本文抜粋

『移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/03/23
移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画― / 三浦 篤
移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画―
  • 著者:三浦 篤
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(574ページ)
  • 発売日:2021-03-10
  • ISBN-10:4815810168
  • ISBN-13:978-4815810160
内容紹介:
グローバルな〈美〉の往還――。日本から西洋へ、そして西洋から日本へと海を越えた芸術の種子。どのように移動・変容・開花したのか。「アカデミスム対前衛」の構図に囚われることなく、ジャポニスムの多面的展開から近代洋画の創出まで、フランスを中心に一望し、選択的な交雑による新たな芸術史を描きだす。
ラファエル・コラン(1850~1916)という名の画家をご存じだろうか。あの黒田清輝が師と仰ぎ、フランスへ留学した多くの日本人画家たちとの間に深い絆を結んだ人物だ。近年、ようやく再評価が進められている。19世紀後半から20世紀にかけて、相互に「影響」を与え合っていた日本美術と西洋美術。美術史家・三浦篤の最新刊『移り棲む美術』を手がかりに、この豊かな交流の歴史を旅してみよう。以下、本書の「序章」抜粋を特別公開する。

洋画家・黒田清輝らを開花させた、日本とフランスの濃密な美術交流

先生は花ものを非常に好かれて、始めの別荘は庭があつても、これに栽培するほどの広さではなかつたので、其外に千坪ばかりの地面を借りて、そこでは専ら花ものを栽培された。温室は可成のものが二つあつて、主に蘭科植物を栽培されて居た。日本の、例へば牡丹とか百合とかも取寄せられた事もあつた。先生の庭で最も綺麗であつた花で、記憶に残つて居るのは石楠花であつた。種類も多くあつて非常に美しい花を見ることがあつた。一九〇〇年即ち明治三十三年に行つた時などは、この庭の一隅に小高い丘があり、その上に亭のやうのものがあつて、そこで先生の母堂――その頃未だ存命であつて八十歳位であつたらう――などゝ写真を写したこともあつた。そして賑やかな楽しい食事の饗応を受けた。
黒田清輝「コラン先生の追憶談」『美術新報』第16巻第2号、1916(大正5)年12月22日

明治を代表する洋画家黒田清輝が恩師ラファエル・コラン死亡の知らせを受けて、1916(大正5)年12月に美術雑誌に寄せた回想の一節である。実は、画家コランの日本愛好は園芸に留まらず、日本の美術工芸品の蒐集というもうひとつの顔を持ち、こちらは自らの芸術とも直結する嗜好であった。コランのジャポニスム(日本趣味)において園芸と美術が重なっているのは面白い。

考えてみれば、ある美術品が別の国や地域に運ばれ、刺戟を波及させてその土地の美術に新たな展開をもたらすのは、ちょうどある花の種や苗が海を渡り、異国の地に根付いて花を咲かせるようなものではないか。異種交配の結果、それまでにない品種が生まれることもある。そんな現象が19世紀後半から20世紀初めにかけて、日本とフランスの美術の間で濃密に展開したのである。しかも、日本美術がフランス美術へ、フランス美術が日本美術へと、相互に感化し合う双方向的な関係になっていた。浮世絵版画や屏風や水墨画が、陶磁器や漆器、扇子や団扇が19世紀後半のフランスに招来され、触媒となってフランス美術に多彩な変容を促した。やや遅れて日本の洋画家たちがパリにやってきて油絵を学び、帰国して母国に「西洋画」を移植することになる。日本美術のコレクターであり、多くの日本の洋画家たちを育成したコランは、この流れの中で要の位置を占めている。そのような日仏美術交流の豊かな様相、「移り棲む美術」の興味深い動態を、本書の中で具体的に解明していきたい。

受容研究と「影響論」

美術史研究でよく使われる「影響」という言葉には、どうしても受動的なニュアンスがつきまとう。ある出会いがあり、その「影響」の下に作品が作られる。受け取る側が与える側から一方的に刺戟をもらったかのような錯覚に陥り、受け取る側の主体性を軽視する傾向に陥りがちである。造形作家を受容者として想定する場合、「影響源」から何を汲み出し、何を新しく作り出したのかを問う創造的な受容の論議がもっと必要ではないのか。

言語を通して絵画を説明することを精密に考察した美術史家マイケル・バクサンドールは、『意図の諸相――絵画の歴史的な説明について』の中で、美術史で「影響」について論じるときの陥穽を指摘し、作用者が受容者を変えたと考えるのではなく、逆に受容者が作用者をどう変えたのかという視点を保持する重要性を強調している。すなわち、作用者Xよりも受容者Yの主体性を重視する視点に立てば、YがXに「影響される」というよりも、YがXを「利用する」「翻案する」「吸収する」「作り変える」「再構成する」「洗練させる」等々(バクサンドールは46個の動詞や動詞句を例示している)、移り棲む形態の様相が無限の広がりや細やかさとともに見えてくるのである。受動的なベクトルに立つ従来型の「影響論」ではなくて、ポジティヴな「受容論」を展開することが、美術史学の課題のひとつであるのは間違いない。本書では受容研究の課題を考察しながら、日本美術とフランス美術の相互的な摂取の実態について、19世紀後半の絵画を主たる対象として論じてみたい。

