※2021年4月17日(土)~9月5日(日)開催
フジタ―「色彩」と「質感」の旅
日本の質感と西洋の色彩
日本のアーティストが世界で勝負するためには、「質感」しかない。“色彩”では到底かなわない。これはフランスの風景を色彩分析した書籍『フランスの色景』を共編著した後に出した私の結論である(註1)。その後、フジタがそのことをはるか前に気付き、実践していたと知った。フジタはその意味で、ヨーロッパ中心の芸術界において、日本の「強み」を理解して勝負し、勝った最初のアーティストといえるかもしれない。それではなぜフジタは「質感」で勝負したのだろうか。近年、気候と質感認知、そして絵画様式との関係性について研究され始めている(註2)。モンスーン気候の地域は、湿度が高く雲や霧が頻繁に発生し、靄がかっており、光が散乱して陰影がはっきりでない照明環境に囲まれている。その結果、モンスーン気候下の絵画様式は、ハイライトや陰影がなく平面的で画材の「質感」を重視する描き方が主となったと推測される。
そもそも色を感じる人間の色覚は、「質感或いは材質認知の機能の一部」(註3)とされる。つまり、光の情報から素材の状態を知るための要素なのである。光が散乱して空間全体を覆うような「拡散照明」の気候の下では、材質の認知が難しいため、素材性を打ち消す色使いや、西洋のように画面内にイリュージョンの“質感”を生み出す技法は発達しなかったのではないか。特に大気に水蒸気を多く含む海洋に囲まれた日本列島において、その傾向は強いように思える。現代に至るまで物質の「質感」を重視する日本人の感性は、日本の照明環境で育まれたといえよう。
一方、遠近法が発達した地中海性気候とは真逆といってよい。ヨーロッパの色彩感覚は、地中海性気候で育まれ、北方との交流の中で絵画技法が洗練されていった。絵画内でイリュージョンの“質感”を描写することができたのは、明るい日差しによる指向性の強い照明光、乾燥して透き通った大気などの照明環境、そしてレンズと光学の発達だろう。
“色彩”が映え、画面内で“質感”を描写できる条件が整っていた。画家が15世紀という早い段階から凸面鏡のような光学機器を使用していたことをイギリス出身の画家、デイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937–)は報告している(註4)。
しかし、そのような遠近法を主とした質感描写は、カメラの発明で技術的に完成したため、印象派前後から解体されていく。印象派の画家たちが影響を受けた日本の浮世絵は、北斎や広重など、江戸後期の作品が主であり、長崎を経由して伝わった遠近法の影響下にある。しかし、陰影のない平面性、スナップ写真のような構図、ありえない視点、少ない色を使った大胆な色面構成は、西洋絵画の質感描写を変えていく。さらに、ミシェル゠ウジューヌ・シュヴルール(Michel-Eugène Chevreul, 1786–1889)やオグデン・ニコラス・ルード(Ogden Nicholas Rood, 1831–1902)などの科学的な色彩理論や化学の発達による絵具の進化が後押しした。「筆触分割」により、画面内の細かな“質感”は解体し、脳内で混色が行われる“印象”に近づいたのだ。印象派はイリュージョンの“質感”を捨て、知覚現象としての“印象”に舵を切ったのである。
錯覚から再現へ
フジタは印象派の画家が捨てた質感描写とは別の方法で「質感」を表現することを試みる。フジタは「皮膚という質の軟らかさ、滑かさ、しかしてカンバスその物が既に皮膚の味を与える様な質のカンバスを考案することに着手した」(註5)と述べている。つまり画面内にイリュージョンとして肌を表現するのではなく、物質としての肌を再現させるのだ。それは「グラン・フォン・ブラン(素晴らしき白)」、いわゆる「乳白色の下地」「乳白色の肌」として絶賛されることになる。2次元のイリュージョンである絵画の中に、現実空間と地続きの実際の「肌」があるわけなので、見る人にかなり衝撃を与えたであろう。「皮膚の実現肌その物の質をかいたのは私を以て最初として、私の裸体画が他の人の裸体画と全く別扱いされた」(註6)という。そこにほとんど「影(shadow)」の描写はない。「陰(shade)」は軽く塗られているが、「影」の描写がないため光源が特定できない。したがって、時間や空間も同定できず「宙に浮いた」存在に見えるが、その中に生々しい「肌」だけが迫ってくる。そのギャップにも認知が狂わされる。人間の知覚には色の恒常性(color constancy)があり、普段、物質にあたる光の変化は意識していない(脳が光の変化の差分をとっている)。カメラのように光をそのまま受け取ってしまうと、色はどんどん変わり、その物体を同定できない(デジタルカメラはそのために色温度を合わせるホワイトバランス機能がある)。春信、歌麿に言及し(註7)、もともと陰影のない浮世絵を参照したとはいえ、光源を特定しない方法をフジタは自覚的に採用したのではないかと思われる。
今回、「乳白色の肌」を使用した1920年代初期の作品《坐る女》(1921年、ポーラ美術館)(註8)を見たとき、地塗りと絵具の薄さに反して、そこから見える「肌」の生々しさに驚かされた。「艶消し」された表面の下に透明感があり、ほんのり赤みを帯びて血が通っているように見える。しかし、「影」どころか「陰」もほとんど描いておらず、下地と絵具の微妙な厚みの差で表現されている。フジタは、イリュージョンを生む陰影を描くと、材質の認知とバッティングすると考えたのではないか。そして、浮世絵にも西洋絵画にもない、肌の材質、「質感」を生むことに成功している。
1930年代―中南米・アジアの作品の色彩分析
フジタは1930年代に中南米や東南アジアを歴訪する。そこから新しい「色彩」を獲得する。それは印象派からポスト印象派、フォーヴィスムに至る画家の移動による“色彩”の獲得を想起させる。北フランスから南仏、さらに北アフリカや南島など照度の高い地域への画家の移動は、そのままあざやかな色彩表現への変化と比例している。イリュージョンから印象(知覚現象)に変化し、ついには“色彩”そのものになる、というのが印象派からフォーヴィスム、抽象絵画への流れである。そこに身体と照明という知覚的、物理的な環境の変化があることを見落としてはならないだろう。註1 港千尋(写真家・著述家)が撮影した40枚のフランスの風景を色彩分析した。港千尋、三木学編著『フランスの色景:写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年。
註2 本吉勇「芸術における質感」、小松英彦編『質感の科学』朝倉書店、2016年、191–193頁。
註3 小松英彦「色と質感を認識する脳と心の働き」、近藤寿人編『芸術と脳:絵画と文学、時間と空間の脳科学』大阪大学出版会、2013年、212頁。
註4 デイヴィッド・ホックニー『秘密の知識:巨匠も用いた知られざる技術の解明』木下哲夫訳、青幻舎、2010年。
註5 藤田嗣治、近藤史人編『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫、2005年、191頁。
註6 同上、同頁。
註7 同上、同頁。
註8 おそらく尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》(1503–06年頃)を意識した作品であろう。
全文はぜひ本図録にてお楽しみください。