書評

『紙葉の家』(ソニーマガジンズ)

  • 2018/06/27
紙葉の家 / マーク・Z. ダニエレブスキー
紙葉の家
  • 著者:マーク・Z. ダニエレブスキー
  • 翻訳:嶋田洋一
  • 出版社:ソニーマガジンズ
  • 装丁:単行本(805ページ)
  • ISBN:4789719685
内容紹介:
この紙葉をめくる者、すべての希望を捨てよ。現代アメリカ文学の最先端にして最高峰。
ザンパノという名の盲目の老人が古いナプキンの裏や封筒の切れ端から切手の裏まで、膨大な紙片に綴った文書[1]。老人の死後、それを入手した青年ジョニー・トルーアントは、やがてザンパノが放つ言霊に、そこで描かれている不気味な家にとり憑かれ、徐々に精神を失調させていく。外観は変化しないまま内部が拡がったり縮んだりする家。ザンパノが遺したのは、その家に関する一連のドキュメント・フィルム『ネイヴィッドソン記録』にまつわる調書だった。それをトルーアントが編集し、脚注を整理し、自らも注釈を施した上で世に送り出したというメタフィクショナルな構成を取ったフィクションが、扉に"これはあんた向きじゃない。"と記された、この『紙葉の家』なのである。

さて、その程度の作りなら現代文学の読者にとっては目新しくもない[3]だろうし、映画ファンなら『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や公開後に出版された関連書を思い浮かべるかもしれない。しかし、これはそんな生易しい本では決してないのだ。トルーアントによる序文や注釈によれば『ネイヴィッドソン記録』なんて映画はどこにも存在しないし、ザンパノが文書中で引用している膨大な書物の大半も架空のもので、映画についてのコメントを寄せている数多の有名人[5]に問い合わせても「そんなもの知らない」という反応しか返ってこないというのだ。

世界的に有名なフォト・ジャーナリストであるウィル・ネイヴィッドソンが家族との関係をやり直すために、喧噪のニューヨークからヴァージニア州の片田舎に建つ家に移り住む。過ぎてゆく牧歌的な日々。ところが、一家が数日家をあけて帰ってみると、それまでなかったクロゼットが出現している。しかも、その奥行きは家の外観が許すサイズよりも長い。双子の弟トムや、大学でエンジニアリングを教えている友人レストンと共に調査を始めるウィル。ところが、今度は存在しないはずの廊下までもが出現してしまう。そして、その奥行きや天井の高さは延び続け、やがて奈落に続いていると思わせるような長い螺旋階段までもが現れるのだ。プロの探検家ホロウェイのチームまでが加わって、家の内部への探索を試みるのだが――。

そんなSFゴシック・ホラーのような現象をハイ8で撮影し続けたネイヴィッドソンと家族の物語を、喪失と再生、死と帰還の物語を、さまざまな書物や証言からのペダンチックな引用・脚注と共に記したザンパノ。しかし、映画自体が存在しないなら[6]、トルーアントがまとめたこの本はザンパノが巧妙に仕立て上げた偽書にすぎないということになってしまう。が、トルーアントに関する疑念が、その解釈すらこばむのだ。この人物の言動をあっさり信じていいものなのか、と。

なぜなら、トルーアントとネイヴィッドソンが同一人物ではないかと思わせるような記述が幾つかあるのだ。二人とも双子で、二人とも幼い頃に父親を亡くし、母親とは生き別れている(ネイヴィッドソンの母は失踪し、トルーアントの母親は精神病院へ)。そして、何とも怪しい符合が足の親指にまつわるエピソード。ネイヴィッドソンはそこに持病を抱えていて、トルーアントの場合は入院中の母親からもらった手紙にこんな記述があるのだ。「もし必要なら、愛は足の親指の中に避難することでしょう」。もしかしたら、ネイヴィッドソンはトルーアントが作り出した自身の鏡像なのではないかという疑念が、胸の中でしこりとなって消えないのである。すると、この本は全てトルーアントが生み出した妄想の所産なのか……。

というように、全体の構造だけでもさまざまな読みが可能になっている上、いざ読み始めれば、細部の構造にたくさんの罠が仕掛けられているものだからたまらない。外観は何も変化していないのに、奈落の空間が拡がったり縮んだり迷宮化していく内部。家の変貌につれ、本自体もまたその構造を揺らがせていくのだ。テキストのコラージュ化、派手なタイポグラフィー、物語の中断と混乱[8]。ザンパノがつけた脚注の合間に挿入されているトルーアントの手記もまた、精神状態が徐々に悪化していく様をよく伝える[10]。そうした全ての物語と脚注を拾うためには、読者は本をタテヨコナナメに動かしながら活字を追わなくてはならないのだ。その体験がもたらす船酔いならぬ本酔いめいた感覚といったら! それは変化し続ける家の内部を探索するネイヴィッドソンら一行が経験する、寒気や吐き気と時にシンクロしてしまうはずなのである。

さまざまな先行テキストを蹴散らして、マーク・Z・ダニエレブスキーは二〇世紀最後の年に最高にカッコイイ迷宮の書を送り出してくれた。書きたいことが尽きない。パソコンのキィを叩く指が止まらない。トルーアントのようにこの本について考えるのをやめることができないのだ。

