書評
『世紀末モスクワを行く』(PARCO出版)
庶民に取材し激動期を活写
取材の途中、モスクワに立ち寄り特派員の友人に会った。ゴルバチョフが登場する前で、もう十年以上も昔になる(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。日本ではまだ社会主義を支持する文化人が多かった。友人から聞いた現地の情報は新鮮で、このままではソ連は必ず崩壊するだろうと思った。そこで友人に、見聞した事実を一冊にまとめてみたらどうか、と勧めた。そのうちに……、と彼は返答したがそのままになってしまった。怠け癖が三分、あとの七分は変化に乏しかったせいだろう。あれからソ連が崩壊し、モスクワは激動のなかにある。そんな時代に特派員となった著者は幸運である。もちろん、運ばかりではこうした報告は生まれない。固定観念にとらわれない、強い好奇心を持ち合わせていなければできない仕事である。大きな政治ばかりでなく無数の瑣末(さまつ)なエピソード、ふつうの生活者たちの声をいかに丹念に拾うか、それに尽きる。マクドナルド、ロックコンサート、ファッションショー、テレビ、超能力者、豪邸、貧しい人の群れ……。
著者は「政治のシーンに登場する『顔』の変遷だけを伝えることに、常に物足りなさを感じていた」と述べているが、その通りだろう。特派員は数人の現地スタッフを雇っているにせよ、広大な国土をカヴァーすることなど、とても不可能なのだ。政治リーダーの顔を並べるだけ、は陣容からみて仕方ないところでもあった。著者の“定点観測”は一種の苦肉の策だが、工夫すればここまでやれるという証明でもある。
本書の素材は、「筑紫哲也ニュース23」の同名のコーナーで二年間、十一回にわたり放映されたものである。したがって、ああ、あの映像……、眼がギョロっとして愛嬌(あいきょう)のある特派員、と思い出す読者もいるだろう。他番組でも、映像メディアをプリント媒体にして保存する方法をもっと採用してもよいかもしれない。ただ映像の効果以上のものに仕上げるには、さらに努力を要する。
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