解説

『三体』(早川書房)

  • 2019/07/26
三体 / 劉 慈欣
三体
  • 著者:劉 慈欣
  • 翻訳:大森 望,光吉 さくら,ワン チャイ
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2019-07-04
  • ISBN-10:4152098708
  • ISBN-13:978-4152098702
内容紹介:
物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。中国で社会現象となったアジア最大級のSF小説、ついに登場!
本書に始まる《三体》三部作は、本国版が合計2100万部、英訳版が100万部以上の売上を記録。翻訳書として、またアジア圏の作品として初のヒューゴー賞に輝いた、現代中国最大のヒット作です。日本でも発売後一週間足らずで9万部を記録、勢いを増しながら全国を席巻中。そこまでこの小説が人々の心を捉えたのはなぜなのか。訳者のひとりでもある大森望さんの解説を再構成して掲載します。(編集部)
 

オバマ前大統領も絶賛する現代中国最大の怪物、ついに日本上陸。
空前絶後のその小説は、一体何が凄いのか。

たいへん長らくお待たせしました。現代SFの歴史を大きく塗り変えた一冊、劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)『三体』の、中国語版原書からの全訳をお届けする。

小説のテーマは、異星文明とのファーストコンタクト。カール・セーガンの『コンタクト』とアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』と小松左京『果しなき流れの果に』をいっしょにしたような、超弩級の本格SFである。

題名の「三体」とは、作中でも説明されているとおり、天体力学の "三体問題" に由来する。三つの天体がたがいに万有引力を及ぼし合いながらどのように運動するかという問題で、一般的には解けないことが証明されている(ただし、特殊な場合には解けることもあり、『機動戦士ガンダム』でおなじみのラグランジュ・ポイントも、そうした特殊解のひとつ)。もしもそんな三つの天体を三重太陽として持つ惑星に文明が生まれたとしたら──というのが本書の(あるいは、本書に始まる〈三体〉三部作の)基本設定。
にもかかわらず、いきなり文化大革命当時(1967年)の激しい内ゲバと壮絶な糾弾集会から始まるので面食らうかもしれませんが、これは主役の片方である天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)の "ある決断" を描くための前フリ(それと同時に、三部作全体の宇宙観、人間観を象徴する場面でもある)。やがてもう片方の主役、ナノマテリアル研究者の汪淼(ワン・ミャオ)(日本語読みだと「おう・びょう」)が登場すると、物語は俄然、エンターテインメント色が強くなり、超一流の理論物理学者たちの相次ぐ自殺や、不可思議な "ゴースト・カウントダウン" をめぐって、それこそ鈴木光司『リング』ばりにぐんぐんサスペンスが加速してくる。作中のVRゲーム『三体』がやたらめったら面白いのも本書の特徴。物語の中盤では、汪淼のまさに目の前で驚愕の大事件が起こり、読者を茫然とさせることになる。

この圧倒的なスケール感と有無を言わさぬリーダビリティは、ひさしく忘れていたSFの原初的な興奮をたっぷり味わわせてくれる。たとえて言えば、山田正紀『神狩り』やジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』を初めて読んだときのようなわくわく感。おいおい、そんなのありかよ──と思うような終盤の展開は、バカSFの奇才バリントン・J・ベイリーを彷彿とさせる。それでいて、現代エンターテインメントらしい娯楽性、(文潔の過去パートに代表される)強固な日常的リアリティと文学性、政治的な鋭い問題意識を失わないところが『三体』の強味。著者がほぼ同世代のSFファンとあって、国の違いを超えてものすごくよくわかる部分がある一方、英語圏や日本のSF作家には絶対に書けない、驚くべき蛮勇の産物であることもまちがいない。いやもう、とにかくすごいんだから!

と、つい興奮して話が先走ったが、本書はもともと、中国のSF専門誌《科幻世界》に2006年に連載され(5月号~12月号)、第19回中国銀河賞特別賞を受賞。2008年1月に重慶出版社から単行本が刊行された。

 六年後の2014年、アメリカの大手SF出版社トー・ブックス(Tor Books)から、「紙の動物園」で知られる中国系アメリカ人SF作家ケン・リュウによる英訳版 The Three-Body Problem が出版されると、これが大方の予想を覆すスマッシュ・ヒットとなり、いくつかの幸運なめぐりあわせも手伝って、2015年のヒューゴー賞長篇部門を受賞した。ヒューゴー賞は世界最大のSF賞と言われるが、もともと英語圏の賞。したがって、『三体』の受賞はアジア初の快挙。それどころか、英語以外で書かれた作品がヒューゴー賞長篇部門を受賞すること自体、これが史上初めてだった。

