魔術、奇形、裸…面白さ広げた見世物精神
副題にいう「エクスプロイテーション」とは「搾取」のこと。だが、この場合、観客から金を搾り取ることを意味している。つまり、映画=金儲けのための見世物という考えが、この言葉には反映している。映画監督を芸術家として祭りあげる「作家主義」の正反対だ。映画監督みずからがエクスプロイテーションの陣頭指揮に立つこともある。その代表者がウィリアム・キャッスル。
まともな映画史からは一顧だにされないこのホラー映画の監督は、オーソン・ウェルズに私淑したはいいが、ウェルズからはったり精神だけを学んだらしい。
自作の恐怖映画でショック死した観客には千ドル払うといって保険証書を配ったり、映画のクライマックスで観客の頭上に骸骨を飛ばしたり、ムカデのような怪物が逃げだす場面で座席に仕込んだ装置を作動させて観客に「ムカデ感」を味わわせたりした。ほとんどバカである。
だが、このバカまじめな精神こそが、映画の面白さを大きく広げてきた。
著者によれば、そもそも映画を発明したリュミエール兄弟や、続いて映画を幻想芸術に昇華させたメリエスは、映画を見世物興行だとしか考えていなかった。
たしかにリュミエール兄弟は、映画という表象手段の開発者である以上に、多数の観客を一堂に集めて映画を有料上映するという興行形態の発明者であったし(この点がエジソンと違うところだ)、メリエスはパリの花形手品師であり、ロベール=ウーダン劇場の経営者だった。
本書はそうした視点から「もうひとつの映画史」を描きだす。ここではグリフィスもエイゼンシュテインもゴダールももちろん小津安二郎もお呼びでない。
やらせドキュメンタリー。引田天功もびっくりの魔術師映画。奇形を見世物にするフリーク映画。特定の人種向けの映画。そして忘れちゃならない裸と性が売り物のその名も「セクスプロイテーション」映画。ともかく映画という文化現象の広がりの豊かさに恐れいるばかりだ。
例えば、まもなく公開される石井輝男の怪作『盲獣VS一寸法師』など、この映画史では正統中の正統なのである。