書評
『絵画と現代思想』(新書館)
絵と思想の関係、あらわに浮かび上がり
地勢図ではなく、東京からそこに行くのに要する時間を軸に描かれた日本地図があるそうだ。見えないけれど、距離以上にリアルな地図。ベンヤミンとクレー、メルロ=ポンティとセザンヌ、フーコーとマグリットというふうに、絵画論がそのまま思想のもっとも本質的な骨格を映しだすという書き物はある。が、ここで提示される絵と思考との関係は、水位がもっと低い。そう、遠さ、近さを別の力線で描きだすあの地図のように。
レオナルドにおける洞窟(どうくつ)の暗闇へのおびえや洪水へのおののきと、「破裂してしまうかもしれない機械」として、哄笑(こうしょう)とともに善悪の彼岸を謳(うた)ったニーチェの思考の奔流。得体(えたい)の知れないものを挿入するホルバインの歪像(わいぞう)描法と、フロイトが人間の無意識のなかにみた死への強迫。晩年のゴヤが描く赤貧、老醜、残酷、怪異と、法外な無意味に「至高性」の魅惑をみたバタイユ。晩年のゴッホがその狂気のヴィジョンのなかで甦(よみがえ)らせたものと、フーコーのいう「悲劇的な根源の喪失」。「無意味なものの豊かさに滅ぼされかかって」いるトゥオンブリの海戦の絵と、生の「軽やかな豊饒(ほうじょう)」に開かれたバルトのエッセイ的思考……。
遠近法という様式が壊れ、物の形が崩れて、平面として、マチエールとして、絵がその質料性をあらわにしてくる過程。そのなかで不気味に浮かび上がってくる死、暴力、不安、狂気、欲動、夢想のイメージ。<非知>という限界、あるいは意味の彼方(かなた)にまで、われわれをひっぱってきたおよそ一世紀の思考は、そのようなイメージと接触して激しく発火した。
そのような発火点の断続に、著者は、近代西欧が想定していた「主体」が破裂してゆく過程を読む。「個が個ならざるものへ解体してゆく過程で現れてくる何ものか、あえて言えば、死とともにある生命の相貌(そうぼう)」にふれるという出来事を、である。ここに引かれた力線の数々、マルローにことよせていえば、それは酒井版『空想の美術館』だ。
朝日新聞 2004年01月11日
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