書評

『つれづれ草』(水声社)

  • 2020/06/15
つれづれ草 / ジェラール・マセ
つれづれ草
  • 著者:ジェラール・マセ
  • 翻訳:桑田 光平
  • 出版社:水声社
  • 装丁:単行本(290ページ)
  • 発売日:2019-12-25
  • ISBN-10:4801003680
  • ISBN-13:978-4801003682
内容紹介:
新たな秘密の言語を発明しようとしたスルタン、あらゆる雌イノシシに自らの祖母の名をつける勢子、空想のレシピに興じプロの料理人まがいのフランス人捕虜たち、数の語彙をもたぬアマゾンのピダハン族、この世の果てへとたどり着いた松尾芭蕉、幻想から生み出されたわが兄…。

弱さこそ恵みとなる詩の原理

声には力がある。第一次大戦で聴力を失った祖父の従軍記を、青年になった著者は書き付けようとする。だが途中で止めてしまう。なぜか。「声の抑揚、言葉の区切りかた、口調、それらが誠実さを示すアクセント」が失われてしまうからだ。

言葉における意味でないものを聞き取る力。ブラックアフリカの人々は、そうした力に長けている。夢の中に現れる象徴を読み解き、冥界から吹き付ける霊気を感じとる。そしてもう一つの場所が日本だ。絵画や書道といった芸術は生活と結びついて、すべてを繊細なものとしている。

あるいは動物たちはどうだろう。かつてラ・フォンテーヌは、動物たちには謎めいた知性があると説いた。確かに、僕らをじっと見つめる猫の瞳の向こうには底知れぬ闇がある。そして小さな蟻は「牛よりも活動的なだけでなく、牛よりもずっと創意に富んでいる」。

現代文明は論理や効率を重視する。だからこそ著者は逆に、自由な連想や横滑りを称揚する。そもそも僕らの思考や会話は、そんなふうに進むのではないか。無数の断片によって書かれた本書の軽みを味わいながら、読者の心はマセの思考と気持ちよく絡み合う。

なにしろ近代の権化たるデカルトすら、マセによればこうなる。午前中は寝床から出ずに瞑想に耽る。昼間はだらだら過ごして、研究は何カ月も進まない。かつて『方法序説』を読んだとき、僕が最も好きだったのもこのくだりだった。

マセが説いているのは、詩の原理の重要性だろう。そこでは弱さこそが恵みである。なにしろ人付き合いが下手で、何年も部屋から出てこなかったプルーストは、自分の恐怖心を才能に変えて『失われた時を求めて』を書き上げたのだから。

本書では、偉人も文豪も蟻も同じ価値を持つ。そしてマセの優しい視線の中で、魅力的な存在として浮かび上がってくる。だから本書を読んだあと、世界が少しだけ違って見える。
つれづれ草 / ジェラール・マセ
つれづれ草
  • 著者:ジェラール・マセ
  • 翻訳:桑田 光平
  • 出版社:水声社
  • 装丁:単行本(290ページ)
  • 発売日:2019-12-25
  • ISBN-10:4801003680
  • ISBN-13:978-4801003682
内容紹介:
新たな秘密の言語を発明しようとしたスルタン、あらゆる雌イノシシに自らの祖母の名をつける勢子、空想のレシピに興じプロの料理人まがいのフランス人捕虜たち、数の語彙をもたぬアマゾンのピダハン族、この世の果てへとたどり着いた松尾芭蕉、幻想から生み出されたわが兄…。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2020年3月7日

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