そう、とり憑かれたように。

[1]本書六二五~六三一頁参照[2]。
[2]おれが気になるのは、名刺の裏に記されたこんな文句だ。「たぶんすべてを変えてしまってもいいんだろう。子供たちを二人とも殺して。(中略)両親にこの体験をさせてやろう。そのナルシシズムに新たな苦悩の種を与えてやろう。二人を子供殺しで苦しめ、血の海で溺れさせてやろう。(略)」。こいつは、例の家がネイヴィッドソンの家族を襲うクライマックス・シーンを指してのメモだと思うんだが、実際はネイヴィッドソンの子供は死んじゃいないし、奴も奴の奥さんも死んじゃいない。死んだのは双子の弟トムだ。とすると、この覚え書きは読者に何を示唆しようとしているのか。それとも何の意昧もないのか……。
[3]一五九~一六三頁には、ご丁寧にもザンパノ氏自身が、この本に影響を与えたと読者が想定するであろう書物や映画の作品名を羅列してくれている。書評家への嫌がらせ以外の何ものでもあるまい[4]。
[4]しかし、おれが思うに、ここにもザンパノの恣意的な誘導の意志が隠されているんじゃないか。たとえば、ナボコフの名が見あたらない。ホメロスの、ピラネージの、デューナ・バーンズの、ジョン・ホークスの、ウラジーミル・ソローキンの、B・S・ジョンソンの、レ・ファニュの名が見あたらない。それって、一体どういうことなんだ?
[5]おれが特に気に入ったのは、『ネイヴィッドソン記録』にインスパイアされたキャサリン・ダンが、妻力レンの日誌を独自に書いてしまった(四七七頁)ってのと、家の中に呑み込まれちまったネイヴィッドソンを探すカレンの行動から霊感を得たポール・オースターや、ミステリー作家のドナ・タートがカレンの内的独白をでっち上げた(五九二頁)ってくだりだな。ところで、ペヨトル工房がなくなったせいで、ダンの大傑作『異形の愛』も書店から消えちまったのは問題だろう。あんた、そうは思わないか。
[6]この件に関しては全米映画協会(AACA)に問い合わせ済みで、そんなドキュメント・フィルムがこの世に存在したことはないとの返答を受けている[7]。
[7]ところが、だ。五〇~六〇年代、ウェスト・ロサンジェルスにかつて存在し、マックス・キャッスル回顧展でその名を馳せた幻の名画座「クラシック座」が九五年一月に一週間だけ復活した際、オールナイト枠の一齣で、たしかに『ネイヴィッドソン記録』が上映されたって情報もある。おれは、存在するほうに一票投じるね。
[8]これらの試みで想起されるのは、『時間割』などの作品で知られるヌーヴォーロマンの巨匠ビュトールが制作したアーティスト・ブックだろう。読むパフォーマンスを目的として作られた、この現代文学と現代アートの幸福な邂逅の賜物に、本書は何とよく似ていることか[9]。
[9]「ミシェル・ビュトールと画家たち100の本・100の美術空間展」(一九八九年五月二六日―六月七日 西武アートフォーラム)
[10]XXI章にあるトルーアントの手記に顕著(一九九八年一〇月二五日~九九年八月二八日)。ここでトルーアントは、ザンパノが遺した膨大な文書をまとめた後、家を引き払い、旅に出てからの行動と思考を日記形式で綴っている。しかし、殺人を匂わせる思わせぶりな告白をしたり、居もしない友人をでっちあげたり、時系列の混乱が見られたりと、その内容を常識ではかるのは非常に困難。もっとも不可解なのは九九年八月二八日の記述で、トルーアントはバーで演奏していたバンドの連中からインターネットで流通している『紙葉の家』を見せられるのだ。そこには「ザンパノ著 序文および脚注ジョニー・トルーアント」とある。ところが、その後、時を遡る形で置かれた九八年一〇月三一日の日記では、序文を書き上げたトルーアントは本を燃やしているのだから、それを信じる限り『紙葉の家』はこの世に存在しないということになってしまう。もっとも、この手記を読めばわかるとおり、トルーアントの精神状態は錯乱を極めているので、何らかの勘違いが生じただけなのかもしれないのだが[11]。
[11]本を燃やすっていえば、ダイダロスがミノス王のために作ったような迷宮と化した家の中を彷徨うネイヴィッドソンが、たった一冊持っていったのが『紙葉の家』で、真っ暗闇の中、そいつを読むために読んだ端からページを燃やしてくって挿話も印象的だったな(五二九頁)。……ところで、"おれ"って一体どこのどいつなんだい。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN:4757211961
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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紙葉の家 / マーク・Z. ダニエレブスキー
紙葉の家
  • 著者:マーク・Z. ダニエレブスキー
  • 翻訳:嶋田洋一
  • 出版社:ソニーマガジンズ
  • 装丁:単行本(805ページ)
  • ISBN:4789719685
内容紹介:
この紙葉をめくる者、すべての希望を捨てよ。現代アメリカ文学の最先端にして最高峰。

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初出メディア

文學界

文學界 2003年3月号

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