書評

『ナニカアル』(新潮社)

  • 2021/12/31
ナニカアル / 桐野 夏生
ナニカアル
  • 著者:桐野 夏生
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(589ページ)
  • 発売日:2012-10-29
  • ISBN-10:4101306370
  • ISBN-13:978-4101306377
内容紹介:
昭和十七年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて、ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった-。戦争に翻弄される女流作家の生を狂おしく描く、桐野夏生の新たな代表作。島清恋愛文学賞、読売文学賞受賞。

女が戦地に赴くとき

私は兵隊が好きだ。/あらゆる姑息を吹きとばし/荒涼たる土に血をさらすとも、/民族を愛する青春に噴きこぼれ、/旗を背負つて黙々と進軍してゆくのだ。(『北岸部隊』

文壇動員計画にもとづく「ペン部隊」の一員として、一九三八年、漢口攻略戦に従軍した林芙美子は、かの地でこんな詩を書きつけている。作家による戦争協力の、これほど見やすい例もない。しかし同時に、砲火にさらされながら行軍し続けた経験は、女性作家の心身に強烈な印象を刻まずにはいなかった。「私は戦争の崇高な美しさにうたれた」と、『北岸部隊』にはある。しかし死と隣り合わせの恐怖も、彼女は如実に味わっている。途中で何かあったら自分を「殺して行って下さい」、「余裕があったら、私を焼いて行って下さい」と同行者に頼んでいる。南京では、飢えた猫が中国人の死体を喰らうさまを目撃して、芙美子は以後、大の猫嫌いになってしまう。眼前で日本兵が戦死を遂げる瞬間もあった。

私が書いた『戦線』や『北岸部隊』は、戦意昂揚のための文章ではなかったと信じている。私が見たのは、軍部にあらかじめ用意された景色では、断じてなかったからである。


桐野夏生は、本書の主人公である芙美子にそう語らせることで、作家の抱え込んだ矛盾の核心に接近していく。かつて自分が戦場で覚えた昂奮は、単に軍部に操られてのものではなかった。しかし「私が見て感じて書いたことが、今の大きな戦争に繋がっているのだとしたら」と自省するとき、芙美子は「暗い思い」に取りつかれずにはいられない。しかも、本格的に作家の利用に乗り出した軍の意向を逃れるすべはもはやない。本書が焦点を当てるのは、一九四二年から翌年にかけて、陸軍報道部嘱託として南方に派遣された芙美子の姿である。近年、川本三郎、そして太田治子が、大戦中の芙美子に関して再認識を迫る評論を発表している。これはそうした流れを受けての小説による達成ともいえるだろう。

漢口一番乗りの頃など「米英と開戦した今と比べれば、暢気なものだった」というせりふが、太平洋戦争突入後の空気の違いを浮き彫りにする。シンガポールからジャワ、ボルネオと、日本軍は占領地域を拡大した。その進展自体に芙美子が恐怖をかきたてられる様を、桐野はみごとに捕えている。「こんなことをして、何も起きずに済むはずがなかった」。『放浪記』で爆発的成功を得て以後、ジャーナリズムの花形として派手に活躍してきた自らの軌跡が、大東亜共栄圏の拡大に邁進する帝国の歩みとぴたり重なり合うことを、芙美子は自覚している。そしていま、彼女の心には、もはや何かが違う、このままではすまないという疑念が広がっている。桐野が描き出すのは、罠にかけられた作家の姿なのである。 

軍の嘱託扱いになるとは、直接、軍の監視下に置かれることでもある。そんな逆説的状況が芙美子を深く脅かす。南京や漢口に従軍したころは自由に日記をつけられたのに、今回は私的な記録を残すこと自体が禁じられている。「万が一、発覚した時は、その場で破棄されることになっていた」。自己を捨て、すべてを軍と戦争の論理に従わせることが作家にも強く求められているのだ。そして桐野夏生描くところの林芙美子とは、「戦意昂揚の第一人者」と揶揄もされながら、実は戦争の論理にあからさまに抵触する「ふしだらな」次元で生きる女なのである。すなわち、エロスの次元だ。

敵艦の攻撃を避けるため、病院船に偽装した船に乗せられて、芙美子ら女流作家たちは南シナ海を渡っていく。その甲板で行きずりの相手と情事に耽る芙美子の姿は、それ自体、戦時下の秩序に挑戦するふてぶてしさを秘めている。「地の涯て」のボルネオまでやってきながら、彼女の心に渦巻くのは離れ離れの恋人・謙太郎を求める想いばかりだ。従軍作家として、決して表に出すわけにはいかないその欲望こそが、本書の熱源である。欲望に引きずられて使命を裏切り、夫を裏切り、そしてだれにも言えない秘密を抱え込む女の姿があぶり出されていく。

その際、小説としてのスリルは二重の視線によって生み出され、かつ支えられている。まず、桐野が描くところの、芙美子の視線である。後年になって発掘された、秘められた回想という形式による物語は、芙美子の視野の範囲で繰り広げられていく。その限界を超える不可知の部分、外の部分が、たえず芙美子を、そして読者をも脅かすのである。「従卒」として付けられた兵隊が、実は自分を見張るための憲兵なのではないかという疑いから始まって、ついには謙太郎にまで、芙美子の猜疑は及んでいく。ともに南方に派遣された作家、窪川(=佐多)稲子は「『軍部に尻尾を摑まれないように』」と芙美子に忠告する。だが、こちらがいくら注意しようとも、ひょっとしたら軍部には何もかも筒抜けであり、彼女たちは単に泳がされているだけなのかもしれないのだ。

そして根底にはもちろん、林芙美子という先達を捉える桐野夏生の視線がある。伝記的事実としては、南方の任務から戻った四三年、芙美子は突如、養子を取り、以後その男児を慈しみ育てたことが知られている。ここで詳述するわけにはいかないが、桐野はそうしたエピソードに、大胆きわまる解釈を加えている。その解釈に、あるいは気を悪くする林芙美子ファンもいるだろうか?

だが、伝記上の事実の裏に「ナニカアル」ことを突きとめようとする桐野の決断は、単にスキャンダラスなストーリーを提供しようなどという思惑によるのではなく、ある真剣な賭けを含んでいることを強調しておきたい。つまり戦時体制下、女の身体こそがたった一人の、知られざるレジスタンスの拠点となり得たのではないかという仮説がそこには賭けられているのだ。実際、文字どおり自らの身のうちに秘密を宿し続ける芙美子の姿は、そのまま一個の抵抗精神と化すに至っている。しかも、彼女は完全に孤立しているわけではない。物語の終わり近く、芙美子は「本当に女は罪深いね」といって母親と笑い合う。母娘は共犯関係にある。そのとき母娘は、桐野夏生がこれまで生み出してきたヒロインたちとよく似た相貌を帯びる。ここに描かれているのは、抵抗し、生き延び、そして生を与える女たちの連鎖なのである。
ナニカアル / 桐野 夏生
ナニカアル
  • 著者:桐野 夏生
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(589ページ)
  • 発売日:2012-10-29
  • ISBN-10:4101306370
  • ISBN-13:978-4101306377
内容紹介:
昭和十七年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて、ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった-。戦争に翻弄される女流作家の生を狂おしく描く、桐野夏生の新たな代表作。島清恋愛文学賞、読売文学賞受賞。

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