書評
『ケルベロス第五の首』(国書刊行会)
物語の舞台となっているのは、人類が植民して二百年足らずの双子惑星サント・クロアとサント・アンヌ。かつてサント・アンヌには、姿を自在に変える能力を持った原住種族がいたのだが、植民したフランス人によって狩りつくされ、絶滅したと言われている。その一方で、実はアンヌ人こそが人類を皆殺しにし、人類に魅せられるあまり、ついに己の出自を忘れ、人間の形と記憶をまとい、人間として生き続けているという異説もあり――。
という基本設定のもとに紡がれた三つの中編小説が収められているのが、SF界とモダン・ファンタジー界でもっとも重要な才能の筆頭に挙げられながら、日本ではこれまでほとんど紹介されることのなかった“幻の作家”ジーン・ウルフの最高傑作『ケルベロス第五の首』なのである。サント・クロアで人体改造を施した娼婦を提供する娼館を営む父親から英才教育を受けている少年の物語である表題作。地球から訪れた人類学者ジョン・マーシュ博士が採集したサント・アンヌの原住民の民話「『ある物語』ジョン・V・マーシュ作」。自分が何の罪に問われているかもわからないまま収監され続けているカフカ的な不条理におかれた男の物語を、係官が読む尋問記録や書類、男が綴った日誌などのコラージュで読ませる「V・R・T」。
第一話は主人公の一人称語りであり、第二話はフォークロア調の異世界ファンタジーであり、第三話は記録文書や日誌の断片でありと、異なったスタイルで書かれているため、それぞれ独立しても読める三つの物語は、しかし、登場人物とテーマによって複雑精妙に絡みあっている。また、双子惑星、クローン、コンピュータによる人格の複製、一卵性双生児、他者へのすり替わり、父親殺しと自分殺しなどのエピソードに象徴される“アイデンティティの揺らぎ”というメインテーマが、語りにも敷衍(ふえん)されているのが特徴的だ。第一話の語り手の少年と、第三話で日誌を綴っているマーシュ博士と思わせる人物は、自分が事実だと信じていることを語っている。ところが、その語りの中から読者は思わず知らず別の真実をつかみ取ってしまうのだ。語りそのもののアイデンティティすら揺らがせることで、世界の見え方をがらりと一変させてしまう。その驚きや知的興奮度たるや、超ド級なんである。
読み始めは「一体なんの物語を読まされているのだろう」という不安をぬぐえないかもしれない。けれど、急がず丁寧に読んでいけば、訳者の柳下毅一郎氏が解説で述べているように、必ずや〈徐々に世界が立ちあらわれる瞬間の魔法を味わ〉えるはずだ。精緻な伏線を張り巡らせた本格ミステリー(しかし、謎解きのない)としての魅力も併せ持つこの傑作を、SFファンだけのカルト・アイテムのままにしておいてはいけない。スリップストリーム系現代文学ファンもぜひ! 瞠目&刮目間違いなしだから。
【この書評が収録されている書籍】
という基本設定のもとに紡がれた三つの中編小説が収められているのが、SF界とモダン・ファンタジー界でもっとも重要な才能の筆頭に挙げられながら、日本ではこれまでほとんど紹介されることのなかった“幻の作家”ジーン・ウルフの最高傑作『ケルベロス第五の首』なのである。サント・クロアで人体改造を施した娼婦を提供する娼館を営む父親から英才教育を受けている少年の物語である表題作。地球から訪れた人類学者ジョン・マーシュ博士が採集したサント・アンヌの原住民の民話「『ある物語』ジョン・V・マーシュ作」。自分が何の罪に問われているかもわからないまま収監され続けているカフカ的な不条理におかれた男の物語を、係官が読む尋問記録や書類、男が綴った日誌などのコラージュで読ませる「V・R・T」。
第一話は主人公の一人称語りであり、第二話はフォークロア調の異世界ファンタジーであり、第三話は記録文書や日誌の断片でありと、異なったスタイルで書かれているため、それぞれ独立しても読める三つの物語は、しかし、登場人物とテーマによって複雑精妙に絡みあっている。また、双子惑星、クローン、コンピュータによる人格の複製、一卵性双生児、他者へのすり替わり、父親殺しと自分殺しなどのエピソードに象徴される“アイデンティティの揺らぎ”というメインテーマが、語りにも敷衍(ふえん)されているのが特徴的だ。第一話の語り手の少年と、第三話で日誌を綴っているマーシュ博士と思わせる人物は、自分が事実だと信じていることを語っている。ところが、その語りの中から読者は思わず知らず別の真実をつかみ取ってしまうのだ。語りそのもののアイデンティティすら揺らがせることで、世界の見え方をがらりと一変させてしまう。その驚きや知的興奮度たるや、超ド級なんである。
読み始めは「一体なんの物語を読まされているのだろう」という不安をぬぐえないかもしれない。けれど、急がず丁寧に読んでいけば、訳者の柳下毅一郎氏が解説で述べているように、必ずや〈徐々に世界が立ちあらわれる瞬間の魔法を味わ〉えるはずだ。精緻な伏線を張り巡らせた本格ミステリー(しかし、謎解きのない)としての魅力も併せ持つこの傑作を、SFファンだけのカルト・アイテムのままにしておいてはいけない。スリップストリーム系現代文学ファンもぜひ! 瞠目&刮目間違いなしだから。
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