書評

『拳の文化史』(角川書店)

  • 2023/01/30
拳の文化史 / セップ・リンハルト
拳の文化史
  • 著者:セップ・リンハルト
  • 出版社:角川書店
  • 装丁:単行本(270ページ)
  • 発売日:1998-12-01
  • ISBN-10:4047021032
  • ISBN-13:978-4047021037
内容紹介:
ジャンケンを知らない日本人はいない。しかし、ジャンケン以外にいろいろな拳遊びがあったことは知られていない。江戸時代には、数拳・虫拳・虎拳・狐拳・藤八拳などのさまざまな拳遊びが大流… もっと読む
ジャンケンを知らない日本人はいない。しかし、ジャンケン以外にいろいろな拳遊びがあったことは知られていない。江戸時代には、数拳・虫拳・虎拳・狐拳・藤八拳などのさまざまな拳遊びが大流行した。本格的に勉強するために「拳道」まで成立した。拳をめぐる唄・芝居・錦絵・文学などを通して、拳遊びの中にひそむ風刺性、反ヒエラルキー的性格を指摘し、江戸庶民のメンタリティをさぐる。

ジャンケンの歴史から解く日本社会

日本の空手や中国拳法の文化史と思った。なんせ扱われているのが虫拳や虎拳や狐拳なのだ。香港のカンフー映画には猫拳(猫の型の拳法)や酔拳(酔っぱらいの型)が出てくるから当然だろう。しかし、ちがって、拳といってもジャンケン、ケン玉、野球ケンの拳なのだ。

ジャンケンの歴史をウィーンの日本学の大先生が調べてどうする、もっとほかにやることはあるんじゃないか、と誰でも考える。

私は、そうは思わない。三十年以上も前に日本研究を始めて以来、私は能を一度も見たことのない日本人にはたくさん会ったが、ジャンケンを一度も打ったことのない日本人にはまだ会ったことがない。それを考えると、たとえば能よりもジャンケンのほうが、日本文化の根本的な要素として解釈され得るのではないか。

能よりジャンケンと言うのである。聞かせてもらおうじゃないか。

拳が、日本の文化史上に大々的に登場するのは江戸の中期で、中国から長崎に入り、全国に広まる。広まった先は遊廓で、酔客たちが事前の遊びの一つとして興じた。といってもジャンケンじゃないし、野球拳はまだない。現在でも時おりテレビの正月番組なんかで江戸の伝統的ゲームとしてカケ声をかけながら手のしぐさで勝負する“東八拳”というのを映すが、あれの原型。

二人でやる。かけ声とともに、それぞれ三とか六とかの数をいい、かつ、手を突き出して指で数を示す。足したのに合った方が勝ちで、どっちにも合わないと引き分け。この時、数を中国語で言うのがオシャレ。こうした数を当てるのを数拳という。

場所は遊廓で、客たちは酔っているから、これだけではすまない。賭けになっていて、「虎皮五枚、豹皮五枚、猩猩緋五人、羅紗五本または美女五人」(『拳会角力図会』文化六年)などなどが賭けられている。トラとヒョウの皮が急に五枚も調うと思えないから、「または美女」が実際だろう。

テレビで時どきやっては批判され、こりずにまたやる男女脱衣合戦の野球拳のルーツは古く、二百年前長崎の遊廓に溯るのである。ただし、ジャンケンはずっと後。

遊廓で数拳が大流行すると、数の賭け一般を拳というようになり、ワイングラスにヒモで結びつけた小玉(当初はきっとコルクの栓だったにちがいない)をカップの中に何回に一度入れることができるかを競う南蛮渡りのゲームが拳玉と呼ばれる。これには賭けはなく、負けるとペナルティとして酒杯を空ける。現在は子供の遊びのケン玉のルーツも、二百年前の遊廓に発しているのである。

なかなか肝心のジャンケンが出て来ないが、実は、そうとう新しいもので、ルーツはともかく、広がりはじめたのは大正になってから。どの子もやるようになったのは戦後で、ジャンケン一色に染まるのは昭和四十年以降というのである。私の育った信州の山村でも昭和二十年代にはジャンケン一色だったから、この説はマサカと思うが、読者諸賢の記憶ではどうだろう。

悪い大人が遊廓の畳の上で数拳を楽しんでいる時、路上の良い子たちは何に興じていたかというと、虫拳だった。

昆虫や爬虫類のことを日本では虫というが、ヘビとカエルとナメクジを競う。親指を立てるとカエル、人差し指はヘビ、小指がナメクジ。二人でどれかを出して、勝ち負けを競う。ヘビはカエルに、カエルはナメクジに、ナメクジはヘビに勝つというのがルールで、この三すくみは数拳の数当てとは原理的にちがう。

虫拳も中国から来たが、日本で独自の発展をとげ、虫の三すくみから庄屋、狩人、狐の三すくみへと変わる。江戸期の社会体制が織り込まれ、子供ごころにどれを出すかまようのであった。これを狐拳といい、明治になって紙メンコの隅に印刷され、子供界を席捲(せっけん)し、戦前いっぱい続いたという。

この紙メンコは、大正期に入り、石、紙、ハサミのしるしが付加されるようになり、やがて戦後になって、狐拳のしるしは少しずつ消えはじめ、昭和四十年を境にジャンケン一色になる。もちろん、メンコ以外でもグー・チョキ・パー一色化。

さて、著者は、これでどう能よりうまく日本を解釈するんだろうか。

ジャンケンの裏にある三竦(すく)みの思想は、日本社会における力の構造の一つのモデルを提供しているのである。日本では政治家と財界と官僚が三竦み関係をなしている……この三竦みを基礎にした社会モデルのほうが、『縦社会』とか『中間階層社会』などのモデルよりも、現在のネット社会を適切に説明できると思われる。


【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

拳の文化史 / セップ・リンハルト
拳の文化史
  • 著者:セップ・リンハルト
  • 出版社:角川書店
  • 装丁:単行本(270ページ)
  • 発売日:1998-12-01
  • ISBN-10:4047021032
  • ISBN-13:978-4047021037
内容紹介:
ジャンケンを知らない日本人はいない。しかし、ジャンケン以外にいろいろな拳遊びがあったことは知られていない。江戸時代には、数拳・虫拳・虎拳・狐拳・藤八拳などのさまざまな拳遊びが大流… もっと読む
ジャンケンを知らない日本人はいない。しかし、ジャンケン以外にいろいろな拳遊びがあったことは知られていない。江戸時代には、数拳・虫拳・虎拳・狐拳・藤八拳などのさまざまな拳遊びが大流行した。本格的に勉強するために「拳道」まで成立した。拳をめぐる唄・芝居・錦絵・文学などを通して、拳遊びの中にひそむ風刺性、反ヒエラルキー的性格を指摘し、江戸庶民のメンタリティをさぐる。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1999年1月10日

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