書評

『ものがたり日本音楽史』(岩波書店)

  • 2020/06/16
ものがたり日本音楽史 / 徳丸 吉彦
ものがたり日本音楽史
  • 著者:徳丸 吉彦
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(236ページ)
  • 発売日:2019-12-22
  • ISBN-10:4005009093
  • ISBN-13:978-4005009091
内容紹介:
縄文の楽器から,雅楽・能楽・歌舞伎・文楽,現代邦楽まで――日本音楽と日本史の流れがわかる充実の一冊!

「組織づけた音響」の壮大な俯瞰図

最初に幾つかお断りを述べねばなるまい。「ジュニア」向け、しかも「新書」という本書の体裁がもたらすかもしれない誤解についてである。例えば、本書は、要するに対価さえ払えば簡単にやり取りできる情報が、「判り易い」表現で書かれているだけの書物ではないか。あるいは、邦楽の専門家が、閉ざされた日本の伝統音楽の世界を、趣味的に語っているのではないか。どちらも決定的な誤りである。著者は西洋音楽の歴史にも立ち向かってきた研究者であると同時に、世界中の「音楽」(という概念を最も広く解釈して)を、寛容な目で眺め、収集し、理解しようとしてきた稀有な研究者である。余計なことかもしれないが、著者はピアノもヴァイオリンも三弦もよく演奏し、夫人は現在も第一線で活躍中の名ピアニストである。そうした背景の下で、「音楽」に対する限りない、広い愛情と、真摯な向き合い方が、日本音楽を相手に、壮大な俯瞰図として、一見乾いた筆致で、しかし熱く語られる、良質の書物である。

前置きが長くなった。最初の一ページ、すでにそこで大切なこと、つまり著者の音楽に関する簡にして要を得た定義が登場する。「人間が組織づけた音響」、これである。おそらく最も広く考えられた音楽の概念だが、こう定められてみると、人類の誕生とともに、豊かな文化的資産として音楽があったことが自然に納得させられる。そこで、日本の音楽史も、人類史の中でも稀に安定した先史時代である縄文から始まることになる。

縄文時代の「土鈴(どれい)」や「石笛(いわぶえ)」などを経て、弥生、大和朝廷へと進む「古代」の章は、雅楽に関する正確な紹介をハイライトとして、古代人の持っていた音楽の豊かさを学ぶと同時に、最近の歴史学の成果を取り込んだ、日本古代史の再確認の働きもしてくれる。

以降古代中国・朝鮮半島の音楽、仏教音楽などの伝来と土着化、中世に発達した新しい音楽類、そして文化的に豊潤な近世へと、歴史の流れとともに、当時の音楽の姿が、それを演奏する機会、人々、使われる楽器の詳細な紹介とともに、見事に語られる。無論俚謡(りよう)(民謡)の世界にも言及される。明治以降の洋楽の導入、そのなかでの伝統音楽のとった姿勢、そして現代の洋楽と邦楽のコラボレーションに至る経過にも、充分な筆が及ぶ。

この書の特徴の一つは、大方の現代の日本人が、初等中等教育を通じてだけでも、近代以降のヨーロッパ音楽の基礎知識は学んでいる、という点に関わっている。五線譜の読み方、ピアノの鍵盤に典型的な、オクターヴを十二の半音に分割する形の音階などなどが、常識として理解されている。無論世界に目を向ければ、そうでない記譜法(あったとして)、そうでない音階は、日本の伝統音楽も含めて、多様に存在している。日本音楽の場合でも、独特の記譜法や音階の造り方などは、訓練を受けた目、耳、手を持たない現代の私たちには、なかなか馴染めない。本書では、しかるべき音楽の紹介に、近似的であっても、ほとんど常に五線譜に当てはめた譜面を示すことで、読者の便宜を図る工夫がされているのだ。

例えば、東大寺の修二会(しゅにえ)で歌われる音楽、また平曲(平家物語の語り節)の基礎音、あるいは謡曲における二つの節回し、ツヨ吟とヨワ吟の実際の表現などが、五線譜として記されている。現代の読者が、比較的馴れたそのような表現に基づいて、それだけの素養を身につけておけば、近似的とはいえ、実際に鑑賞する際の格好の手引きとなるだろう。
ものがたり日本音楽史 / 徳丸 吉彦
ものがたり日本音楽史
  • 著者:徳丸 吉彦
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(236ページ)
  • 発売日:2019-12-22
  • ISBN-10:4005009093
  • ISBN-13:978-4005009091
内容紹介:
縄文の楽器から,雅楽・能楽・歌舞伎・文楽,現代邦楽まで――日本音楽と日本史の流れがわかる充実の一冊!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2020年3月1日

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