書評
『恋するJポップ―平成における恋愛のディスクール』(冬弓舎)
笑うに笑えぬトンデモ本
くっそぼーん!読み終えて、思わずそう叫んだ。ガクシャ先生が余技的に書くこの手の本は大抵クソである、というのがぼくの経験則なのだが(むろん例外はある)、それを裏付けるサンプルがまたひとつ増えてしまった。したがって以下は、どこがどうクソなのかという話に終始する。
著者の専門は文化学・英米文学。商業出版物であるなどのしがらみから巷のJポップの批評が迂回してしまっている「音楽評論家の『壁』」を乗り越えること、具体的には、歌詞を独立したテクストとして読み解くことが目的だとされている。
Jポップの言葉を規定している構造をテクスト自体からあぶり出すこと――換言すればそれが本書の狙いであり、Jポップはほとんどが恋愛の歌だからと「恋愛のモード」をターゲットに据えると宣言する。この段階ですでに、(著者によればほとんどないはずの)問題意識をある程度同じくする先行考察に照らすと疑問点がひとつならず浮かぶのだが、それを措いても首を捻ることしきり。
何より、このマニフェスト、ぜんぜん履行されていないのだ。あらかじめあったとしか思えない結論(「自分探し」の自閉性、とか)に都合のいい歌詞を適当に拾って当てはめているだけで。宮台真司のJポップ批評の手つきに近いか。おまけにだんだんと最近の若いモンはなっとらん的な説教が入り出し、最後には、「本当の幸せ」なんてものはない! 平成の若者たちよ、自分の日常をしっかと見つめるのだ!! なんて人生訓に変貌してしまうのである。
テクスト論のはずがなぜ?
ある意味でトンデモ本だが、大学から助成金をもらっての成果と知れば笑うに笑えない。クソ本と呼ぶ所以である。
ALL REVIEWSをフォローする





