受容の媒体と文化の力学

受容の在り方に加えて、受容の媒体という問題もある。画家は常に作品そのものを見て刺戟を受けているわけではない。例えば、ジャポニスムの母体になった日本の美術工芸品は、開国とともに相当数がフランスに渡っているので、作品や品物をフランスの画家たちが実見する機会は確かに多かった。ただし、一点物の作品や簡単に海を渡らない貴重な作品はおいそれと見ることはかなわなかった。また、書籍の図版や雑誌の挿絵など複製を通じて日本美術、日本文化を知る場合も少なからずあったと思われる。逆に、日本人にとってのフランス絵画を考えてみると、特に明治時代においては、稀な例外を除けば実作品を日本で見ることは容易ではなく、はじめは模写や複製図版(版画、写真)を通して知ることが圧倒的に多かった。画家を含めた帰朝者たちがもたらしたり、取り寄せたりしたのであろうが、それとともに新聞や美術雑誌等の印刷媒体を通じてフランス絵画のイメージは広く流布していった。結局、日本近代初期においてフランス絵画は、渡航画家を除けば間接的、擬似的な視覚体験を通して受容されたことになるのである。

さらに受容論の背後には、歴史的な背景と文化の力学という問題も横たわっている。日本とフランスの美術交流には幕末以来の長い蓄積があるが、それは決して対等の関係に立つものではなかった。19世紀後半の欧米における日本美術の受容、つまり「ジャポニスム」について、日本の浮世絵版画や工芸品に対する熱狂ぶりがしばしば語られる。しかしながら、西洋列強の植民地主義の流れのなかで最初は異国趣味の対象として発見された日本美術と、その西洋に追いつこうと「文明開化」に走り、日本にはない技術への渇望と文化への憧れとともに受容した西洋絵画との間に、厳密な意味での対称的な関係はない。芸術の次元で日本とフランスが互いに惹かれ合ったのだとしても、西洋列強が世界を席巻しようとするこの時代において、両者は政治的に非対称的な枠組みのもとで交流を行っていたことは認識しなければならない。西洋近代文明の波及力は強く、フランスが日本に憧れる以上に、日本のフランスへの憧れは強かった。それはエキゾチックな好奇心の次元とは異なり、西洋文明そのものの摂取ともつながるがゆえに、憧憬の念はなおさら大きかった。だからこそ、西洋絵画に晒された日本絵画の方はいわゆる「洋画」と「日本画」の二つに分裂することになったが、フランスではそのような現象は起こらなかったのである。以上のような受容の歴史的位相の違いも踏まえながら、「ジャポニスム、コラン、日本近代洋画」に見られる「移り棲む美術」の諸相を解明していきたい。

ジャポニスム、コラン、日本近代洋画

第I部「ジャポニスムの群生」では、日本の開国以来、日本の美術工芸品がフランスに渡り、ジャポニスム現象を巻き起こし、フランス美術にいかなる変容をもたらしたのかを絵画を中心に据えて考察してみたい。サロンで活躍した保守的な画家から前衛的なマネ、印象派にいたるまで、広範囲の作品を対象に日本美術との関連性を分析することにより、異国趣味にせよ造形革新にせよ、日本美術を触媒として取り込んだフランス美術がいかに変貌していったのかを詳細に検討してみよう。大陸寓意像、絵と文字の関係といった意想外の視点から日本趣味の問題に切り込む章もある。また、装飾美術のジャポニスムの例として陶磁器の場合を取り上げ、日本陶磁のフランスへの移入と評価、新しいフランス陶磁器の勃興について追跡する。

「蘇るラファエル・コラン」と題した第II部では、19世紀後半のアカデミックな画家のひとりに数えられるコランに光を当てることになる。外光下の裸婦像を得意としたコランは繊細優美な画風を特徴とし、当時一定の評価を得ていた。本書でコランを再評価するのは、冒頭で触れたように、ジャポニスムに密接に関わると同時に、パリに留学した日本の洋画家たちを指導した画家であるからだ。コランは第I部と第III部をつなぐ蝶番のような存在であり、特権的な媒介者として日本美術交流史にきわめて重要な役割を果たしている。

第III部「日本近代洋画の開花」においては、明治期の近代洋画をフランス美術との関係において捉え直そうとする。1878年のパリ万国博覧会が大きな契機となって、山本芳翠、五姓田義松、黒田清輝、さらには黒田の弟子たちがフランスに本格的に留学することになる。これらの洋画家たちがフランスのアカデミスム絵画を学習し咀嚼した後で、いかに日本独自の西洋画を確立していったのかを、作品に即して具体的に跡づけていく。もっとも大きな存在である黒田清輝に関しては、師ラファエル・コランから受けた教育課程の復元に加えて、黒田がコランを基本にしつつもフランス絵画の多様な潮流を摂取し、日本に移植しようと苦闘した様を検証したい。その際、ジャポニスムの環流というハイブリッドな現象にも着目して、日仏美術交流史を双方向的な視野に収めることができればと思う。

[書き手]三浦篤(美術史家、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書『近代芸術家の表象』、『まなざしのレッスン1 西洋伝統絵画』、『まなざしのレッスン2 西洋近現代絵画』、『エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』など多数。)
移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画― / 三浦 篤
移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画―
  • 著者:三浦 篤
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(574ページ)
  • 発売日:2021-03-10
  • ISBN-10:4815810168
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