書評

『ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌』(河出書房新社)

  • 2017/08/19
ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌 / ワイリー サイファー
ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌
  • 著者:ワイリー サイファー
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • ISBN:4309230040
内容紹介:
18世紀の様式ロココから、ロマン派、印象派、アール・ヌーヴォーなどをへて、近代の様式キュビスムが成立する過程を、文学、芸術、思想の類似性を分析しつつ考察する名著『ルネサンス様式の四段階』の続篇!

ピクチャレスクに孕まれた「様式」志向

その過小評価ないし不当な無視がひとり美術史のみか文学、文化史の領域において今進行中の「近代」史の書き換え作業にとって致命的に大きな損失であると、ぼくなどかねて声を大にして主張してきた文化史家ワイリー・サイファーの名著の邦訳を喜びたい。このたびの邦訳をもって、『ルネサンス様式の四段階』(一九五五)に始まり、『ロココからキュビズムへ』(六〇)、『自我の喪失』(六二)、『文学とテクノロジー』(七一)と続いていったサイファーの壮大なヨーロッパ近代批判の四部作がすべて邦訳で読めるようになった。最後の一著を除く三点を一貫した熱意で邦訳刊行してきた河村錠一郎氏と河出書房新杜は、受けいれようと受けいれまいと必ずや一度対決せずには今後その先には一歩も進めない、透徹し、巨大なスケールを持ったヨーロッパ文化論ないし「近代」論の全貌を、われわれ日本の読者にこうしてつきつけたことになるだろう。今回邦訳作ひとつでも、絵画と文学に等しく通じ尽くし、しかも同時代思想史の骨子にも驚くべき目配りをしていくサイファー文化史の手際は存分に堪能できるのだが、飽くまで右(事務局注:上)の四冊をひとまとまりとして読み通さねば、今世紀後半最大の文化史家の一人とも目すべきこの史家の凄みは十分には理解されないと思う。出発の時期も、着眼も危機意識もホッケのマニエリスム論とほぼ一致していながら、『迷宮としての世界』から『絶望と確信』にいたるホッケ一流の哲学趣味もアジテーションもなく、ひたすらテクストに即して論を展開してくれたサイファーの良さをこの頃あらためて好もしいと思うのだが、それは特に今回作について言える。文化史家などと雑駁に括(くく)られる人種とは隔絶した繊細そのものの耳を、文学テクストに対して持つ人であることをサイファー自ら証明してみせてくれたからだ。詩を内容から形式へと転換させていった動向を扱うのが本書の一大主題でもある以上、引用される詩は十八世紀ロココ詩人アレグザンダー・ポープから二十世紀アメリカのウォレス・スティーヴンズまで、繊細と晦渋をもって鳴る詩人たちばかりであって、邦訳も一読者としてもっぱらその点ばかり心配していたが、どうやら望みうる最高の邦訳となっているようで、感心した。但し原詩のたとえば音韻にかかわる技巧上の綾をこちらに味読させようという意図がサイファーにある以上、原詩対照であるべきだと思うが、如何。サイファーの本はどういうわけか、どれも今日入手困難なものばかりなので、興味を持った読者が原文に当る必要のないようにするできる限りの工夫は望みたい。いつまでも参照に足る貴重な参考書でもある本なのだから。

さて今回作は前著『ルネサンス様式の四段階』が「一四〇〇ー一七〇〇年における文学・美術の変貌」を副題にうたっていたあとを引き継いで、それ以降の近代全般を、十八世紀ロココ、ピクチャレスク、ロマン派から「ネオ・マニエリスム的状況」へ、印象主義、アール・ヌーヴォー、キュビズムまでクロノロジーに沿って追う。美術と文学を一切区別しない自在無碍の引用ぶりも『ルネサンス様式の四段階』で既になじみのもの。サイファー自身言っているようにこの二著がまず連作として成立し、今回作の後半にかかわる問題が、のち『自我の喪失』『文学とテクノロジー』としてさらに精密に展開されていったのであって、翻訳が先に出てしまった『目我の喪失』『文学とテクノロジー』の視点と語彙とが今回作後半に随分重複して出てくるのはそのためである。今回あらためて出版年代順に並べて読み直してみることを強く勧めたい。議論の一貫性に驚かされることだろう。

「様式」と呼べるものがロココを最後に消滅し、それが今世紀キュビズム文芸の中に確かに蘇えるまでの「様式の喪失」と、様式をめざす運動として、「様式化」の連続体として、十八世紀から二十世紀中葉までの芸術の動向を一貫して記述するというのが今回邦訳作の眼目である。

