書評
『敵の顔―憎悪と戦争の心理学』(柏書房)
醜悪な図版に潜む戦争心理
本書の帯に「古今東西の《敵の顔》に隠されたレトリックを読み解くことからはじまる、無類のヴィジュアル・サイコロジー」とあるように、著者が蒐集(しゅうしゅう)した多数の図版が入っている。読者には、それらの図版を素直に眺めるところから入っていただくのがよい。じつはこうした図版の一部がロンドンの戦争博物館で売られていて、ある奇妙な感動に揺すられたので拙著「黒船の世紀」の挿絵に使ってみたことがある。「敵の顔」は不可思議なものばかりである。日本人が猿や獰猛なゴリラの姿になり、またメガネと出っ歯の戯画にされるのは人種偏見のせいかと思っていたが、どうもそればかりではないようだ。ナチス・ドイツや旧ソ連の共産主義者に対しても、アメリカ人は「敵の顔」をこのうえもなく憎々しげでグロテスクに描いた。逆にドイツやイタリアがアメリカを、あるいはロシアがイスラエルを、アメリカがヴェトナムを、中国がアメリカを、それぞれ描いていたのであって、国情やイデオロギーが異なっても「敵の顔」は万国共通の特徴をもつ。
「唇はへの字に曲がり、眼は狂ったように遠くを見据えている。肉は歪み、化け物か獣の姿をなしている」のである。それが単なるプロパガンダを超え、人類がつくった究極の芸術表現へ向かうのであれば、「敵意のイマジネーション」の発生源を探究せずにはおれない。著者は戦争の本質を、武器や作戦の世界に限定せずに人間の心理の奥底に見つけようとする。
著者の考察は必ずしも平易とはいえないが、図版に対応する豊富なレトリックは味わい深いから楽しめる。なお訳者あとがきで、日本人が描く「敵の顔」が見当たらないのは変ではないか、と指摘している点はたしかに気にかかる。これはどう解釈したらよいのだろう。日本人の起こした戦争に「敵の顔」が不在であったとすれば、その一点だけで充分に新しい日本文化論が展開できそうである。
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