最高の座付き作者がその名に秘めた自負
今でこそ勧進帳は歌舞伎の代表演目になっているが、天保年間に七代目團十郎(だんじゅうろう)が初めて演じた時には、不人気きわまりなかったという。当時の身分社会の中では、歌舞伎は町人のもの、能は武家のもの、というはっきりした区別があり、團十郎の勧進帳は能を強く意識して清廉典雅に仕上がり、江戸町人たちが歌舞伎に求める多彩、変幻、情痴、怪異にといった期待を裏切ってしまった。明治になるまでこの不評は続くが、さてその初演の時、舞台の袖に、なり立ての若い座付き作家が座り、團十郎の演技を見つめていた。これがこの本『黙阿弥』(文藝春秋・現文春文庫)の主人公河竹(かわたけ)黙阿弥(もくあみ)のデビューのシーンで、以後、歌舞伎史上最高の作家がどのようにして成長したかが描かれる。著者は黙阿弥の曽孫に当たるが、その特権をフルに生かして、具体的なことをまるで見てきたように語ってくれるから、この世界に不案内なものにも分かりやすい。
たとえば、舞台をからかった客に刀で斬り付けて出演停止を喰ったり、上演中、後に並ぶ端役があくびをするといきなり飛び蹴りを喰らわせたりで知られる名人小團次(こだんじ)とのコンビの一件。ある時、既成の台本でやることになったが、本読みの時、小團次が不機嫌な顔をしている。で、座元に言われて黙阿弥が家にうかがうと、自分の配役がつまらなすぎてやる気がしないという。あわてた黙阿弥は、台本の書き直しにかかり、小團次のせりふと芝居を大幅に増やすが、ダメ。
やむなく書き直すこと二度、三度、しかし、答えはおなじだった。さすがの黙阿弥もいつになく腹が立ってきた。
『では高島屋さん、いったいどこをどう書けばやっていただけるのか、注文なすって下さい』
小團次は高笑していった。
『冗談いっちゃいけません。お前さんは狂言作者でしょう。役者の私にうまい工夫がつくくらいなら、作者なんかいらないはずじゃありませんかい』
家に帰った黙阿弥は一睡もせずに考え、殺しの場にチョボ(義太夫)を入れる工夫をする。小團次は写実とケレンで売っているが、じつは上方時代に身につけた義太夫の糸に乗る演技が真骨頂のことを知っていた。
翌朝三たび小團次をたずねて読みすすむうち、惣太が梅若を殺す件(くだ)りになる。
〽金の切羽(せっぱ)に無理無体、手を差入れて引き出(いだ)せば、これのう許して下されと、声をばかりに泣き叫べば、子はお主とも白浪の、月影ぬすむ猿轡(さるぐつわ)、かけるはずみに手拭の、喉(のど)へまわるも見えぬ目に、それと知らねばぐっと絞め……
いつのまにか坐り直し、膝に手をおいて聴く小團次の眼に、涙がうかんでいた。
これが大当たりをとって、黙阿弥と小團次は黄金の市村座時代を迎える。
そして、明治。幕末に小團次は奉行所の演技規制に抗して憤死し、残された黙阿弥も旧守派として忘れられはじめる。
代わって威勢のいいのは、歌舞伎から危なさと荒唐無稽と猥雑を消し、ヨーロッパふうに史実を忠実に踏まえて教訓性を高めようという演劇改良運動の守田(もりた)勘弥(かんや)、福地(ふくち)桜痴(おうち)、九代目團十郎。
この運動のピークが明治二十年の井上(いのうえ)馨(かおる)邸での天覧歌舞伎である。天皇が能と相撲を見ることは何の問題もないが、歌舞伎は問題だらけで、維新の後二十年してようよう天覧が許された。そして演題は團十郎の勧進帳。しかし、勧進帳初演の時にデビューした黙阿弥は列席を許されなかった。
それより先、明治十四年、演劇改良運動に走る歌舞伎界を見限って引退していたのである。引退にあたり河竹新七の名を改め、黙阿弥とした。この本ではじめて知ったが、有名な河竹黙阿弥の名は引退後の名前だった。
問題はこの一風変わった名前の意味である。これまでの定説では、引退して沈黙するため黙の字を付けた、ということになっている。しかし誰だって、黙阿弥と聞くと、「元の木阿弥」の方を連想してしまう。実は、沈黙のモクではなく元の木阿弥のモクに掛けた命名だったらしい。
筆者はこの本を書くに当たり、河竹家に伝わりながら父の河竹繁俊が詳伝『河竹黙阿弥』の中でなぜか触れなかった黙阿弥自筆の重要文書『著作大概』をはじめて使っているが、この文書の中に、黙の字の由来がはっきり書かれていたのである。
以来は何事にも口を出さずだまつて居る心にて黙の字を用ひたれど、又出勤する事もあらば元のもくあみとならんとの心なり。
沈黙のモクもあるが、それ以上に、もう一度出番が来て引退は元の木阿弥になるかもしれない、という自負と期待が込められていた。
事実、引退した黙阿弥の許に、やがて行き詰まった守田勘弥と桜痴と團十郎が指導を受けに通うようになるし、さらにうれしいことに若い坪内(つぼうち)逍遙(しょうよう)がさっそうと登場し、演劇改良運動ではなく黙阿弥の方こそ近代に耐える内容を持っている、との論陣を張ってくれた。
名のとおり引退は元の木阿弥となり、黙阿弥の名は今日の歌舞伎に大きく生き続けている。
【改訂版】
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