書評

『如何様』(朝日新聞出版)

  • 2020/07/16
如何様 / 高山羽根子
如何様
  • 著者:高山羽根子
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:単行本(152ページ)
  • 発売日:2019-12-06
  • ISBN-10:4022516593
  • ISBN-13:978-4022516596
内容紹介:
敗戦後、戦地から復員した画家・平泉貫一は、出征前と同じ人物なのか。似ても似つかぬ姿で帰ってきたものの、時をおかずして男は失踪してしまう。兵役中に嫁いだ妻、調査の依頼主、妾、画廊主、軍部の関係者たち―何人もの証言からあぶり出される真偽のねじれ。調査を依頼された私がたどり着いたのは、貫一が贋作を得意としていたという事実だった。

高山羽根子『如何様』と「ラピード・レチェ」
――心に「活力」を与える想像力、心を傷つける想像力

真似るということは、その存在そのものになってみることなのです

これは、田口ランディの短篇に登場する真似ることが天才的な老人の言葉である。「真似る」という行為自体すでに虚構性を孕んでいるが、それを「存在そのもの」と表すことで人間の本質をも捉えている。人が強く信じたことは――たとえそれが虚構であっても――心に易々と入り込み、良くも悪くも空想の世界を支配する。想像力が人間の心に「活力」を与え、それが反復されれば現実に関する記憶さえ変容しうると考えたのは18世紀イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームである。また、想像力が生み出してしまう「狂信」に警鐘を鳴らしたのも彼であった。人間にとって必要不可欠な想像力が影の側面を併せ持つという認識は、フェイク・ニュースや政治の嘘が蔓延る現代社会の問題意識と地続きであることはいうまでもない。高山羽根子の小説世界は、「真似」「贋作」「ニセモノ」を切り口にして虚構性の実態を炙り出し、読者の心にも響く〈真偽〉の問題を鋭く問い直す。

『如何様』の語り手「私」は友人の榎田に持ちかけられた調査を引き受ける。戦争から復員し、しばらく家族と暮らした後に失踪してしまった「平泉貫一」という人物が別人にすり替わっていた疑いがあるので調べてもらいたいという依頼で、「私」は戦時中の貫一の動向を調べ、関係者らからも話を訊きだして真相を突き止めていく。生還した息子を別人然として認識した両親はそれを戦中の過酷さで変貌したからだと納得し、祝言を上げる前に出征してしまった夫が別人だったのかわからないまま夫婦になったタエは復員後の貫一しか知らないと言い、出征前から貫一を知っていた妾の金城クマは彼に変化があった印象はないと証言した。また「平泉作品の第一の鑑定者」と自負する画廊主の勝俣は「復員後の作品群を見れば、彼が平泉くんにちがいないとはっきりわか」ると主張する。

この作品で突出して面白いのは、語り手の「静か」だがしぶとい「好奇心」が、戦時中の国家機密まで掘り起こし、つまり貫一が優れた模写技術で軍のために入国許可証や証書などを作っていたことを突き止めてしまうプロセスだ。贋作を描くためにその画家になりきるほど真似に没入する貫一の奇妙さを、「私」は否定するどころか、むしろ深い共感をもって語る。戦時中に軍に所属し、あらゆるモノを模写する貫一の姿を近くで見ていた木ノ内はその仕事ぶりを褒め称えた。「私」は、貫一の身元を保証した書類が彼の手による「偽造」だったことさえ、善悪の価値を超えて、許容しているようだ。おそらくその理由は、貫一、あるいは彼になりきっている人物の嘘が「わかりやすく善と悪に収束しない、誰かがひどく損害を被ったり、直接傷つけられたりすることのない罪」として描かれているからだろう。他方、この小説が浮かび上がらせようとした罪深い虚構は、夥しい数の若者を戦地に送り込んだ国家のプロパガンダや英雄物語である。軍医だった加藤卓が戦地で診てきた無数の兵士の顔を「まあだいたいが真っ青で、笑顔もないような苦悶の顔をした男ばかり」と表現したが、そこには兵士を「個」たらしめる内面の「活力」は不在であった。

それに反して、戦中、戦後の貫一が「本物である」と家族や友人に感じさせたのも、彼の想像力の「活力」が生み出した虚構であった。重要なのは、本物瓜二つの入国許可証、証書、贋作などの制作に従事した貫一を、木ノ内は「兵士の士気をあげる〔従軍〕画家といったものよりも……ずっとすばらしい仕事ぶりであった」と評していることである。戦後彼が精力を傾けた修繕や模写の仕事は「爆弾で吹き飛んでしまった寺や神社の本尊やら、軸だとか細工鏡、書付、仏像など」であり、そのどれもが「受け取った人たちが恐ろしがるぐらい本物そっくり」であった。たとえ貫一が別の人間だったとしても、榎田が抱いていた「警戒感」を抱かずに幸せに暮らせたとタエに言わしめるほど、彼は「本物」になりきっていた。つまり、偽物の「貫一」が果たした役割は、残されたものの生に力を貸すことだった。この小説でもっとも印象深かったのが、戦地で戦っていたとある兵士を丸呑みにした蛇が生きたまま彼の故郷の家族に送られる逸話なのだが、それは「本物」とも「偽物」ともいえない、蛇のなかの兵士を遺族が彼として受容し、共に生きたいと願ったからである。「偽り」の様(さま)の「如何様」ではない、イカにも「本物」に見えるものに対して敬意を払う「如何様」が、高山の圧倒的な筆力で迫ってくる。

日本人女性が海外で駅伝競技を教える物語「ラピード・レチェ」にも、この虚構性のテーマが通底している。現地の選手も、「東洋で開発された競走」である駅伝の指導者である「私」も、互いの文化の違いや偏見に戸惑いながらも、この競技ルールのことや、箱根駅伝で活躍する人は「神様」と呼ばれたりすることなどについて対話を重ねていく。資本主義がベースでない社会、つまり「IKEAの真逆みたい」と形容される国で「私」がIKEAの家具に瓜二つだが実際はそうでないものに着目する場面は、異化作用が働いている。本物のようでいて複製でもあるIKEA家具から「手に入らない場所で代替として作られたニセモノは、どんなにインチキくさく」ても「その場所では本物になるのかもしれない」という発想が生まれるというのは、腑に落ちた。

ヒュームの虚構論は、想像力の暴走を牽制しながらも、プラグマティズムの観点から個を共同体に接着させる糊として想像力を評価した。高山の二作品にも他者に寄り添う「私」の想像力がある。愛する者を飲み込んだ蛇を送られても無意味だと一蹴せず、「夫の一部が絶えずその体をめぐっているものとして蛇と共に生活をする」一風変わった家族や、偏見や異文化がしばしば障壁となる外国人の視点を通じて、人間が「本物」だと信頼できる何かを言葉で掴まえようとしているのである。
如何様 / 高山羽根子
如何様
  • 著者:高山羽根子
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 装丁:単行本(152ページ)
  • 発売日:2019-12-06
  • ISBN-10:4022516593
  • ISBN-13:978-4022516596
内容紹介:
敗戦後、戦地から復員した画家・平泉貫一は、出征前と同じ人物なのか。似ても似つかぬ姿で帰ってきたものの、時をおかずして男は失踪してしまう。兵役中に嫁いだ妻、調査の依頼主、妾、画廊主、軍部の関係者たち―何人もの証言からあぶり出される真偽のねじれ。調査を依頼された私がたどり着いたのは、貫一が贋作を得意としていたという事実だった。

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