書評
『一億三千万人のための小説教室』(岩波書店)
昔は新書といえば、硬めの内容の本が多かったものだけど、“新書ブーム”の今、その事情がちょっと変わってきています(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2002年)。身近なテーマをわかりやすい言葉で解説した本が増えているのです。たとえば、高橋源一郎さんの『一億三千万人のための小説教室』。これは、小説を書いてみたい人のためのレッスンになっていると同時に、より小説を楽しく読むためのガイドにもなっていて、しかも「小説ってナニ?」という素朴にして根源的な問いかけに答えた小説論にすらなっている、一粒で三度美味しい一冊なのです。
タカハシ先生は小説の特徴を〈あらゆることばと同じく、そうやって、受け継がれ、組み合わされ、そのことによって、絶えず変化してゆく遺伝子の連なりのようなものだ〉と定義しています。つまり、現在ある小説の全てが、先に生まれた小説をお母さんに持ってるってことですね。その例として、タカハシ先生はハードボイルド小説の大家チャンドラーと村上春樹、太宰治と自身の文体の相似を挙げています。そして、小説を書くのが真似から始まることを教えてくれるのです。それは読む側にとっても同じ。ある作家や作品を好きになる→それと似た世界観を持つ作家や作品を探す。この繰り返しによって、読書の幅は広がっていくのですから。
タカハシ先生はまた、こんなことも教えてくれます。〈小説には、形がない。確固としたものがない。それに向かう中心、それが小説であるという、明確ななにかはない(中略)あやふやで、いい加減で、わがままで、気分屋で、周りになにかがあれば、すぐ、それをまねようとする。それが、小説です〉と。言葉を扱う表現の中でもっとも束縛を受けないジャンルが小説なのです。自由奔放でルールなんかないから、時にはどうやって読んだらいいのかすらわからない作品が生まれたりもします。でも、だからこそ面白い、わくわくするとは思いませんか?
小説と遊び、赤ん坊みたいに真似してみる。それが小説を書く一番正しい方法であることを易しい言葉と、たくさんの引用で指南してくれるこの本は、最後に〈「小説」とは小説の素になるもののことです〉という謎めいた答えを用意しています。その意味は、ぜひ本書に直接あたって下さい。小説という、あらゆる芸術の中でもっとも遅れて生まれてきたジャンルが持つ無限の可能性に触れることができる、それはそれは深遠な答えなのですから。小説を書きたくなる、小説をもっと読みたくなる。この新書の中には、小説への愛が溢れかえっているのです。
【この書評が収録されている書籍】
タカハシ先生は小説の特徴を〈あらゆることばと同じく、そうやって、受け継がれ、組み合わされ、そのことによって、絶えず変化してゆく遺伝子の連なりのようなものだ〉と定義しています。つまり、現在ある小説の全てが、先に生まれた小説をお母さんに持ってるってことですね。その例として、タカハシ先生はハードボイルド小説の大家チャンドラーと村上春樹、太宰治と自身の文体の相似を挙げています。そして、小説を書くのが真似から始まることを教えてくれるのです。それは読む側にとっても同じ。ある作家や作品を好きになる→それと似た世界観を持つ作家や作品を探す。この繰り返しによって、読書の幅は広がっていくのですから。
タカハシ先生はまた、こんなことも教えてくれます。〈小説には、形がない。確固としたものがない。それに向かう中心、それが小説であるという、明確ななにかはない(中略)あやふやで、いい加減で、わがままで、気分屋で、周りになにかがあれば、すぐ、それをまねようとする。それが、小説です〉と。言葉を扱う表現の中でもっとも束縛を受けないジャンルが小説なのです。自由奔放でルールなんかないから、時にはどうやって読んだらいいのかすらわからない作品が生まれたりもします。でも、だからこそ面白い、わくわくするとは思いませんか?
小説と遊び、赤ん坊みたいに真似してみる。それが小説を書く一番正しい方法であることを易しい言葉と、たくさんの引用で指南してくれるこの本は、最後に〈「小説」とは小説の素になるもののことです〉という謎めいた答えを用意しています。その意味は、ぜひ本書に直接あたって下さい。小説という、あらゆる芸術の中でもっとも遅れて生まれてきたジャンルが持つ無限の可能性に触れることができる、それはそれは深遠な答えなのですから。小説を書きたくなる、小説をもっと読みたくなる。この新書の中には、小説への愛が溢れかえっているのです。
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