響きの美しさに注目 源探る
ポピュラー音楽には「歌詞を聴く」派と「聴かない」派の対立というのが昔からある。「歌詞を聴く」とはメッセージや意味を能動的に受け取る意識があるというほどのニュアンスだが、よくよく考えると、「聴いている」のではなく「読んでいる」んじゃないかとか足場が怪しくなっていく。本書は、歌詞に特化した分析を披露したポピュラー音楽研究書である。とはいえ、手法と目的はきわめてユニークで、先行する試みもおそらくない。
その方法とは、音響の印象として歌詞を分析すること。著者自身は「音声詞学」と呼んでいる。「歌詞とはまずもって歌われるものであり、聴かれるもの」であるというのが認識の起点である。
「歌詞を聴かない」という人の耳にも、歌詞の音響は入っているし、言葉としても流れ込んでいる。このとき歌詞は、音楽を構成する響きの一部分であると同時に、それ自体が響きや抑揚を持つ言葉であり、それらが相互作用した結果の響きとして「歌詞の体験」はある。
まず歌われるものである歌詞の音響が生み出す効果や機能や意味を解析的に明らかにすること、それが著者の興味の向かう先なのだ。
想像するだに困難な探究である。だが著者は臆することなく歌詞の響きの深遠に分け入っていく。借り出す道具がまたすごい。音声学に認知心理学や神経科学、言語学による音象徴や共感覚、オノマトペ、音響詩の研究などなど。
こうした道具を手に、歌詞を音素のレベルにまで分解し、秘密を暴くべく突き進むのである。
マッドサイエンティストじみている。だが呆れたことに著者は研究者ではない。作曲家なのだ。
あとがきに動機が書かれている。「愛して、愛しておくれ/ぼくは君を愛してるよ」とビートルズは「ラブ・ミー・ドゥ」で歌った。
「このうんざりするほど単純でつまらない詩」がいざ歌われるとうっとりするほど美しく響くのはなぜか。その「印象」の謎を解き明かしたかったのだと。
前作『やさしい現代音楽の作曲法』は、現代音楽の作曲技法をマニュアル化した一冊だった。本作とは「実践」のための分析でもある点が通じている。なるほど本書もまた、表現者の「実践」のひとつなのだなと考えれば合点がいく。