後書き

『シャルロッテ』(白水社)

  • 2020/07/02
シャルロッテ / ダヴィド・フェンキノス
シャルロッテ
  • 著者:ダヴィド・フェンキノス
  • 翻訳:岩坂 悦子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(342ページ)
  • 発売日:2020-05-23
  • ISBN-10:4560090629
  • ISBN-13:978-4560090626
内容紹介:
アウシュヴィッツで26歳の若さで命を落とした天才画家の知られざる生涯。ルノドー賞、「高校生が選ぶゴンクール賞」受賞の代表作
シャルロッテ・ザロモンは、実在したユダヤ系ドイツ人画家。彼女の創作と人生への情熱、悲劇的な運命を、フランス人作家が8年をかけて小説にしたのが本書です。翻訳をされた岩坂悦子さんのあとがきから、シャルロッテ本人と本書の魅力に触れてみてください。


アウシュヴィッツに送られ、妊娠中に26歳の若さで命を落とした天才画家の知られざる生涯


本書は二〇一四年に刊行されたダヴィド・フェンキノスの小説 Charlotteの全訳である。

フェンキノスの作品は、彼特有のユーモラスな語り口による、軽やかでオシャレなフランスの恋愛小説という印象の作品が多いが、『シャルロッテ』はそれとはまったく異なる作風の小説である。扱っている題材ももちろんだが、なによりこの小説の最大の特徴である文体が、本作品を他の作品と類を異にしている。詩と映画のシナリオを織り交ぜたような一行一文という形式によって、必要最低限に切り詰められたひとつひとつの言葉が際立ち、読者の胸に刺さる。そこには雰囲気を軽くするユーモアなどはない。わざと効果を狙ってこのような文体にしたのではなく、一文、一行書くたびに息をつく必要があったから、これ以外の書き方ができなかったと著者は作中でも述べている。

『シャルロッテ』は批評家に高い評価を受け、フランスで最も権威ある文学賞のひとつであるルノドー賞を受賞し、近年注目を集めている「高校生が選ぶゴンクール賞』にも選ばれた。著者自身は高校生のときに重病を患い、長い入院生活を余儀なくされたのをきっかけに文学と出会ったそうだ。それまでほとんど本を読んだことがなかったが、そのときの読書体験で人生が一変したと語っている。

ナチに若い命を奪われたユダヤ系ドイツ人画家シャルロッテ・ザロモンの生涯に着想を得た本作品には、著者自身のシャルロッテとの出会い、シャルロッテの足跡をたどる様子、この小説を書くにあたっての苦悩なども描かれている。フェンキノスはシャルロッテの作品を初めて目にしたとき大きな衝撃を受けるが、彼女の作品のみならず彼女の悲劇的な人生にも魅了される。ぜひともシャルロッテのことを書きたいと思うが、ノンフィクションにすべきか小説にすべきか、自分を登場させるべきか否か頭を悩ませ、書き始めては破り捨てをくりかえし、なかなか書き進められなかった。また、シャルロッテに関する資料自体が乏しかった。そこで、シャルロッテが住んでいた家や学校など、彼女に縁のある地をすべて訪れ、シャルロッテを追い求めつづけた。そうして本作品を書き上げるまでに、フェンキノスは実に八年もの歳月を要した。その間に書かれた他の小説のなかにシャルロッテはたびたび登場しており、それらの小説はすべて本書に繫がっているとインタビューで話している。

八年間シャルロッテは絶えず頭のなかにいたというほどの、著者のシャルロッテへの愛はこの小説のなかにもよく表れている。しかし、著者の思いとは裏腹に、世間ではシャルロッテの名前はほとんど忘れ去られてしまっている。フェンキノスはインタビューのなかで、自分の小説を読んだ人は必ずシャルロッテの作品も見てみたいと思うだろうと語っている。そうしてより多くの人にシャルロッテという人間、そして彼女の作品を再発見してもらいたいと述べている。ちなみに、この小説のタイトルを『シャルロッテ・ザロモン』ではなく『シャルロッテ』にしたのは、彼のシャルロッテへの愛を示すために、あえて親しみを込めた形にしたそうだ。

本書の冒頭に書かれているとおり、この小説はシャルロッテの作品《人生?それとも舞台?》をもとに書かれている。作中にも述べられているように、《人生?それとも舞台?》は単なる絵画の連作ではない。七六九点の水彩画に語りや台詞、さらには音楽の指示が付されている。実物を見なければなかなか想像しにくいかもしれないが、テクストが書かれた紙と水彩画を重ね合わせることで、絵と文字がちょうど重なるようになっているものも三四〇点ほどある。《人生?それとも舞台?》はシャルロッテが自らオペレッタと呼んでいるように、総合芸術である。

シャルロッテがこの大作を制作した理由については、この小説を読めばわかるとおりだ。ナチに追われ、愛する人びとと離ればなれになり、母親が実は自殺していたことを明かされてそれまでの人生が噓の上に成り立っていたことを知り、ひとつの疑問に直面する。自殺すべきか、あるいはなにか途方もないことをすべきか? 照りつける太陽、紺碧の海、咲き誇る花々に目を向けるとアルフレートとの愛の思い出がよみがえり、彼の言葉を思い出す。そうして彼女は後者を選択する。「愛、汝の隣人を知るにはまず汝自身を知れ」というアルフレートの言葉をもとに、シャルロッテは制作に取りかかる。この「舞台」には、シャルロッテの家族や関係者が名前を変えて登場し(ナチ政権下、実名を出すことは危険だったためと考えられている)、シャルロッテ自身も三人称で語られている。彼女は自分を客観視するとともに、「完全に自己の外に出て、登場人物が独自の声で歌ったり話したりできるよう努めた」。