英語圏における『三体』ブームにさらに拍車をかけたのが、バラク・オバマ前アメリカ大統領。大統領在職中の2017年1月、ニューヨーク・タイムズに掲載されたミチコ・カクタニによるインタビュー記事「オバマがホワイトハウスの日々を生き延びた秘訣:書籍篇」の中で『三体』に触れ、「とにかくスケールがものすごく大きくて、読むのが楽しい。これに比べたら、議会との日々の軋轢なんかちっぽけなことで、くよくよする必要はないと思えてくるのも(本書を楽しんだ)理由のひとつだね」と語ったことで、『三体』は全米の注目を浴びることになった。
前述のように、本書は、地球文明と三体文明の関わりを描く〈三体〉三部作(〈地球往時〉三部作)の第一作で、言わば "接触篇" 。"発動篇" にあたる第二部『黒暗森林』(2008年)を経て、完結篇の第三部『死神永生』(2010年)では、広げに広げた大風呂敷が太陽系サイズまで広がって、さらにものすごい領域に突入する(分量で言うと、第二部が本書の五割増し、第三部にいたっては本書の倍くらいあります)。

三部作を合わせた累計発行部数は、2019年5月現在、中国語版だけで2100万部に達するというからすさまじい。まさに桁違いのモンスター小説なのである。

それにしても、こんなものすごいSFが、いったいどこから生まれたのか。『三体』英訳版に著者が寄せたあとがきによれば、本書の出発点のひとつは、劉慈欣が七歳のときに経験した出来事だという。時は1970年4月25日の夜。場所は、一族が先祖代々暮らしてきた河南省羅山県の小村。大人も子どもも、村人がおおぜい池のほとりに集まって見上げる夜空を、ちっぽけな星がゆっくりと横切っていった。それは、中国が初めて打ち上げた人工衛星、東方紅1号だった……。
当時、その地方の生活はとても貧しく、子どもたちはいつも腹ぺこだった。劉慈欣は靴を履いていたが、友だちのほとんどは冬も裸足で、春になってもしもやけが治らない。村に電気が通ったのは80年代のことで、それまで、明かりは灯油ランプが頼りだった。両親は千キロ以上離れた炭鉱で働いていたが、ちょうど文革の嵐が吹き荒れはじめたこの時期、幼い息子が内戦に巻き込まれることを心配して、郷里の村に預けることにしたのだった。当時、村人たちはスプートニクもアポロの月着陸も知らず、少年には人工衛星と恒星の区別もついていなかった。しかし五年後、少年は一般向けの天文学解説書で光の速さと "光年" という言葉を学び、宇宙に魅せられる。同じ1975年、河南省では、人類史上最大の人災とも言われる板橋ダム決壊事故が起き、それに続く大洪水によって24万人の死者が出た。
人工衛星、空腹、灯油ランプ、天の川銀河、文革期の内戦、光年、洪水──少年時代のこうした経験が、自分のSFの基盤になっていると劉慈欣は言う。本書をすでに読み終えた読者なら、『三体』のあちこちに著者の実体験がちりばめられていることに気づくだろう。

同様に、〈三体〉三部作の随所に政治的なメタファーや体制批判を読みとることも可能だが、著者いわく、「SFファン上がりのSF作家として、わたしは、小説を利用して現実社会を批判するつもりはない。SFのいちばんの醍醐味は、現実の外側にある想像の世界を無数につくれることだと思う。(中略)SFのワンダーは、ある世界を仮構したとき、現実世界では悪/闇とされるものを、正義/光へと(もしくはその逆)変えられることにある。わたしがこの三部作で書いているのも、ただそれだけのことでしかない。そして、想像力の力でどんなに大きく現実をねじ曲げても、突き詰めるとその根っこには現実が残っている」

この姿勢は、映画化されて大ヒットしたジュブナイルSF短篇「流転地球」(阿部敦子訳「さまよえる地球」/SFマガジン2008年9月号)にも共通している(ただし映画版は、基本設定をのぞけば、ストーリーもキャラクターも原作とはまったく別物なので、その点、ご注意ください)。

私事ながら、この数カ月、三体世界と中国語世界にどっぷり浸かって過ごしたことは、訳者の長いSF歴の中でも得がたい経験だった。とはいえ、〈三体〉三部作の物語は、まだ始まったばかり。本書を読み終えた人が禁断症状に苦しみ、中国語の勉強をはじめたり英訳版を注文したりするのが目に浮かぶようだが、続く第二部『黒暗森林』は、同じ早川書房から2020年に邦訳刊行予定。人類文明の最後の希望となる "面壁者" とは何者か? 首を長くしてお待ちください。
三体 / 劉 慈欣
三体
  • 著者:劉 慈欣
  • 翻訳:大森 望,光吉 さくら,ワン チャイ
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2019-07-04
  • ISBN-10:4152098708
  • ISBN-13:978-4152098702
内容紹介:
物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。中国で社会現象となったアジア最大級のSF小説、ついに登場!

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