内容紹介

『「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読』(PHP研究所)

  • 2019/09/26
「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読 / 鹿島 茂
「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:PHP研究所
  • 装丁:単行本(480ページ)
  • 発売日:2019-08-23
  • ISBN-10:4569772005
  • ISBN-13:978-4569772004
内容紹介:
この書をどうすれば完読できるのか!プルースト『失われた時を求めて』の面白さを第1編「スワン家の方へ」だけで味わえる読書案内。
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』こそ世界最高の文学作品だと人から教えられ、よし、自分も挑戦してみようと第一巻目の『スワン家の方へ』を手に取ったものの、冒頭の数ページだけで脆くも挫折してしまった読者が、世界中にどれくらいいるのでしょうか? おそらく、ものすごい数にのぼるはずです。

かくいう私も、高校生のときに、当時、新潮文庫に入っていた『失われた時を求めて』を読もうとして、見事、この轍を踏んだ一人でした。

といっても、十八歳の私は大長編小説はまるでダメというのではありませんでした。その反対です。『戦争と平和』『カラマーゾフの兄弟』『チボー家の人々』『静かなドン』などの大長編小説の名作を読破したことを唯一の誇りとする大長編マニアだったからです。

ところが、「小説は長ければ長いほどいい」と思っていた私ですら、『失われた時を求めて』には躓きました。

というのも、その入口である不眠の夜の悶々たる体験を書いた数ページを読んでいるうちに、まるで催眠術にかけられたように、いつのまにか瞼が下がってきて、ウトウトと眠りはじめてしまったからです。本が手から滑り落ちる衝撃でハッと気づき、かくてはならじと、もう一度読みはじめるのですが、冒頭数ページの催眠作用は強力で、またもや眠りの世界に誘いこまれてしまうのです。

それでも、意地を張って、なんとか第三巻目の『ゲルマントの方へ』まで読み進みましたが、結局、そこで挫折し、ついにその先には進むことができませんでした。

『失われた時を求めて』を完読したのは、フランス文学科の大学院に入ってからのことです。修士論文に取り上げようと思って読みはじめたのですが、論文はフロベールで書くことになったので、いったん読むのを中断し、めでたく完読を果たしたのは、博士課程に進んでからのことでした。

もちろん、このときにはフランス語で読んだのですが、フランス語で読んで初めてわかったことがあります。プルーストの文は錯綜してはいるものの、じつに論理的にできているということです。それは、綿密な設計図に基づいたエッフェル塔のような巨大建築物以外のなにものでもありません。最初の印象とは異なって、無駄なところは一つもありませんでした。文章ばかりか、単語の一つひとつ、たとえば形容詞や副詞にもしっかりとした計算が働いていて、なるほど、なるほどと感嘆することしきりでした。

あえて変な譬えかもしれませんが、『失われた時を求めて』は、言葉というツマヨウジでつくられた原寸大のエッフェル塔のようなものと表現できるのではないでしょうか? つまり、単語の一つひとつがツマヨウジであるとするなら、『失われた時を求めて』は、それこそ、何百万本、何千万本、いや何億本というツマヨウジが緊密に組み合わされてできたエッフェル塔であって、どこか一本のツマヨウジ(単語)を省いても、建造物は崩壊するようにできているのです。

言いかえると、冒頭の不眠の夜から始まって、最後に主人公が、小説を書こうと決意する大団円まで、一つとして無駄な単語も文章もなく、すべては全体の構造と密接に関係しているのです。

ですから、あとがきで述べるような事情から、ユゴーの『レ・ミゼラブル』から『「レ・ミゼラブル」百六景』をつくったように、『失われた時を求めて』の批評的ダイジェスト版をつくるという試みを編集者に勧められたとしても、そんな企てに乗るということ自体、土台、ナンセンスなことであり、『失われた時を求めて』に対する最大の侮辱ともいえるのです。

しかし、その一方で、高校生のときの私のように、冒頭の数ページで挫折したり、なんとかその難関をくぐり抜けても『ゲルマントの方へ』で止まってしまうという人も後を絶ちません。

そうした人でも、『失われた時を求めて』を最後まで読み通したいという気持ちは変わらず、できるものなら完読したいと願っているはずです。

ならば、こうした『失われた時を求めて』の「永遠の挫折者」に光明をもたらすような工夫はないものかと考えてみるのは決して理不尽なことでもないし、原作に対する冒瀆でもないと思うようになったのです。

そして、そのときに頭に浮かんだのは、粗筋(そういうものは、結局のところ無意味なのです)ではなく、それぞれの部分、部分で、読みに駆動力を与えるようなベクトルを教唆(あえて、この言葉を使います)しながら、なんとか完読へと導くという方法はないものかということです。

言いかえると、ここの一節はここがポイントだから、それに意識を集中して読めとか、あるいは、この一節の退屈さは、かなり意識的につくられた退屈さだから、退屈と感じることは少しもまちがいではないんだよとか、あるいは、この箇所ではどうでもいいようなことがくどくどと書かれているけれど、じつは、それはあることを隠しつつ暗示するためのアリバイ工作なのだよ、というような具合に、読みの勘所を教えながら、なんとか読者を先へ先へと引っ張っていく、マラソンのペースメーカー的な記述です。

これならば、私自身が度重なる挫折の経験を持っているだけに、やってできないことではないと感じました。コーチになるには、一流の選手よりも、二流の選手の方が向いているといわれますが、この意味では私は適任ではないかと思ったのです。

それと、もう一つ、重要なことがあります。私は、プルーストの研究者ではないということです。なぜこれが重要かといえば、プルースト研究者であると、どうしてもプルースト研究の指導教授やライバルの研究者の顔が面前に浮かび、そちらの方に顔を向けて書いてしまうことが多いのですが、私は一応フランス文学者という看板を掲げてはいるものの、プルーストにかんしては、読者と同じくまったくの素人であるといってよく、読者と同じ目線に立ってものを考えることができると感じるからです。

こんなことを言うと、読者は驚かれるかもしれませんが、現在の文学研究の専門化は極端なところまで進んでいて、同じバルザックの『人間喜劇』の研究者でも「哲学研究」の研究者は「風俗研究」にかんしてはほとんど知らず、「風俗研究」の専門研究者からは素人扱いされてもいささかも恥じるところがないほどになっています。しかも、自分の専門分野を狭く限定することが研究者のモラルとされていますから、私のようなフランス文学全般を扱う物書きは万屋や 的存在として、蔑みの対象になることはあっても、尊敬を受けるようなことは決してありません。

したがって、素人ではなく、専門の研究者にプルーストの読み方を教えてもらいたいと考える読者もいるでしょう。そうした人は、ぜひともプルーストの専門家が書いたモノグラフィーを繙いていただきたいと思います。

では、お前がやろうとしているのはなにかと問われれば、それは、読者が『失われた時を求めて』を完読するためのアシストをすることです。つまり、本来は限りなく豊饒な『失われた時を求めて』がたいていの場合はアクセスされることもなく、文字通り「失われ」てしまうことを防ぐために、その導入を買って出たということなのです。
「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読 / 鹿島 茂
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