解説

『月の塵』(講談社)

  • 2023/09/01
月の塵 / 幸田 文
月の塵
  • 著者:幸田 文
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(374ページ)
  • 発売日:1997-05-14
  • ISBN-10:4062634880
  • ISBN-13:978-4062634885
内容紹介:
父露伴が重態の床で教えてくれたのは「母の座」というもの。家事雑用、浮世談義、自然への手引きに一生残るような教えをしてくれた父。胸に播いた古い種が発芽し、奔走した塔の再建、木や荒涼とした崩れへの思い入れ等、晩年の心境を、研ぎ澄した五感が映す心にしみる58篇。幸田文の息吹きを伝える随筆集。

五官の教え

幸田文の文業は断簡零墨にいたるまで、私にはしんとさせられ、はっとさせられ、ゆっくり物を考えさせられる「教えの箱」である。生活があわただしく、心浅く生きていることが情ない深夜、私は針箱を開いてチクチク布を縫って苛立つ心を静めることもあるが、幸田文という「教えの宝箱」をそっと取り出し、二、三行を読んで、瞑目することもある。

『月の塵』(講談社文庫)は幸田文の亡くなった後、それまで単行本に収められず篋底(きょうてい)に眠っていた随筆群で編まれた。そして幸田文に限って、残っていた物に福があった。この人は書きとばすことをしない。江戸の文人もそうである。だから彼らの書物には「拾葉」「拾遺」「手控」といった謙遜な題がついていても内容が濃い。いや父・露伴の「漫談」「雑話」の深さもこれと同じものがある。

『月の塵』とはじつにこの随筆集にふさわしい題だ。そういえば塵という言葉もあまり使われなくなった。私のこどものころ、「ちりとり」があり、「ちりがみ」が生活に生きていたが、それぞれ掃除機やティッシュペーパーにとって代わられた。樋口一葉などは「塵ほどの雲一つなき晴天」といったし、『平家物語』の序にある「ひとへに風の前の塵に同じ」もよく暗唱した。塵という一字が懐しいのである。美しい題だこと、と私はタイトルにとられた随筆を読んで、あっと驚いた。私の感傷とは予想外に、これは宇宙船アポロの月着陸から発想された小話なのである。さすが、文さん、彼女は好奇心旺盛で、新しい事象に打てば響くように反応する人であった。

本書は、読む人が自由に、おのが心を、それこそ中空に冴えざえとかかる月の光に照らすように読めばいいものである。それでは私が解説の役を果たせないので、気づいたことを二つだけ述べる。

一つは、やはり父・露伴の影の濃さであろう。露伴の言葉は、娘・文を通すとき、「昇華」され、「蒸溜」された感じで伝わってくる。しかし決して「美化」ではない。

「本当のことをいわれたときには、素直に、仰せの通りといえばいい。恥かしいと思ったのなら、それもそのままお恥かしゅうといえばよい」という言葉。「五年、台所にいたのは、弱くはない」という言葉。「旅は自分の心ざまによるものだ」という言葉。どれもどすんと心に響きはしまいか。これらは父との長年の暮しの中で、耳をとぎすました文が、聞きとった言葉なのである。

最近、『幸田文 対話』(岩波書店)という本が出た(本書評執筆時期は1997年頃)。「あたくし、そばにいながら、お父さま、嫌いだったんです。あんまり好きじゃなかった」という正直な言葉を聞いて納得するものがあった。読者にとっては、台所仕事から掃除、障子の張り方、恋の出入りまで世話し仕込んでくれる物知りの父を持ってうらやましい、と思うけれど、教わる方にとってはいかばかり重荷でうっとうしかったことか。

これと対照的なのは森鷗外で、彼の子どもたちは、いかに父がやさしくて子煩悩で猫可愛がりだったかを回想している。事実、この対話集でも、鷗外の次女小堀杏奴は「でもわたし、露伴の奥さんになるのは恐くていやよ」といい、幸田文は「娘だってそうよ」と相槌を打っているのである。

では露伴は家事、挙措、礼儀にうるさい厳父にすぎないのか、というとそうではあるまい。そこばかり強調されるけれど、露伴という人は幼い娘とよく遊んだ人である。日本では珍しく、実地の環境教育を行なった父親だと思う。

