生からひもとく
作詞家・売野雅勇がデビューしたのは1981年のこと。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」のヒットによって世に出た売野は、その後も郷ひろみ「2億4千万の瞳」、吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」といったヒットを生み出していく。本書は売野雅勇自らが当時を振り返った半生記だ。中森明菜はレコーディング時に「少女A」を歌うのを嫌がり「一度だけ」の約束で吹き込みを行ったという。これが彼女の最初の大ヒット作となるのだから数奇である。ヒットの裏話だけでも十分読みごたえがあるが、一方でこの本は“あの時代”のスケッチでもある。
売野は、大瀧詠一、筒美京平、坂本龍一といった面々との仕事を通した交流を綴り、当時の音楽シーンを俯瞰的に眺めていく。あの時代とは、キラキラとした音楽がたくさん生まれた'80年代を指す。'80年代は糸井重里が作詞した沢田研二の「TOKIO」から始まった。広告と流行歌の敷居が曖昧だった時代。当時の奮闘の様子も記されるが、売野もまたコピーライター出身である。そして、彼はすぐに'80年代を最も体現した職業作詞家となり、都市やリゾートを舞台としたヒットを次々と生み出していく。
作詞と作曲、そして歌い手が別々だったからこそ生まれた総合芸術が歌謡曲である。郷ひろみの「2億4千万の瞳」は、日本の総人口が1億2000万人に到達したことを歌っていた。この曲で売野は「出逢いは億千万の胸騒ぎ」というフレーズを残している。ここに流行歌の本質がある。時代と結びついた祝祭の音楽が流行歌だ。だが一方、売野の曲をあらためて聴くとそんな祝祭がいつまでも続かないことを予言していたかのようでもある。同時に青春の終わりや喪失感も売野作品には描かれていたのだ。
現代でももちろん流行歌は生まれ続けている。だが時代と歌が本当に結びついていた時代は遠い昔に終わっているのではないか。本書を読み、当時の歌を聴くとそんなふうに思えてしまう。