自己の外に出て自分を客観視するためには、自己の奥深くを探求しなければならないと考え、シャルロッテは自分の子供時代に遡る。《人生?それとも舞台?》の始まりは小説と同様、叔母のシャルロッテの死から始まる。全部で三部から成り、プロローグが小説における第三部まで、メイン・セクションがアルフレートの登場する第四部と第五部、そしてエピローグが第六部のフランスに渡ってからの様子と、祖父とともにギュルス収容所から帰ってくるまでが描かれている。プロローグの内容は小説とほぼ変わらない。子供時代の幸せな様子が描かれており、描写が細かく明るい色遣いの絵が多い。メイン・セクションはシャルロッテよりも主にアルフレートのことが描かれている。一枚の絵にアルフレートの顔が十以上、多いものには六十以上描かれているものが何枚もあり、それらの絵にはアルフレートが実際に話していたと思われる、哲学的・宗教的な長台詞が付されている。

ちなみに、アルフレートの絵だけでなく他の絵においても、シャルロッテは一枚の絵のなかにいくつも同じ人物を描き、移動している様子を表現したり、あるいは同時にいくつもの場面を描いたりしている。漫画的な描き方と言ってもいいのかもしれないが、とにかく型破りな描き方である。小説を読んでいると、シャルロッテは寡黙でいろいろな思いを内に秘めている印象を受けるが、彼女の絵はそれとは裏腹に非常に雄弁である。語りや台詞が添えられているという理由からではなく、絵そのものが語りかけてくるようなのだ。アルフレートの文章のように、向こうから語りかけてくる。絵画が彼女にとっての自己表現の手段だったことがよくわかる。

最後のエピローグの絵は、作中でも述べられているように、筆が走っているかのように雑で大胆なタッチの絵ばかりである。急いで仕上げようとしている様子がうかがえる。エピローグで印象的な台詞が二つある。ひとつは、シャルロッテが自殺しようとする祖母に対して言う台詞である。彼女は祖母に、輝く太陽、咲き誇る花々の美しさ、人生の歓びを謳う。そして自殺しようとする力があるのなら、その力を自分の人生を表現するために使ってはどうかと提案する。まさに、シャルロッテ自身がしたことである。フェンキノスがインタビューで語っていたように、シャルロッテの作品には希望がある。死との二者択一のなかで生まれた彼女の作品は、生への希望そのものだ。それこそが、人びとが彼女の作品に惹きつけられる最大の魅力なのではないだろうか。

二つめは、シャルロッテが祖父とともにギュルス収容所に送られる場面で、シャルロッテは「あと十日間このままでいるほうが、彼(祖父)と二人きりでいるよりまだいい」と言う台詞である。《人生?それとも舞台?》の創作を終えた半年後、シャルロッテはアルフレートの役名であるアマデウス・ダベルローン宛に長い手紙を書いており、そのなかで祖父を毒殺したことを告白している。これは作中でも述べられているシャルロッテの毒殺疑惑の発端となった手紙なのだが、この手紙は多くの謎を残している。手紙が《人生?それとも舞台?》と一緒に保管されていたのかどうか、なぜ一人称と二人称で書かれているのにアルフレートではなくアマデウス宛になっているのか、なぜ手紙が届くことはないとわかっているのに書いたのか、なぜもともと三十五ページあったのに十六ページしかパウラたちによって寄贈されなかったのか、等々。手紙のなかで、シャルロッテは祖父に睡眠薬入りのオムレツを作り、祖父は今頃死んでいるだろうと述べている。また、彼女が拒絶しなければならないのはハイル・ヒトラーではなく祖父だとも述べている。実際に毒入りオムレツを作って殺したのかどうか、真実は闇の中だが、祖父が彼女にとって誰よりも精神的な圧迫になっていたことは、彼女の作品からも読み取れる。著者が述べているように、真実かどうかは重要ではない 。《人生?それとも舞台?》も『シャルロッテ』も、ノンフィクションではなく創作だ。どこまでが事実に基づいているのかはわからない。だが重要なのは、われわれ読者がこれらの作品から何かを読み取り、感じ取るということである。フェンキノスは、何がテーマかなどということよりも、ある物語を語ることによって、読者をひとつの世界へと導くことが作家にとっては大事だとインタビューで語っている。フェンキノスのおかげで私はシャルロッテの世界を発見した。悲劇的と呼べる人生を送ったにもかかわらず、深く人を愛し、芸術を愛し、人生を愛したシャルロッテの生に対する情熱に、私は強く胸を打たれた。

[書き手]岩坂悦子(翻訳家)
シャルロッテ / ダヴィド・フェンキノス
シャルロッテ
  • 著者:ダヴィド・フェンキノス
  • 翻訳:岩坂 悦子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(342ページ)
  • 発売日:2020-05-23
  • ISBN-10:4560090629
  • ISBN-13:978-4560090626
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アウシュヴィッツで26歳の若さで命を落とした天才画家の知られざる生涯。ルノドー賞、「高校生が選ぶゴンクール賞」受賞の代表作

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