本書でそれを文自身は「自然への手引」といい、「これもまた私の一生の根になっている教え」だという。たとえば「ずぼんぼ」(『こんなこと』所収)という随筆には、「あなたのお庭に木が何本」という遊びを父としたことが出てくる。文が「十本」と答えると露伴は「けちな庭だな」という。「その木は?」「梅の木」「その木は」「松の木」「その木は」「桜」……十本答えおわると、品評採点がはじまり、花の木ばかりでも青いものばかりでも「いやな庭だ」といわれる。弟は幼いものの強味で「百本」と答え、窮して庭の池の回りを回り、ついに「がまの木」「鮒の木」とやったという。そういう弟を父はどんなにかわいかっただろう、とも文は書いている。この弟は早く亡くなってしまった。

からすが裸木に止っている。鳴く。ただ口をあけて鳴くだけではない。首をかしげたり、あちこち見たりしつつ鳴く。あいつは何を考えて、文句いっているのかな。そうだ、きいてやろうじゃないか。おい、かあ公、おまえなにいってるんだ、カーア、といった調子で父は木の下で鳴真似をする。時によるとからすは頭をさげて、父のほうを見る。その交歓の面白さを知ると、子供は自分もカアと鳴く。父はもっとやれもっとやれという。私はカアカア鳴く。

露伴と文はカラスや百舌(もず)や鳶に、目高や鮒に、牛や馬や木や花にも語りかけた。露伴は文が二十歳すぎてから泳いでいる鰯を見たことがない、というと、「これはいけない」と、わざわざ伊豆の三津浜へつれていった。船を出してもらうと、畳一枚くらいの小さなグループになって泳いでいる鰯がいた。「見ろよ、これが鰯なんだ」。鰯がどんなに群れたがり、傷つきやすく、弱い魚かということを見せてくれた。

よく見ろ、と露伴はいう。格物致知である。これは現在の学校教育からほとんど失なわれたものである。フナは肺呼吸かエラ呼吸か、タンポポの花びらは何枚あるか、子どもたちは教科書で教わり、テストに出るから、答えを暗記する。それでもニワトリに足を四本描いたりする子どもが増えている。

父はまた雨風や月や雲も、私へ近々と結んでくれ、石ころや溝川のうす氷にも引合わせてくれた。春のまひるの畑へ行き、十分に日を吸って、暖気を含んだその黒い土を手にとり、ほうこのぬくぬくしているのが、おてんとう様のおつかいさんだ、土はおつかいさんと上機嫌でおはなししているのだ、だからそうらごらん、さらさらとたのしがっているだろ、という。土の機嫌を私は触感で知るのだが、これらの遊びには一種特別な、いいようのない喜びがあった。

「せまく細く生きてきた」というけれど、こうして実地教育と観察によって五官を鍛えあげたのが幸田文なのである。

その幼いときの「自然への手引」は老齢期にいたり、草木、山容への愛となって迸り、『木』『崩れ』の名作となって結実する。

そのもう一つの結実が、斑鳩(いかるが)法輪寺三重塔の復元再建への幸田文の獅子奮迅の働きである。

このことを生前、幸田文はほとんど記していない。頓挫した塔の再建事業を助けることが作家の「売名」ととられやすいことを文はよく知っていた。事実、そうした声もなくはなかった。それでも「塔」と聞けば、文の体はそちらへ向くようになっていた。なぜか。

当り前のことだが、塔は木でできているからである。そして、父露伴は子どもの文に、さんざ、木からつくるもののこと、塔の枓栱(ときょう)の組みという建築の面白さを話した。幸田家の墓所は池上本門寺の塔の下にあった。そして露伴随一の名作とされ、一番に読まれているのは『五重塔』、あののっそり十兵衛の物語である。

モデルとなった塔は谷中にあり、寛政三(一七九一)年の築である。欅で、九輪まで含め高さ十四丈、さっぱりした素木(しらき)の塔であった。江戸の度重なる大火にも、彰義隊の上野戦争にも、そして震災・戦災にも耐えて残ったが、昭和三十二年七月六日、放火心中によって焼失した。

