書評
『夢の終わりに…』(早川書房)
自分の子供時代を美化したがる大人は多い。「今の子は原っぱもなくてかわいそうだ。その点昔は――」とか何とか。でも、そんなの浅はかな思い込みにすぎない。原っぱがあったって傷つく子供はいる。原っぱの真ん中で孤独に打ち震える子供だっている。一点の曇りもない子供時代なんて、どこにもない。
ジェフ・ライマンの『夢の終わりに…』には、カンザスに住むエムおばさんとヘンリーおじさんのもとに身を寄せることになった、孤児のドロシーが登場する。親友ウィルバーは自殺してしまい、愛犬トトはエムおばさんに嫌われて行方知れずになってしまう。貧しいゆえに学校ではいじめられ、ヘンリーおじさんからは性的虐待を受け、そのせいで愛らしかった容姿も醜くなり、やがて乱暴な問題児と化してしまうドロシー。どこまでも荒涼と広がるカンザスの草原の中、ドロシーは独りぼっちで精神を歪(ゆが)ませていくのだ。
さて、登場人物名で、思い起こす作品がない? そう、これは『オズの魔法使い』のドロシーに、実在のモデルがいたらっていう空想から生まれた小説なのだ。だから、オズの作者フランク・ボームも代用教師として登場。傷つき、損なわれてしまったドロシーのために何かできないかと考えたボームが、ズタズタにされてしまった彼女の少女時代を癒やしてやりたいと願って書いたのがオズの物語、という設定になっているのだ。勇気がないライオン、ハートがからっぽなブリキの木こり、脳味噌が足りない案山子(かかし)。ドロシーにつき従う彼らが、愛と勇気によって自分の欠点を克服し、トラウマから解放される姿を描いたオズのテーマを、リアリズムの手法で変奏してみせるこの小説には、映画でドロシー役を演じたジュディ・ガーランドや、エイズにかかった若い俳優ジョナサンも登場し、彼らのやはり傷ついた子供時代がサブストーリーとして綴られているのだ。
そして、それぞれがそれぞれのやり方で、傷から解放されるためにオズの物語と自身の子供時代を重ねていくのだが――。
物語の初めのほうに、五歳のドロシーが親友のウィルバーと一緒に、天使の雪だるまを作る美しいシーンがある。それから幾星霜(いくせいそう)。狂った老婦人になってしまったドロシーは、天使の雪だるまを遺して死ぬ。幸せだった五歳のころの心のまま。この二つのシーンの呼応が生み出す無垢(むく)なるイメージ! 胸を打つ。ガツンと打つ。映画化された『指輪物語』で有名なトールキンはファンタジーの三つの機能として、現実からの〈逃避〉、慣習によって曇った目を浄化する〈回復〉、幸福な結末が生み出す〈慰(なぐさ)め〉を挙げている。カンザスの草原に風が吹き抜け、そのあまりに寂しくて哀しい音色に泣きたくなりながらも、一方で独りで立ち上がる勇気をくれる本書は、たしかにその三つの要素を満たしている。深く深く傷ついた時、この物語はきっと、あなたが逃げ込める優しい居場所になってくれるはずだ。
【この書評が収録されている書籍】
ジェフ・ライマンの『夢の終わりに…』には、カンザスに住むエムおばさんとヘンリーおじさんのもとに身を寄せることになった、孤児のドロシーが登場する。親友ウィルバーは自殺してしまい、愛犬トトはエムおばさんに嫌われて行方知れずになってしまう。貧しいゆえに学校ではいじめられ、ヘンリーおじさんからは性的虐待を受け、そのせいで愛らしかった容姿も醜くなり、やがて乱暴な問題児と化してしまうドロシー。どこまでも荒涼と広がるカンザスの草原の中、ドロシーは独りぼっちで精神を歪(ゆが)ませていくのだ。
さて、登場人物名で、思い起こす作品がない? そう、これは『オズの魔法使い』のドロシーに、実在のモデルがいたらっていう空想から生まれた小説なのだ。だから、オズの作者フランク・ボームも代用教師として登場。傷つき、損なわれてしまったドロシーのために何かできないかと考えたボームが、ズタズタにされてしまった彼女の少女時代を癒やしてやりたいと願って書いたのがオズの物語、という設定になっているのだ。勇気がないライオン、ハートがからっぽなブリキの木こり、脳味噌が足りない案山子(かかし)。ドロシーにつき従う彼らが、愛と勇気によって自分の欠点を克服し、トラウマから解放される姿を描いたオズのテーマを、リアリズムの手法で変奏してみせるこの小説には、映画でドロシー役を演じたジュディ・ガーランドや、エイズにかかった若い俳優ジョナサンも登場し、彼らのやはり傷ついた子供時代がサブストーリーとして綴られているのだ。
そして、それぞれがそれぞれのやり方で、傷から解放されるためにオズの物語と自身の子供時代を重ねていくのだが――。
物語の初めのほうに、五歳のドロシーが親友のウィルバーと一緒に、天使の雪だるまを作る美しいシーンがある。それから幾星霜(いくせいそう)。狂った老婦人になってしまったドロシーは、天使の雪だるまを遺して死ぬ。幸せだった五歳のころの心のまま。この二つのシーンの呼応が生み出す無垢(むく)なるイメージ! 胸を打つ。ガツンと打つ。映画化された『指輪物語』で有名なトールキンはファンタジーの三つの機能として、現実からの〈逃避〉、慣習によって曇った目を浄化する〈回復〉、幸福な結末が生み出す〈慰(なぐさ)め〉を挙げている。カンザスの草原に風が吹き抜け、そのあまりに寂しくて哀しい音色に泣きたくなりながらも、一方で独りで立ち上がる勇気をくれる本書は、たしかにその三つの要素を満たしている。深く深く傷ついた時、この物語はきっと、あなたが逃げ込める優しい居場所になってくれるはずだ。
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

毎日中学生新聞(終刊) 2003年1月27日
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