書評

『かけら』(新潮社)

  • 2021/10/29
かけら / 青山 七恵
かけら
  • 著者:青山 七恵
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(177ページ)
  • 発売日:2012-06-27
  • ISBN-10:4101388415
  • ISBN-13:978-4101388410
内容紹介:
家族全員で出かけるはずだった日帰りのさくらんぼ狩りツアーに、ふとしたことから父と二人で行くことになった桐子。口数が少なく、「ただのお父さん」と思っていた父の、意外な顔を目にする(表題作)。結婚を前に、元彼女との思い出にとらわれる男を描く「欅の部屋」、新婚家庭に泊まりに来た高校生のいとこに翻弄される女性の生活を俯瞰した「山猫」。川端賞受賞の表題作を含む短編集。

神秘としての他者

これまで、青山七恵氏の作品に目を通したことがなかった。近作三篇を収めた『かけら』を一読して唸り、さっそく『ひとり日和』を取り寄せて読んだ。『やさしいため息』(「松かさ拾い」併録)と『窓の灯』 (「ムラサキさんのパリ」併録)も読み、いよいよ魅了されるとともに、こんな素晴らしい小説が誕生していることを見過ごしていたおのれの迂闊さを思い知ったのである。

観察できたら、と思う。自分だけじゃなく、まんべんなく誰も彼も一度に見渡せたらいいのに。

「窓の灯」のこの一文が、青山氏の小説の基本的な構えを示唆しているのではないか。視線は、青山ワールドを支える大きな要素であり、力である。そのことは、向かいのアパートの窓をじっと見つめずにはいられない娘を主人公とする「窓の灯」以来、変わっていない。そしてまた、「まんべんなく誰も彼も一度に見渡せたら」という願望自体は、しょせんはかないものにすぎないという認識の上に成り立っているのが青山氏の作品である。そのとき小説は、すべてを一望のもとに収めることはできない己が視野の限界を確かめながら、その限界性をかすかにであれ揺るがす出来事が生起する瞬間を夢見て語られることになる。

「かけら」は、視点のそうした相対性に対する意識をさらに深めようとする作品だ。そのことは全体に対する「部分」「断片」を意味するタイトルにすでに明らかだし、語り手である二十歳の女性が写真教室に通っているという設定に、視線のテーマの継続も見て取れよう。だが、これまでと同じく一見、淡々とした口調で、父と娘が出かけた日帰りバス観光旅行を語るこの作品は、青山作品に生じた変化を感じさせるものでもある。「窓の灯」や「ムラサキさんのパリ」、『ひとり日和』も、語り手が一人の人物にじっと目を注ぐ構図を共有していたが、目を注がれる人物とは家族ではなく、まったくの第三者だったり、遠い親戚のおばあさんだったりした。それが弟との共同生活を描く「やさしいため息」で、ぐっと身近な肉親にシフトしてきた感じがあり、この「かけら」では父親が観察の対象となったのである。

些細な変化かもしれないが、しかしそこには、観察の「結果」を出すのがより難しい対象への移行が認められるのではないか。相手が何か特異さを帯びた父であるならば、物語化の余地は大いにある。だが登場するのは、手応えのない日常を完璧に具現する父親なのだ。「結局、彼はただの『お父さん』だという結論に落ち着く」しかないような、そして自分でも「力なく笑」いながら、「『お父さんは実際、いないようなものだ』」と認めるような、雄々しさ、逞しさゼロの、存在感のまるでない人なのである。

