書評

『海の仙人』(新潮社)

  • 2023/02/17
海の仙人 / 絲山 秋子
海の仙人
  • 著者:絲山 秋子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(170ページ)
  • 発売日:2006-12-22
  • ISBN-10:4101304513
  • ISBN-13:978-4101304519
内容紹介:
宝くじに当った河野は会社を辞めて、碧い海が美しい敦賀に引越した。何もしないひっそりした生活。そこへ居候を志願する、役立たずの神様・ファンタジーが訪れて、奇妙な同居が始まる。孤独の殻にこもる河野には、二人の女性が想いを寄せていた。かりんはセックスレスの関係を受け容れ、元同僚の片桐は片想いを続けている。芥川賞作家が絶妙な語り口で描く、哀しく美しい孤独の三重奏。
『指輪物語』のJ・R・R・トールキンは、ファンタジーには三つの機能があると定義している。慣習で曇ってしまった目を浄化する〈回復〉、幸福な結末が生む〈慰(なぐさ)め〉、そして現実からの〈逃避〉。「現実逃避? ダメじゃん」、バカにする方もおられましょうが、しかし、こう考えてみたらどうだろう。不治の病と闘っている子供が、病院の外の世界を夢み、友達と遊びたい一心で日々のつらい治療に耐え、目の前に迫りくる死の予感から心をそらし続けたとして、それは軽蔑されるようなことだろうか。むしろ、讃えられて然るべきなんではあるまいか。トールキンはだから、〈逃避〉という言葉を英雄的な行為を意味するものとして肯定的に用いているのだ。

「ファンタジーがやって来たのは春の終わりだった。」という文章から始まる絲山秋子の『海の仙人』の主人公・河野勝男は、以前は東京のデパートに勤めていたのだけれど、宝くじで三億円当たったのを機に会社を辞めた男。さりとて何もやりたいことはなく、とりあえずピックアップトラックで旅に出て、その途上に立ち寄った敦賀が気に入り、一軒家でひっそり暮らしているという設定になっている。大好きな海で泳ぎ、釣りに行き、釣った魚を食べ、海岸の砂を敷き詰めた部屋で暮らし、夕方四時になるとラジオの気象予報を聞いて天気図を描き――と、特に意味や意義のあることはしない毎日。デパート勤務時代に一番親しかった片桐妙子に云わせれば「世の中を避けて生きている」「『納得できる自分』ていうのが私らとは違う」「海の仙人」のような人物なんである。あくせく働いている身からすれば、けっこうなご身分であり、河野の生活は現実逃避にしか見えないのだけれど、しかし、じゃあ彼が何から逃避しているのかは、読者にはしばらく秘されたまま物語は進んでいく。

自称「やじ馬」のファンタジーは見える人には見えて、見える人には初めからそれが「ファンタジー」であることがわかるという不思議な存在。が、不思議なだけで、ニホンオオカミやトキやシマフクロウといった絶滅の危機にさらされている孤独な生物と会話できること以外には、何の異能も持ち合わせていないらしい。そんなファンタジーが河野の家に居候を始めるところから、彼の生活が動き始める。

カーキ色の三菱ジープに乗って、敦賀半島から見える水島に遊びにやってきた年上のキャリアウーマン・中村かりんと出会って交際が始まり、その後、会社からもらったリフレッシュ休暇を利用して真っ赤なアルファロメオGTVを駆ってきた片桐、ファンタジーと共に新潟へ向かう河野。そこで、ようやく読者は、彼が直視するのを避けている現実を明かされるのだ。なぜ、河野が人にあまり馴れない人物なのか。なぜ、生まれ育った大阪ではなく敦賀を居場所に定めたのか。なぜ、かりんとセックスレスのままなのか。それを知った時、そこまでは浮き世離れした若き隠遁者にしか映らなかった河野が、ようやく読者の心中で生身の人間として立ち上がってくる。ファンタジーが、どうして河野の前に現れ、新潟への旅につきあい、河野が直面しなくてはならない試練を見届けた上で、唐突に目の前から去っていくのかも、薄ぼんやりと了解されてくるのである。

