書評
『あなたの人生の物語』(早川書房)
SFが描く人生
死をモチーフにしたSFがあれば、当然、SFならではの方法で“生”を描く作品もある。当代最高の短編SFの書き手、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」(公手成幸訳)は、そのいちばんの成功例。小説は、語り手の“わたし”が、自分の(実はまだ生まれていない)娘=あなたに向かって、“あなたの人生の物語”を語るという不思議なスタイルをとる。まだ生まれてもいない娘の人生が、どうして語れるのか。そこに、SFならではの仕掛けがある。
語り手の女性は言語学者。ヘプタポッド(七本脚)と呼ばれる宇宙人と意思の疎通をはかろうとするプロジェクトに呼ばれて、彼らの異質な言語をつぶさに研究することになる。たとえば、複雑なグラフィックデザインを寄せ集めたような彼らの文字には、書きはじめも書き終わりもなく、順番に読んでいく文字列より、むしろ絵画やダンスに近い。人間の認識が時間的な順序(原因と結果)に縛られているのに対し、ヘプタポッドはすべてを同時的に認識するらしい。彼らの言語を学ぶにつれ、語り手の認識もしだいに変化し、ものの見方が変わってくる。レムの『ソラリス』と同じく、人類とは異質な知性とのコンタクトによって、人間の側に大きな変化が生じるんですね。本編は、その変化を“あなた”に対する語りというかたちで人生に結びつけることで、SFになじみのない読者の心も揺さぶる。
著者のテッド・チャンは、中国大陸から渡米した両親の間に生まれた中国系アメリカ人。たいへん寡作で、1990年のデビューから現在までに発表した作品は、おそろしくレベルの高い短編15編だけ。そのうちの8編が、前述の作品を表題作とする著者唯一の短編集『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫SF)にまとめられている。神が実在する客観的な証拠にあふれた世界で信仰の本質を問う「地獄とは神の不在なり」(古沢嘉通訳)、SF用語を使わないハードSF「バビロンの塔」(浅倉久志訳)、知性の向上による認識の変容と天才VS天才の対決を描く「理解」(公手成幸訳)など、秀作揃(ぞろ)いです。
西日本新聞 2015年7月16日
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