終わりなき問い「絵画の床を重視」
セザンヌやルノアールの回想録でも知られる画商アンブロワーズ・ヴォラールは、ドガとも生涯にわたってつきあいがあり、一冊の本を書き残している。彼はまた自身が収集したこの画家の作品を組み込んだ書物を夢見ていて、一九二九年、おなじくドガをよく知り、その仕事に深い関心を寄せていた詩人ポール・ヴァレリーに文章を依頼した。Dで頭韻を踏むこの弾むようなタイトルの画文集が刊行されたのは、画家が亡くなって二十年近くが経過した、三七年のことである。ヴァレリーの文章には既訳があり、長く読み継がれてきた。しかし、「エドガール・ドガの何枚かの習作のかたわら」で自身の思索を展開すると冒頭で記されているにもかかわらず、これまで紹介されてきたのは文章のみで、図版も資料にとどまっていた。ヴォラール版が容易に参照できない稀覯本(きこうぼん)だったこともあり、ヴァレリーの思考がどの絵を見ながら展開されているのか、図版と文章の関係性について本格的な分析は行われていなかったのだ。
状況を一変させたのは、二〇一七年、オルセー美術館で開催された、ヴォラール版を読み解く展覧会だった。これを機に原書が復刻されたことによって、画商が選別した図版のつながりや、「かたわら」にいた詩人の言葉の息づかいが明らかになった。今回の新訳には、これらの図版がすべて収められている。
ヴァレリーがドガに出会ったのは、一八九六年、友人の父親アンリ・ルアールの家でのことである。ルアールはドガと学生時代からの友人で、機械製造業者にして絵画コレクター、自身も絵を描き、ドガの弟子でもあった。ここにはヴァレリー自身の見聞だけでなく、ルアールらの思い出話も活用されていて、それが本書の形式をより自由なものにしている。
ドガとはいかなる画家なのか。厳格、鋭敏、繊細、高みを目指す強い意志と類い稀(まれ)な知性。ナポリ人の血を引き、政治的には反ドレフュス、反ユダヤ人派で、自説をまげない頑固さと自己への疑いを共存させながら、さらなる精神の完璧さを求める人。
踊り子を盛んに描いたが、それは彼女たちを一種の数学のように、「明確に定義する」ためだった。踊り子は身体の動きを不定形なものにいったん崩してから、それを一連の動作として組み直す。「かたち」のないものに「かたち」を与えていく地道な作業を通じて、踊り子は舞台の上で過ぎて行く瞬間を持続に変え、時間に「ひろがりの装飾」を加える。借りものではない動きが生まれるのはそのあとだが、作品とは「かぎりない数の習作の結果、一連の操作の結果」であって、「完成」がない。だからドガは人に買われた旧作を見るたびに、手を入れたがった。
「<デッサン>とはかたち(フォルム)ではない。それはかたち(フォルム)の見方なのだ」とドガは言った。かたちのないものをいかにかたちにしていくのか、その終わりなき問いの反復に必要なのは、しっかりした床である。ドガは「絵画の床を重視した」。ヴァレリーもまた、この画家との対話によって自身の散文の足裏に感じられる床の質を高めた。この床をさらに補強する周到な「訳者あとがき」も、重要なデッサンの一枚である。