まず「これまで数多くの曖昧な定義」のもとに曇らされてきたロココを、いずれは「ネオ・ロココ」 としてのアール・ヌーヴォーに蘇えるべき自立した、「線に沿って展開する」様式の美として切り出す。それも英文学史の精華とも言うべきポープの復雑精巧な詩文の解読を通じてそれを納得させようというあたり、余人には仲々できぬ至芸である。卓れたポープ研究者で「テクストのテクスト」というすぐれたポープ論の書き手(未公刊)でもある加藤光也氏の訳文はすばらしく芸術的である。本格的ロマン派の到来の前に「ジャンル・ピトレスク」という中間形態を措定し、それをウィリアム・コリンズの詩で分析する手際も同断で、この辺は具体的なテクストの分析を伴うことのない、たとえばハウザーの『マニエリスム』中のマニエリスム文学論などとは自ずと隔絶した自負と優美の書であり、読む快楽さえある。

そして「一七五〇年から一九〇〇年にかけて」ロマン主義、象徴主義、写実主義という「様式の喪失」の時代が続く。いわば「感情の饒舌」(ニーチェ)が形式と構成への配慮を圧して奔流のように溢れだした時期ということで、これが十九世紀未の「ネオ・マニエリスム的状況」の中での様式への衝迫を通して抑制され、ついには形式としての自らの外部に何らかの実体が先在することを認めないキュビズムへとつながる、とする。大味と称されるサイファーだが(大展望をスケッチするのが彼の眼目なのだから、本来「ないものねだり」ではないのか)、本書ではどうして特にその辺の配慮は細心で、一人一人のアーチストが孕んでいた矛盾や過渡性も十分に描きこまれている。内容から形式へ、「様式の喪失」から様式の再発見へという右の図式も少しも抽象的な感じを与えず、細かいゆれを繰り返しながら全体として確かにこうなっていったのだなといういかにも説得力に満ちたものとなっている。たとえばピクチャレスク文献が汗牛充棟の感さえある昨今から見れば、あるいはジャン・クレイの『ロマンティシズム』『印象派』といったそれこそサイファーばりの視点と視野を持った類書が少しは見られるようなこの頃から見れば、サイファーの巨大な構図にしろ、絵を同時代の他のディシプリンとの自由自在な相関関係で見るような論述の仕方にしろ、もはや珍しいものとも思えなくなっているのかもしれないが、これが一九六〇年刊行の本であることにあらためて驚いておきたいと思う。「ピクチャレスク」などと言ってもクリストファー・ハッシーの『ピクチャレスク論』(一九二七)以外の何の文献もない時代に、早くもピクチャレスクの多様な局面に目配りした上、その中に孕まれた「様式」への志向をちゃんと析出してみせたりする。特に先駆的なのは、十九世紀末美学に著しい、内容から形式へという白意識の方向を「ネオ・マニエリスム」という形で整理している点で、これは『ルネサンス様式の四段階』でマニエリスム研究を徹底してやってきた人にしかできない芸当だろう。ポントルモやティントレットについて論じられた同じ問題をそっくりエドマンド・バークやフロベールやヘンリー・ジェイムズについて論じることを許す、今ではそう珍しくもないマニエリスムとしての世紀末文芸という議論は、五〇年代末、ホッケと雁行してこのサイファーが先鞭をつけたものなのだなということが、特に本書を見て良く了解できた。

【この書評が収録されている書籍】
ブック・カーニヴァル / 高山 宏
ブック・カーニヴァル
  • 著者:高山 宏
  • 出版社:自由國民社
  • 装丁:単行本(1198ページ)
  • ISBN:4426678005
内容紹介:
とにかく誰かの本を読み、書評を書き続け、それがさらに新たなる本や人との出会いを生む…。「字」と「知」のばけもの、タカヤマが贈る前代未聞、厖大無比の書評集。荒俣宏、安原顕ら101名の寄稿も収載した、「叡知」論集。

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ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌 / ワイリー サイファー
ロココからキュビスムへ―18~20世紀における文学・美術の変貌
  • 著者:ワイリー サイファー
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • ISBN:4309230040
内容紹介:
18世紀の様式ロココから、ロマン派、印象派、アール・ヌーヴォーなどをへて、近代の様式キュビスムが成立する過程を、文学、芸術、思想の類似性を分析しつつ考察する名著『ルネサンス様式の四段階』の続篇!

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初出メディア

みづゑ

みづゑ 1988年冬号

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