仏像は呪力で敵を滅ぼす兵器でもあったのか
仏像とは仏教の「仏さま」の姿を造形したものである。仏さまは私たち衆生を救ってくれる、慈悲深き超越者である。だから仏像を解説する本は、仏さまの種類や特徴を説きながら、いかにそれが美しくすばらしい存在かを教えてくれる。本書はまったく違う。「呪い」をキーワードとして、仏さまを語る。本書によれば、仏像とは呪力によって対抗者に打撃を与え、はては滅ぼしてしまう装置である。テクノロジーとは無縁であった過去において、それは最新鋭の兵器でもあった。
そうかなるほど、と納得せざるを得ない。ぼくが研究している鎌倉時代中期以降、承久の乱で敗北を喫した朝廷は軍事力を幕府に取り上げられた。それでも、自己の利益の伸長を企てる寺社の暴力集団(僧兵や神人(じにん))は、遠慮会釈なく朝廷に攻撃を仕掛けてくる。このとき朝廷はどう対処したか。仏に祈るのだ。高僧を呼び集め、仏像や仏画を置き、壇を組む。護摩を焚(た)き、経典を読咒(どくじゅ)する。
古代からの仏教の理念といえば「鎮護国家」。だからぼくは、非常時には法を修して、「平和が回復しますように」と祈りを捧(ささ)げるのだと思っていた。甘い! 朝廷は法会を催して仏像の「呪い」パワーを具現化し、向かってくる敵を積極的に討伐しようとしていたのだ!
仏像は仏教だけでなく、日本に存在した天つ神、国つ神とも融合し、敵を打ち倒すパワー、加えて現世利益の能力を獲得していった。たとえばインドの破壊神マハーカーラは出雲の大国主、三輪の大物主、日吉の大己貴(おおなむち)と同体となった結果、福の神「大黒さま」になった。本書はこのような仏の変容を時間軸にそって語り尽くす。まさに「光と闇」。仏像の本当の姿を知りたければ必読である。