芸術と、多彩な人間模様と、多彩な光
ルーヴル美術館のアイドル絵画であるモナ・リザが修復されることになる、という設定のこの小説は、機知に富み、示唆にも富む上、とても愉しい。修復をめぐるあれこれ――賛成派と反対派、どの修復士なら信頼できるか、もし失敗したらどうなってしまうのか、モナ・リザ不在のあいだ、美術館の集客力はどうなるのか、など――が物語の軸としてあり、そこには芸術とは何か、美術館の役割とは何か、時間とは何か、時代によって変る世の中に人はどう対処すべきなのか(これについては印象的な言葉だらけで、突然二人称が採用される「諦念」という章や、ユーモラスながら切実な、「友よ、私は聞きたい……なぜ変えるんですか?」というある登場人物の「嘆願」と感傷、またべつな登場人物がパリの街について述べる、「教育して育てていくより、低いレベルに合わせて均そうとするポピュリストたちの力で組織的に美観が損なわれてしまった」という本音など、枚挙にいとまがない)といった幾つもの問いが孕まれもするのだが、考えさせられるその軸は軸として、この小説はそれ以外の部分、豊かな肉づきというか遊びというか、いわばエクストラの部分がすばらしいのだ。登場人物たちの丁寧な造形、そこから広がる人間模様――。誠実でやや保守的な美術館職員オレリアンとその妻の、出会い、再会、結婚、別離。活力溢れるイタリア人修復士ガエタノと、ふたりの女性の織り成す風変りで鮮烈な関係や、どこかギリシャ神話の牧神を思わせる清掃員オメロが、二人の女に与える影響(彼とエレーヌが踊る場面はミュージカルみたいに奔放で官能的だし、美術館長ダフネにもまた、彼は重要な啓示を与える)。
とても饒舌な小説だ。夥しい数の固有名詞、豊富な美術エピソード、凝った形容(海のなかから見る太陽は「波で歪んだ柔らかいポテトチップスのよう」だし、ある男女の関係は、「海の中で絆創膏が剥がれていくよう」に終っていく)、登場人物たちの個性のにぎやかさ、横溢するユーモア、そして色、色、色――。服や髪や唇、家具や敷物や風景の描写に、こんなにたくさんの色がでてくる小説も珍しい。水色や白やネイビー、黒や灰色の他に、セルリアンブルーがコーラル色が、シアンブルーがローズピンクが、ブルーグレーがパビリオングレーがクラッシュラズベリー色が、オラクル・イエローがピーチピンクがカーマインが、琥珀色が紅色が山吹色が、ラベンダー色がアシッドグリーンがターコイズブルーが、ミッドナイトブルーがフューシャピンクがでてくるし、ある登場人物は身につけていた服にちなんで「黄色い水仙の花の女の子」と呼ばれ、またべつの登場人物の裸体は、「ブラウン色の乳輪の乳房、白っぽい腹部、ブロンズ色の陰毛」と描出されるのだから、読んでいるあいだじゅう甘美な色のイメージが渦巻く。そこに、光。小説の主な舞台であるパリと、何度か登場するトスカーナ、一度だけでてくるオマーンという三つの場所の、それぞれ違う光の描写が美しい。ほんとうに、絵画みたいな小説なのだ。最後には驚きの(でも、そうあるしかないのかもしれないと思わせる)結末も用意されている。修復結果に判断を下せるのは「一般人だけ」だという、登場人物の一人の言葉の持つ意味は深い。