放射能発見の歓喜と現代の恐怖
科学の研究にはのちにとんでもない結果を招くものが少なくないが、その最たるものは放射能だろう。不幸を生み出す規模がちがう。あんな研究をしてくれなければこんなことにならなかったのに、と現代の私たちは思う。だが、マリ・キュリーと夫がラジウムの抽出に成功したとき、世界はどれほど熱狂したことか。X線やラジウムの発見、相対性理論や原子核の存在の証明、核分裂の発見など、十九世紀末から二十世紀前半にかけては、原子力の時代に突入するための科学的知見が次々と公表された時期だった。その流れに、二〇一一年生まれの被曝した町から来た少年・光が、時間を超えてキュリーの娘と出会うという物語が織り込まれる。片目の猫エルヴィンを案内人として。
難解な科学の歴史が主題なのに、するっと頭に入ってくるのは、マンガで書かれているためだけではない。当時の人々を包んだ歓喜と、現代の私たちが直面する恐怖という、相反する感情にどう折り合いをつけるのかという切迫した思いが伝わってくるからだ。
一巻ではマリ・キュリーの、二巻では核分裂を発見し「原爆の母」と呼ばれたリーゼ・マイトナーの人生が主に綴られるが、個人の才能と情熱が玉突きのように、いや核融合のように社会の動きと連鎖して歴史のうねりが生まれるさまに息を呑む。これが私たちのたどってきた道程なのだと。
扱われている時間の幅が長く、文字だけでこの内容をこの紙幅で表現するのは不可能に近いだろう。絵・写真・図などのビジュアル要素を言葉と組み合わせ、コマ割りで象徴的に表して時間を圧縮するというマンガ表現に特有の効果がうまく活かされている。
専門化が進んで視野狭窄におちいりがちな今の時代、ジャンルにとらわれていると物事の本質を見失う。マンガを使ってその境界を軽々と飛び越えるさまが新鮮だ。