しかし、実は河野はその試練を乗り越えられるわけではない。片桐に手伝ってもらって、やっとある使命を果たすだけで、心の奥底に封印した深くて昏(くら)い井戸の蓋を開けるところまでは至らないのである。それがいい。嘘臭くない。人はそんなにたやすく過去を乗り越えられるものではないのだから。

逃避を続ける河野は、だから敦賀に戻ってからも、それまでと少しも変わらない生活を送る。水戸に転勤しなくてはならないから一緒に住まないかと打診するかりんにも、「僕は結婚とか、そういうのは出来ひんのや。おまえに依存して生きることもしたないねん。僕はここが好きで住んでる。他に暮らしを移すのは無理やわ」と少しも迷わずに断る河野。そして、ついに彼は新たな現実に向き合わなくてはならなくなる。それがどんなことで、河野がその試練とどう立ち向かい、どう“逃避”し、どう“回復”していくかは、読んでのお楽しみ。ここでは触れない。

ちょっと村上春樹作品の「僕」を思わせるような淡泊なキャラクターの河野に比して、彼を囲む人物の影は濃くてくっきりしている。とりわけ、河野をイタリア風に「カッツォ」と呼び、本当は好きなのに気持ちを伝えることができないまま親友でいる片桐の造形がいい。小旅行が終わり、新潟駅でカッツォを見送る彼女の愛らしさといったらどうだろう。男っぽい言葉遣いで、強がりで、冷静で、ベタベタしたところが少しもなくて、つまり女も惚れる女。その片桐がいつまでも改札で自分を見送っているのに気づき、「片桐に愛されている実感をかつてない程感じた」河野は改札までひきかえして、彼女の前に立つ。「自分の報われない気持ちと闘って」激しく泣きじゃくる片桐。

ここから数行続くシーンの切なさと淋しさと愛おしさは格別だ。いつも堂々としていて姉御肌の片桐だけれど、実は自己評価はとても低い。つい自分を否定するような投げやりな言葉を放つ彼女に、「自分をそんなふうに言うたらあかんよ。片桐は仕事もできるし服も車も好きやろ。美味しいもの食べるのも好きやろ、それでええやんか」と諭す河野。こういう単純で拙い言葉を本気でかけてくれる男だから、片桐は河野が好きなのだなあ。二人は本当にわかりあえているのだなあ。絲山秋子は抜群に会話の巧(うま)い作家で、だからこの作品にもこんな風に、お互いの関係性やその場の空気や思いをひとつの会話で、さらりと読者に了解させてしまう場面が多々あるのだ。

そんな彼女が旅の最後に「あたしのファンタジーは終わりだ」と言う。それに対して「終わらない」と二度も断定するファンタジー。「人間が生きていくためには俺様が必要」で、「お前さんが生きている限りファンタジーは終わらない。俺様のことなんか忘れてもいいのだ。それは致し方ないのだ。だが、お前さんの中には残るのだ」と語るファンタジー。

ファンタジーの語源はギリシャ語の「ポス(phos)」であり、その意味は「光」だ。最後の章で河野は文字どおりの意味での光を失った存在として再登場する。が――。トールキンが唱えるファンタジー三原則のうち、〈逃避〉と〈回復〉を備えたこの作品が最後の最後で見せる〈慰め〉とは? 楽しみに読み進めていってほしい。河野の中にも、片桐の中にも、そして読者の中にもファンタジー(光)を残す見事な結末に向かって。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

海の仙人 / 絲山 秋子
海の仙人
  • 著者:絲山 秋子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(170ページ)
  • 発売日:2006-12-22
  • ISBN-10:4101304513
  • ISBN-13:978-4101304519
内容紹介:
宝くじに当った河野は会社を辞めて、碧い海が美しい敦賀に引越した。何もしないひっそりした生活。そこへ居候を志願する、役立たずの神様・ファンタジーが訪れて、奇妙な同居が始まる。孤独の殻にこもる河野には、二人の女性が想いを寄せていた。かりんはセックスレスの関係を受け容れ、元同僚の片桐は片想いを続けている。芥川賞作家が絶妙な語り口で描く、哀しく美しい孤独の三重奏。

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初出メディア

新潮

新潮 2004年10月号

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