書評
『テレビ的教養: 一億総博知化への系譜』(岩波書店)
テレビ文化は「下流」なのか
『テレビ的教養』を読む
活字文化人は、テレビにだけ顔を出すテレビ文化人をひそかに「下流」文化人とみなしているふしがある。テレビ文化人の知名度や実入りへのやっかみであろうが、テレビと教養は無縁とおもわれているからである。その淵源をさぐれば、昭和三十年代初期に、テレビは低俗番組ばかりで、こんなものが茶の間に氾濫しては「一億総白痴化」になるといった評論家大宅壮一の言明にゆきつく。たしかにテレビ番組といえば、気散じくらいにしかみられない。テレビを教養と結びつける発想は少ない。しかし、本書(佐藤卓己『テレビ的教養――一億総博知化への系譜』NTT出版、二〇〇八年)は、テレビが登場した時代には、「白痴化」論の一方で、テレビ番組と教養との関連についての熱い議論がおこなわれていたことを丁寧に発掘している。テレビとの接触は農村にいる人や上級学校にいけない人の「博知化」になっているとさえいわれていたのである。
本書の著者も、中学生時代に『中国古典文学大系』をむさぼるように読んだのは、日本テレビ開局二十周年記念番組の『水滸伝』をみたことがきっかけだったという。いわれてみれば、テレビをつうじての教養にはあなどれないところがある。テレビ前世代は、講談社の絵本や雑誌から入って、それをステップに、難しい小説や哲学書を繙(ひもと)くにいたったものだが、テレビ世代にとっては、アニメや大河ドラマが講談社の絵本や雑誌の役目を果たしているからである。
テレビ的教養は最良の教養とはいえないにしても、情報弱者のための教養のセーフティネットになる可能性を十分にもっているという。そして、こうしたテレビ的教養がよりよい輿論(意見)をうみだすための公共圏への入場券になることの可能性が強調されている。「爆笑問題」太田光くんがおもいだされ、本書の指摘がなるほどとおもえてくる。テレビ視聴者だけでなく関係者自体がテレビを二流のメディアとして蔑み、業界人や電波芸者などと斜(はす)にかまえたり、居直ったりすることが多いが、本書は、「おいおい、テレビについて考えちがいをしていないかい」と、肩をたたいてくれているのである。
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