後書き

『家の本』(白水社)

  • 2022/10/14
家の本 / アンドレア・バイヤーニ
家の本
  • 著者:アンドレア・バイヤーニ
  • 翻訳:栗原 俊秀
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(332ページ)
  • 発売日:2022-09-30
  • ISBN-10:4560090777
  • ISBN-13:978-4560090770
内容紹介:
家はいつだって見守っている。「私」が過ごしてきた家々が語る、「私」の人生の光と影。アントニオ・タブッキ、ジュンパ・ラヒリ激賞
生前のアントニオ・タブッキが高く評価し、深い親交を結んだ、ローマ生まれの小説家・詩人であるアンドレア・バイヤーニ。日本で初めて紹介されるこの作家の代表作と言える本書を、翻訳された栗原俊秀さんに解説していただきます。
なお、この「訳者あとがき」は、栗原さんのnoteで全文を公開しております。(https://note.com/kuritalia/n/nb41030197b26

家々が語る「私」の愛と孤独に彩られた人生

二〇二一年、イタリアでもっとも著名な文学賞「ストレーガ賞」のロングリスト(一次選考候補)に選ばれた十二作品を紹介する動画のなかで、審査委員長のメラニア・G・マッズッコは、同年の候補作に共通して認められる特徴として、作家の私的な経験を反映させた物語が多いことを指摘している。作品の舞台は往々にして、地方、郊外に設定され、友人や家族との関係性に焦点が当てられる。個人の物語が「大文字の歴史」に結びつくケースもなくはないが、基本的には、内輪で完結する「ミクロストリア」の性格が色濃い。一部の作品では、「住まわれ、失われ、物に占拠され侵蝕された家が、ある種の〈登場人物〉のように」描かれている。私たちが丸一年、家屋という物理的な「壁」、国境というメタフォリックな「壁」に閉じこめられて過ごしてきた事実を踏まえるなら、同年の優れた文芸作品がこうした諸特徴を共有していることは、けっして偶然ではないだろうと、マッズッコは締めくくっている。この年、ストレーガ賞の一次選考を通過し、最終候補(ショートリスト)の五冊に残った作品のひとつが、ここに訳出したアンドレア・バイヤーニ『家の本』(Il libro delle case, Feltrinelli, 2021)である。

イタリアでは、二〇二〇年の春から長きにわたって、「家にいよう」が社会を守るための合言葉となっていた。それはまた、「家」という場のもつ意味、担う役割が、多かれ少なかれ変質を被った時期でもある。「家とはなにか?」、「私たちは家についてなにを知っているのか?」こうした問いに意識を向けるよう、私たち読者に促してくる本書『家の本』は、家と人の関係が再考された一年を象徴する一冊とも言える。

もっとも、作品を読んでいただければわかることだが、この本はパンデミックを題材とした小説ではけっしてない。「ガスプラントの家、二〇二〇年」と題された第六十五章において、ロックダウンのさなかと思しきローマの光景が描かれている点を除けば、作中に、新型コロナウィルスを想起させる記述はいっさい見当たらない。

小説は全七十八章から構成され、ひとつひとつの章に、家の名前(「○○の家」)と年号からなるタイトルがつけられている。「地下の家」、「亀の家」、「姦通の家」、「言葉の家」……数ページ、ときには二ページにも満たない短い章の連なりのなかから、「私」が生きてきた時間と空間が浮かびあがる。

叙述スタイルには、いくつかの際立った特徴がある。まず、本書は「私」という人物をめぐる物語だが、にもかかわらず、一人称ではなく三人称の小説として書かれている。英語やフランス語と同様、イタリア語は主語の人称により動詞の活用が変わってくる。『家の本』では、動作主が「私」の場合も三人称単数の活用形が用いられ、語り手と「私」のあいだに明確な線が引かれている。

登場人物に名前がない点も、一般的な小説と趣を異にする点である。なお、イタリア語原文では、「私」は「Io」、「父」は「Padre」、亀は「Tartaruga」といった具合に、語頭に大文字が用いられ、あたかも固有名詞であるかのように表記されている(ただし、「Tartaruga」と大文字で書かれる亀は、「私」が同居していた「地下の家」の亀に限られる)。訳文のなかで、「私」を鉤括弧でくくる処置をしたのは、三人称としての「私」、固有名詞としての「私」という側面を読み手に伝えんがための、訳者による窮余の策である。

さらに、この小説には会話の場面が存在しない。ごくまれに、登場人物の発言が鉤括弧とともに提示されることもあるが、それらはみな一方通行の発話であり、いかなる応答も得られないまま虚空のなかに紛れて消える。『家の本』は「声」を欠いた小説であり、本書を読んでいるあいだ、読者の耳は深い静寂に包まれる。

[書き手]栗原俊秀(翻訳家・専門はイタリア文学)
家の本 / アンドレア・バイヤーニ
家の本
  • 著者:アンドレア・バイヤーニ
  • 翻訳:栗原 俊秀
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(332ページ)
  • 発売日:2022-09-30
  • ISBN-10:4560090777
  • ISBN-13:978-4560090770
内容紹介:
家はいつだって見守っている。「私」が過ごしてきた家々が語る、「私」の人生の光と影。アントニオ・タブッキ、ジュンパ・ラヒリ激賞

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