文は『五重塔』を十四、五歳ではじめて読んだ。話の筋に感動があったこと、「たわいないやつはすぐ死んで、すぐ生きかえってしまう」「自分ひとり石を抱いて沈むつもりなら、それでいいか」といった露伴日常の叱言がぱらぱら出てくるのがなんともいえない手応えであった。

しかし露伴の生前は「はばかりというか遠慮というか」があって、谷中の塔を見に行ったことはなかった。戦後、初めて見たのは木枯しの夕方、「塔も老いたな」と受けとった。

そして昭和三十二年の夏の明け方の火事である。

まわりには何も燃(も)え代(しろ)になるものがなくて、塔だけがひとり丈高く残りの火をまとい、時にぱっと燃え、またちろちろと消え渋っていた。ふと気がついたら、あたりのお石塔がみんな顔をもたげているように見え、戒名の彫りがくっきりよめ、石は熱くなっていた。

私の手元には新聞記事が集っている。心中したのは目白の洋裁店ノーブルの店員長部達五郎さん(四十八)と若い針子の山口和枝さん(二十一)で、不倫の果てに女性が妊娠したのを苦にして塔に火を放ったのである。男性が持っていた裁縫用の指ぬきから、身元が判明した。このとき文さんは談話を寄せている。

四時ごろ知らない方からの電話で五重塔が燃えている事を知りました。最後の姿を見たい気持と、見たくない気持が相なかばしましたが夢中で浴衣姿のまゝかけつけてしまった。父がよく‟中途半端な姿が一番ムゴイ”といっていましたが、はからずもとんだ五重塔の姿を見てしまいました。(東京新聞、七月六日)

父の愛した塔がない。「なくなってみると、そこの空には穴があきましたな」というくやみの言葉が心にしみた。ここまで読めば、幸田文が法輪寺の再建にしゃかりきになった事がしっかりと納得できた。

塔には縁が深いのである。

目にした谷中の塔のいたましい姿、それを業として負うた。親が文字で紙の上に建てた印税を私は食べてきた。これも業であった。文は谷中の塔の冥福を祈りながら斑鳩に通い、ついには住み込んだ。「お父さんもずいぶんしつこくしたな」と思った『五重塔』のその十兵衛のしつこい頑(かたくな)さと、塔を建てるさいのしつこい困難さが重なった。「つまり清からぬ思いや、見苦しいことを重ねて、塔は建ててあるのだった」

故西岡常一棟梁のもとで、この仕事に携った大工さんに文さんのことを聞いたことがある。

「ああ、毎日、前掛けかけて境内を掃いているから、寺の大黒さんかと思った」といった。下働きもしながら仕事場で和服の袖を振り「せっかちにわめいた」姿が浮ぶ。ようやく完成して「建った、ということがひしひしと淋しい」とぺたんと座った姿も髣髴とする。

この辺は涙を拭わずには読めない。私は谷中の塔のあと近くに住んでいる。桜若葉の中に穴のあいた空を見上げ再建の夢を追うが、憧れがあきらめになりかけている。あきらめてなど良いものか、と思い直す。幸田文の五官の力は、そしてそれを全面的に解放しての行動の力は、たえずくじけ、たえず安易に流れそうな私を打つ。

【この解説が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
本の中の人物に憧れ、本を読んで世界を旅する。心弱く落ち込むときも、本のおかげで立ち直った…。家事が片付き、子どもたちが寝静まると、私の時間。至福の時を過ごした本の書評を編む。

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月の塵 / 幸田 文
月の塵
  • 著者:幸田 文
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(374ページ)
  • 発売日:1997-05-14
  • ISBN-10:4062634880
  • ISBN-13:978-4062634885
内容紹介:
父露伴が重態の床で教えてくれたのは「母の座」というもの。家事雑用、浮世談義、自然への手引きに一生残るような教えをしてくれた父。胸に播いた古い種が発芽し、奔走した塔の再建、木や荒涼とした崩れへの思い入れ等、晩年の心境を、研ぎ澄した五感が映す心にしみる58篇。幸田文の息吹きを伝える随筆集。

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