後書き

『スモモの木の啓示』(白水社)

  • 2022/02/25
スモモの木の啓示 / ショクーフェ・アーザル
スモモの木の啓示
  • 著者:ショクーフェ・アーザル
  • 翻訳:堤 幸
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(274ページ)
  • 発売日:2022-01-28
  • ISBN-10:4560090718
  • ISBN-13:978-4560090718
内容紹介:
イラン・イスラム革命に翻弄される一家の姿を13歳の少女バハールの語りで描く。亡命イラン人作家による魔術的リアリズムの傑作長篇
イラン・イスラム革命に翻弄される一家の姿を、亡命イラン人作家が魔術的リアリズムの手法で描いた本書。先に出版された英米圏では、〈国際ブッカー賞〉〈全米図書賞〉の翻訳文学部門の最終候補に残るなど話題を集めました。読みどころを訳者あとがきよりご紹介いたします。

イラン・イスラーム革命に翻弄される一家の姿を魔術的リアリズムの手法で印象的に描く傑作

本書はShokoofehAzar,TheEnlightenmentoftheGreengageTree(EuropaEditions,2020)の全訳(元のペルシア語からではなく、英語版からの訳)だが、原著の刊行の経緯については少し詳しい説明が必要かもしれない。
著者のショクーフェ・アーザルは一九七二年イラン生まれの女性である。イランでジャーナリストとして活躍し、『ペルシア文学百科事典』の編著、シルクロードの踏破本などを発表していたが、二〇一一年に政治難民としてオーストラリアに移住し、現在はパースに暮らしている。創作はペルシア語で行っており、本書も元々はペルシア語で書かれた。二〇一七年に英訳版がオーストラリアで出版されてステラ文学賞最終候補にもなり、大きな話題を呼んだ。そして二〇二〇年に英米を含む広い地域で発売になり、国際ブッカー賞と全米図書賞翻訳部門という輝かしい二つの翻訳文学賞の最終候補に残った(惜しくも受賞は逃した。同じ年に日本の小川洋子『密やかな結晶』の英語訳が前者の最終候補、柳美里『JR上野駅公園口』の英語訳が後者の受賞作となった)。

本書はこうして世界的に大きな注目が集まったペルシア語から英語への翻訳作品なのだが、そこで注目を浴びてもいいはずの英訳者については「安全上の理由および本人からの要請によって匿名」とされている。英語圏では翻訳者の役割が日本と比べるとかなり軽く見られているので場合によっては英訳者の名前が本に記されていないこともあるが、「安全上の理由」で匿名というのはかなり異例だ。
それが何を意味するかは、本書をお読みになれば理解していただけると思う。要はイラン革命とホメイニー師に対するかなり辛辣な記述が含まれているということである。同じ理由で、ペルシア語版はイランで非公式な形でしか手に入らない。この作品は奇しくもそれゆえに、国境と文化を越える文学作品の重要性を私たちに見せつけると同時に、現代における翻訳の重要性を示すことになった。
これに関連してどうしても思い起こさずにいられないのは、一九八八年にサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』が刊行された際、その内容が冒瀆的であるという理由で当時のイランの最高指導者ホメイニー師が著者に対して死刑を宣告するファトワー(宗教令)を発令した出来事だ。幸いラシュディは今日まで存命だが、同書を日本語に翻訳した筑波大学助教授の五十嵐一氏は一九九一年に何者かに殺害されている(犯人はいまだに捕まっていない)。この機会に五十嵐氏のご冥福を改めて祈りたい。

