書評

『本心』(文藝春秋)

  • 2021/06/19
本心 / 平野 啓一郎
本心
  • 著者:平野 啓一郎
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(449ページ)
  • 発売日:2021-05-26
  • ISBN-10:4163913734
  • ISBN-13:978-4163913735
内容紹介:
『マチネの終わりに』『ある男』に続く平野啓一郎最新作。母の死の真実を追う一人の男の姿を通して愛と幸福を問う現代文学の最高峰。

『本心』は“恋愛小説”として読めるか?

恋愛小説を「恋」と「愛」との二つに分けて考えた場合、古典文学に描かれてきたのは、圧倒的に「恋」の方が多い。平野啓一郎自身、互いが惹かれ合う男女の「恋」の顛末の方が「展開を辿りやすい」と認めている。具体的には、日常的に継続している関係が中心となる「愛」を描こうとすると、「ストーリーに起伏をつけることは難しく、情熱的な場面も描きにくい」という。[1] 平野の初期作品『一月物語』は、数多の西欧近代小説に描かれてきた完結型の「個人」を体現する主人公が激しい「「恋愛(ラッヴ)」をする自分」に救いを求め、情熱をかけようとする物語である(同、一二九頁)。『マチネの終わりに』でもやはり男女が互いを求めあう「恋」がプロットを推進させている。しかしながら、『本心』には、恋愛小説と呼ぶにふさわしい主人公、石川朔也の激しい「恋」は描かれない。ただ、彼の母への思慕と、母の死後ルームシェアする三好彩花への淡い想いが静かに読者の胸に迫ってくる。

このように平野による恋愛小説の軌跡をたどると浮かび上がるのは、三島由紀夫が関心を寄せるようになる仏教の唯識思想である。最晩年の三島作品『豊穣の海』の第一巻『春の雪』は、たしかに短期間で燃え上がる松枝清顕と綾倉聡子の恋が性愛に発展する恋愛ロマンスである。だが、『春の雪』や第二巻の『奔馬』が仏教思想と無関係であるように読めても、第三巻『暁の寺』に至っては大きなシフトが見られると平野は指摘する。[2] また佐伯彰一によれば、一巻ごとに「魂こそ(中略)時間をのりこえ得るという思念」というパターンがくり返される『豊穣の海』は、「個人単位の、個の完結を大前提とし、立て前とする西欧型の近代小説」への「果敢な挑戦状」である。[3]「恋愛(ラッヴ)」のアンチテーゼとしての唯識が描かれた本作は、三島へのオマージュであるように思われる。

「――母を作って欲しいんです」。[4] 近未来を舞台とした本作は、母を喪った朔也が、彼女を仮想現実に“生き返らせる”ために、AIを駆使した「ヴァーチャル・フィギュア」(VF)の製作を企業に依頼する場面から始まる。「愛」には、恋愛以外に、兄弟愛、師弟愛、そして親子愛などがあるが、いずれも「愛していることをアピールし続けないでも、互いの存在そのものが、既にして、一緒にい続ける必然」がある(『私とは何か』、一三八頁)。VF製作を依頼する朔也には、母子家庭で慈しんで育ててくれた最愛の母と――かたちは変わっても――「一緒に居続け」ようとする意思がある。また彼は「死ぬまで低賃金労働者層に固定化され」ていた母がなぜ「自由死」(安楽死)を望んでいたのか理解すべく、過去を知ろうとする(『本心』、四六頁)。

本作は、“死”という根源的な問題にも迫っているが、母の“生”の痕跡を辿る主人公の「本当の母」探しの物語でもある。しかし、「本当の母」の真実を掴もうとする朔也が発見するのは生前の母の「複数の人格」、つまり「分人」であり、平野がこれまで疑問に付してきた「本当の自分」探しの問い直しにもなっている。母の「対人関係毎の人格の差異を、口調や発言内容、やりとりの頻度」(同、五三頁)といったデータ集積の結果であるVFの〈母〉はいわば「分人」が可視化されたものである。近代小説の「個人」が唯一無二の恋愛相手を求める傾向があるなら、本作は複数の「分人」の愛を探究する。分人は「本音を語り合い、相手の言動に心を動かされ、考え込んだり、人生を変える決断を下」し(『私とは何か』、六六頁)、その過程で愛を見つける。

自己像を「個人」に還元することの弊害として、一個の肉体という「輪郭」に自分を「閉じ込め」てしまう閉塞感が挙げられる(『本心』、二一二頁)。かつてセックスワーカーだった三好は、数々の屈辱的な体験だけでなく、一面的なアイデンティティーに回収されることの苦しみや「自分の人生が、結局、何でもなかった」と虚無に帰することを恐れている。『ある男』の城戸章良は在日韓国人だが弁護士で比較的自由度が高く、『決壊』の沢野崇はコミュニケーション力が優れている。他方、朔也は自分が有利になるよう立ち回ることができず、かつて売春を理由に退学処分を受けた女子学生のために抗議運動を続け、高校中退になった。彼の無器用な他己愛は、遠隔で依頼者の手足となって動く“リアル・アバター”という職業選択にも表れている。感謝されることもあるが、支配欲に駆られた依頼者に「自分を内から乗っ取られてしま」ったと感じるほど尊厳を踏みにじられることもある。そんなとき、あえて別のことを考えながら「自分の体を抜け出して、意識だけの存在にな」る。そして、三好が経験したセックスワークの辛い過去に思いを馳せるのだ(同、一九三〜四頁)。だからこそ、朔也は三好との「恋」(性愛)を望まない。

彼は仮想空間に束の間の安息を求める三好の唯識的ヴィジョンに深く共感する。ヘッドセットを装着して三○○億年という宇宙の時間スケールのなかで「死後も消滅しない」未来を体感する。朔也も試すこのアプリ《縁起Engi》の世界では、「本当の自分」や肉体の「輪郭」はなく、自分が「元素レヴェルでは、この宇宙の一部であり、つまりは宇宙そのものになる」(三四〇頁)。「すべてのものは、それが物であれ、人間であれ、現象であれ、因と縁が関係しあうことで、たえず変化する。生じ、とどまり、変化し、滅する」――それが縁起である。[5] 朔也は母の死後、三好、そして助力者で恋敵でもあるイフィーらと出会い、分人愛を育み、その変化を受け入れる。彼が「僕自身がもう、あの時と同じではない」(同、四三四頁)という境地に達し、虚無から救われるとき、肉体を介さない愛に光があてられる。主人公の激しい恋が描かれないこの新しい“恋愛小説”は、読者をこのうえなく優しい気持ちにする。

[1] 平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書、二○一二年)、一三〇頁。
[2] 平野啓一郎「『豊穣の海』論(四)」『新潮』(新潮社、二〇二一年三月号)、一三三頁。
[3] 佐伯彰一「解説」、三島由紀夫『春の雪』(新潮文庫、二〇一九年)、四七一頁。
[4] 平野啓一郎『本心』(文藝春秋、二○二一年)、八頁。
[5] 宮崎哲弥『仏教論争――「縁起」から本質を問う』(ちくま新書、二〇一八年)。
本心 / 平野 啓一郎
本心
  • 著者:平野 啓一郎
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(449ページ)
  • 発売日:2021-05-26
  • ISBN-10:4163913734
  • ISBN-13:978-4163913735
内容紹介:
『マチネの終わりに』『ある男』に続く平野啓一郎最新作。母の死の真実を追う一人の男の姿を通して愛と幸福を問う現代文学の最高峰。

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