後書き

『世界の「住所」の物語:通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史』(原書房)

  • 2020/10/15
世界の「住所」の物語:通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史 / ディアドラ・マスク
世界の「住所」の物語:通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史
  • 著者:ディアドラ・マスク
  • 翻訳:神谷 栞里
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2020-09-19
  • ISBN-10:4562057912
  • ISBN-13:978-4562057917
内容紹介:
住所のないインドのスラムから、ステイタスを求めて買われるマンハッタンのアドレスまで、住所にまつわる社会と人々の歴史を描く。
突然ですが、「住所」とはなんでしょうか?
住んでいるところ?
はい、住所とは、あなたが「どこに住んでいるかがわかる」ためのものです。
では「どこに住んでいるかがわかる」ことは、人間にとってどんな意味があるのでしょうか。人間にどんなことをもたらしたのでしょうか。
住所のない古代ローマの移動方法から、人の居住地の特定による近代国家のはじまり、デジタル式住所が変革を起こそうとしている現在まで、都市と人間の秘められた物語を描いたとてもユニークな本、『世界の「住所」の物語』が刊行されました。「住所」について徹底的に考えた本書の訳者あとがきを特別公開します。

すべての「住所」には物語がある

先日ある海外動画を見ていると、初対面の同業者たちが自己紹介していた。全員がまずは名乗ってから、「アメリカの○○州△△在住です」「カナダの○○に住んで△年です」といった具合に住んでいる場所を言った。
もちろん詳細な住所ではないが、自分という人間を説明する上で、名前の次に居住地を口にする人たちを見て、住所がアイデンティティになりうるという認識を新たにした(これが異業種同士なら、名前の次に職業を出すかもしれないが、いずれにしても職業や住所は自己紹介の要素として上位に入るだろう)。

しかし、住所がアイデンティティと見なされるまでには長い道のりがあった。
本書では、住所がなくても五感を頼りに移動していた人々から、政府に家屋番号を押しつけられて抵抗する人々、住所がなくては不便だと訴える人々など、時代の変遷とともに変化する人々の住所に対する意識が描かれていて非常に興味深い。
著者も好奇心旺盛だが、本書に登場する「住所(通り)に携わる人々」は好奇心どころの騒ぎではない、凄まじい情熱を住所に注いでいる。どの人も超がつくほど個性的だが、特に印象深かった人を少し振り返りたい。

まずは第4章に登場したパティ・ライル・コリンズ。メインの登場人物ではないが、配達不能郵便物課で一日に1000通もの宛先不明郵便物を解読した住所のエキスパートだ。
「解読の天才」「達人の域」とまで評されたコリンズは探偵なみの能力を誇り、記憶力だけではなく調査力もずば抜けていた。
たとえば、「イギリス在住の女性から、15年前にマサチューセッツ州に移住して行方知らずになった兄へ宛てた手紙」の解明に取りかかったコリンズは、受取人が織工というヒントだけを頼りに、同州にある織工場をしらみつぶしに調べ、イギリス人男性を雇っている工場を探し当てたという。
当時の識字率は低く、ありえない綴りや存在しない地名が宛先に書かれたものも多かったようだが、彼女の務めるオフィスの宛先解読率は87パーセントだったらしい。現代のGoogleを駆使しても、それほどの解読率をはじき出せるだろうか。

次は、日本の通りに首を傾げたロラン・バルトとバリー・シェルトン。ふたりは、日本人が地図を描く時に建物などの目印を描いてから、それらを線(道)で結んでいく手順に魅せられ、シェルトンは「西洋人は線で対象を見るが、日本人はブロック(目印)で対象を見る」という結論に至った。
それが普通だと思っていた日本人としては、それほど特筆すべきことだろうかと逆に首を傾げたくなったが、自分の道案内の仕方をふと顧みて、彼の結論が腑に落ちた。
たしかに自分は「まっすぐ進んで、右手にコンビニが見えたら左折して、少し先の公園を過ぎたあたり」といった説明をする。通りの名称は言わず(訊かれても答えられない)、目印だけで伝えようとするなんて、まるで古代ローマ人と同じではないか。
そう考えると、バルトとシェルトンは目印をやたらと強調する日本式の道案内にさぞかし困惑しただろう。住所という概念は共通しているのに、着眼点が国によって異なるのが面白い。

最後は、マーティン・ルーサー・キングと、彼を敬愛し、自身の育ったMLK通りを荒廃したストリートで終わらせまいと日々奮闘するメルヴィン・ホワイト。メルヴィンのような活動家の多くは、キング牧師の名がつく通りは単に彼を称えるためのものではないと語る。
それは、志半ばで暗殺されたキング牧師の使命、すなわちアメリカにおける人種的・経済的平等を果たすという使命を思い起こさせるためのものだ。通りの名称が、目指すべき社会のリマインダーになっているわけである。
キング牧師の名がつく「道」は、公民権運動を続けるための「道」でもあるのだろう。キング牧師が描いた夢は、通りに彼の名をつけなくてもいい世界なのかもしれない。

住所があれば、救急サービスを利用したり身元を証明したりできる。
住所は利便性を向上させただけではなく、そこに住む者のアイデンティティとなるほどにその地位も向上させた。
その一方で、その地の悲惨な過去を思い出させたり、いまだ達成できていない平等を思い起こさせたりするものでもある。
著者は最後に、18世紀の人々が「世界中に住所をつけることが、中立的な行為ではないことを理解した」と述べている。その頃から200年以上経った現在も、住所(通りの名称)の決定が議論を呼ぶ国、地域が数多くある。
その決定が誰にとっても中立的な行為となる日が、いつかはやってくるのだろうか。

[書き手]神谷栞里(翻訳家)
世界の「住所」の物語:通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史 / ディアドラ・マスク
世界の「住所」の物語:通りに刻まれた起源・政治・人種・階層の歴史
  • 著者:ディアドラ・マスク
  • 翻訳:神谷 栞里
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2020-09-19
  • ISBN-10:4562057912
  • ISBN-13:978-4562057917
内容紹介:
住所のないインドのスラムから、ステイタスを求めて買われるマンハッタンのアドレスまで、住所にまつわる社会と人々の歴史を描く。

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