さて本書の内容だが、短くまとめるなら、「イラン・イスラーム革命に翻弄される一家の姿を魔術的リアリズムの手法で印象的に描く傑作」ということになるだろう。ガブリエル・ガルシア=マルケスやサルマン・ラシュディでおなじみの魔術的リアリズムに『千一夜物語(アラビアン・ナイト)』的な宝探しの物語や死者、幽霊、幽鬼(ジン)などが加わり(奇想天外で多彩な物語の代名詞でもある『千一夜物語』の起源はアラビアではなく、イランであることも思い起こそう)、時代背景としてのイラン・イスラーム革命(一九七九年)の悲惨な側面や、スマートフォン、SNSなどが小説世界で融合している様は壮観で新鮮だ。生者と死者、歴史と現在、野蛮と崇高を織り交ぜるその語りは間違いなく、私たちが小説や物語を愛する理由を改めて思い出させてくれるだろう。
語り手となる主人公は十三歳の少女バハール。父フーシャング、母ロザー、兄ソフラーブ、姉ビーターと首都テヘランに暮らしていた五人の家族は一九七九年に起きたイラン・イスラーム革命で恐ろしい悲劇に巻き込まれ、北の僻地にあるラーザーンという村に移り住む。ところがやがて村にも革命勢力の手が迫り、一家はさらにじわじわと追い詰められていく。しかしこの小説はいたるところで人々の立ち直る力や希望も垣間見せてくれる。

本書の魅力は魔術的な幻想性ばかりではない。語られるエピソードの一つ一つにはゾロアスター教的な文化や中東圏の風味が感じられ、それぞれに興味深い。物語の中心舞台はイスラーム革命期前後のテヘランと僻地なので、イランの現代史と地方に残るペルシア文化が生き生きと描かれている。タイトルにある「スモモ」もペルシア文化に深く根付いた果物だし、ところどころに登場する燻製紅茶や独特の料理などからはエキゾチックな匂いが立ち上る。
物語の中では登場人物たちが身の上話を語る場面が多い。そこには、シェヘラザードが毎晩、王に聞かせた物語のような由緒正しき口承文学の面影がある。
『スモモの木の啓示』に〝書かれていること〟ばかりではなくその〝書かれ方〟にも独特な個性が現れている。ぐるぐると同じところに戻ってくるような話の進め方、前もって少しだけ言及があった出来事が後ろの方で詳しく語られたり、章の変わり目で巧妙に物語をつないだりする手法など、語りはよくある単線的な小説とは違う進み方をし、ほどよく緩急や転換が加えられている。それは言葉で描いた一種のアラベスク模様のようでもある。実際、語りの時間が揺れているばかりでなく、時に「雪は百七十七日間降り続けた」という妙に具体的な記述があったかと思うと、別の場所では逆に漠然と「何年かのち」と書かれていたりして、物理的な時間の経過まで伸び縮みしているように感じられる不思議な文体だ。

現代イランの政治と人々の幻想的な暮らしぶりを描く本作は空間的に限定された特定地域の現実を浮き彫りにしているのみならず、現代を生きる私たち皆の生がそれと深いところで通じ合っている。
それは深く読み込めばその共通点が見えてくるという意味ではなく、地理的にも文化的にも遠いところの話のようでいて、読んでいるととても身近にさえ感じられる。本書はそうした独特な個性を放つとともに、時と場所を換えてやはり同じように政治や歴史、そして時には幻想に翻弄されて生きる私たち読者にも深い感動を与える。
蛇足ながらもう一点付け加えるなら、この作品のいくつかの章では少し実験的な語りの技法やメタフィクション的な仕掛けが用意されていたり、第五章冒頭では思わぬ事実が突然明かされたりするので、そういった一種の〝味変(あじへん)〟も楽しんでいただければ幸いである。

[書き手]堤幸(つつみ・みゆき)
翻訳家。
スモモの木の啓示 / ショクーフェ・アーザル
スモモの木の啓示
  • 著者:ショクーフェ・アーザル
  • 翻訳:堤 幸
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(274ページ)
  • 発売日:2022-01-28
  • ISBN-10:4560090718
  • ISBN-13:978-4560090718
内容紹介:
イラン・イスラム革命に翻弄される一家の姿を13歳の少女バハールの語りで描く。亡命イラン人作家による魔術的リアリズムの傑作長篇

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