視線を向ける気にもならないし、努めて目を向けてみたところで、視線が素通りしてしまうような地味で無害なお父さん像は、読者としてみるとそれ自体決して退屈ではなく、むしろチャーミングなのだが、主人公にとっては物足りないことおびただしい。しかし同時に、もし父が三十歳若く、自分と同じくらいの歳だったとしても、決して自分の好みではなかったろうと想像すると「なんだか父が気の毒に思えて」しまうような、そんな娘の心の揺らぎが、読者の共感を誘う。父の漂わせるつまらなさに容赦ない批判の眼差しを浴びせかけるかに思えて、その一歩手前で自分自身に批判の矛先を向ける。そこに青山作品の語り手たちが共通して示す、他者への何気ないが、しかし根底的な思いやりがある。結末において、父というあまりに身近すぎ、他者性すら失われたかのような相手が、実は彼自身、まったく独立したまなざしの持ち主であることを、娘は一種の啓示のように受けとめる。それも彼女が、自分の視野には収まらない次元への敬意を、確かに備えているからだろう。

そうした敬意に導かれて、青山七恵の作品は日常の中の神秘に到達する。大げさに響くかもしれないが、しかし青山作品の与える感動は、平凡な暮らしのただ中にあって、神秘としての他者と出会えることのスリルや素晴らしさに由来するのだ。結婚間近の「僕」が、元彼女のことをしきりに思い出す「欅の部屋」はその鮮やかな例だ。小麦という可愛らしい名前をもつものの、「浮かれ心とは無縁」で、「がっしりした体格と何かを我慢しているような表情」を特徴とする女。友人たちの目から見れば「小麦は器量も愛想もない、ただ背の高さと肌の黒さが目立つだけの女」なのに、「僕」はたちまち彼女に惹かれて付き合い始める。しかし小麦は決してその寡黙さを失わず、ほとんど内心を明かさないまま、好きな人ができたといって「僕」の前から去る。それによって小麦の魅力の不思議さは、「僕」にとっていわば無傷のまま保たれ、とめどない追憶の対象となる。

「ムラサキさんのパリ」がそうだったように、「欅の部屋」もまた、青山氏が用いるとき、男の一人称がいかに魅力的な感触を帯びるかをよく示している。何か新しい種類の優しさを備えた男が出現したという思いを抱かされるくらいだ。一転して「山猫」では、三人称の語りによって妻と夫、双方の視点が明かされながら、「小麦」のむっつりした抵抗感を引き継ぐような、西表島からやってきた無口な娘の物語が語られる。妻の親戚の若い娘が夫婦のところでしばらく暮らすという、成瀬巳喜男監督の『めし』を思い出させるような設定である。しかし成瀬作品のメロドラマ的展開とはまったく無縁だ。娘に対する妻と夫の見方の違いを面白く対比させながら、口べたな娘の無愛想さを尊重し、その内側に無理やり入り込もうとしない姿勢が貫かれることで、娘の姿は逆に輪郭をくっきりと際立たせる。他者はその神秘を保ってそこに息づいているのだ。

青山氏の短篇の結末はいつも実に見事だが、とりわけ「山猫」の最後はいい。夫婦はやがて、男の子と女の子の両親となる。そこでぼくらはふたたび巻頭の「かけら」に送り返される。両親に息子と娘というのが、「かけら」の一家の構成だった。かすかなつながりで結ばれた作品集のあり方が、読後の味わいをひときわ増している。

語り手が、見つめる相手を描き出す際に用いられる比喩表現――「綿棒のようなシルエットの父」が冒頭の一句――が、随所で鮮やかな効果を上げていることも付言しておこう。川端賞最年少受賞という作者が、これからどのようにその世界を熟成させていくのか、楽しみでならない。
かけら / 青山 七恵
かけら
  • 著者:青山 七恵
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(177ページ)
  • 発売日:2012-06-27
  • ISBN-10:4101388415
  • ISBN-13:978-4101388410
内容紹介:
家族全員で出かけるはずだった日帰りのさくらんぼ狩りツアーに、ふとしたことから父と二人で行くことになった桐子。口数が少なく、「ただのお父さん」と思っていた父の、意外な顔を目にする(表題作)。結婚を前に、元彼女との思い出にとらわれる男を描く「欅の部屋」、新婚家庭に泊まりに来た高校生のいとこに翻弄される女性の生活を俯瞰した「山猫」。川端賞受賞の表題作を含む短編集。

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新潮

新潮 2009年11月号

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