解説

『落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎』(中央公論新社)

  • 2022/05/11
落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎 / 中村 彰彦
落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎
  • 著者:中村 彰彦
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(430ページ)
  • 発売日:2008-01-01
  • ISBN-10:4122049601
  • ISBN-13:978-4122049604
内容紹介:
幕末の会津藩に、「日本一の学生」と呼ばれたサムライがいた。公用方として京で活躍する秋月悌次郎は、薩摩と結び長州排除に成功するも、直後、謎の左遷に遭う…。激動の時代を誠実に生きた文官を描く歴史長篇。新田次郎文学賞受賞作。

歴史小説という教養

『落花は枝に還らずとも』を読む

過去の時代を題材にした小説については、歴史小説といういいかたもあれば、時代小説といういいかたもある。この区別はなにをもってなされるのだろうか。

私見によれば、歴史小説とは、歴史的事実を十分に踏まえながらも、作家の想像力を駆使して、逝きし世の人々を生き生きと再現し、時代の空気や匂いを掬いあげている小説である。時代小説のほうは、歴史小説ほど史実に忠実ではない。忠実でないどころか、早死にした歴史上の人物を長きにわたって活躍させたり、男前でもない歴史上の人物を男前にしたりするのは、朝飯前である。いや、だからこそ時代小説は人気があるともいえる。

そう、時代小説は昔を描いているようで、実は現代人の感覚になじむように物語がつくられているのである。登場人物の悲しみや喜びは現代人の悲しみや喜びとほとんど同じところに引き寄せられている。そのぶんとっつきやすいが、あくまで現代感覚をもとにしての歴史の再構成である。だから時代小説から歴史を追体験するのは、邪道であろう。現代に生きる人とは根本的なところでちがう昔日の世の人々の価値意識や感覚、そして時代の匂いや空気を知るには、やはり歴史小説こそがふさわしい。

しかし、歴史小説も一枚岩ではない。あくまで相対的な区別だが、史実に忠実な歴史小説と作家の想像力がまさった歴史小説に区別される。前者を「小説的歴史」とすれば、後者は「歴史的小説」と呼ぶことができよう。後者(歴史的小説)を延長した極に時代小説があり、前者(小説的歴史)を延長した極に歴史学者による歴史書があることになる。

こうした歴史小説の範疇分けでいえば、本書(中村彰彦『落花は枝に還らずとも』上下巻、中公文庫、二〇〇八年)は前者の小説的歴史に近い作品であろう。尊王攘夷運動、公武合体論、朝幕と諸藩それぞれの探りあいと激突のマクロな政治状況がしっかりおさえられているからである。だからこそ、本書の要所で、歴史の「もしも」が挿入されていてもなんら違和感をもつことはないし、著者の「もしも」のシナリオに説得力があることになる。

それは、たとえばつぎのようである。朝幕がそれぞれに朝令暮改を繰り返し、収拾がつかない事態を打開するために、文久三年(一八六三)に、諸侯の中からえりすぐった参与を朝議にあずからせるという参与制度が実現をみるにいたった。一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)や松平容保(まつだいらかたもり)などの賢侯が参与になったことがある。しかし、ひょんなことから、せっかくの参与会議がすぐに消滅してしまった。勤皇派と佐幕派がいりみだれての多くの血を流した幕末史もこの参与会議が持続していたら、「合議制による新政体の発足」につながり、「幕末史はかなり違う姿になっていたであろう」と、著者はいう。合点がいく「もしも」のシナリオである。

もちろん著者は、「「歴史上のもしも」は、論じても詮ないこと」とことわってはいる。しかし、歴史にはいくつかの変曲点がある。変曲点がどこにあり、そこでどうすればよかったかを、あと知恵で考えることは十分に意味がある。そこにこそ歴史を知る醍醐味がある。歴史のイフによって、過去をやり直すことはできなく、そのかぎり詮ないことであるが、歴史から学び(失敗から学び)、未来にいかすためには重要な思考法である。であるから、本書の中に折々にはさまれた著者のイフは、歴史への知的好奇心を大いに喚起させてくれるが、本書が時代小説でないことはもちろん、歴史的小説というよりも小説的歴史であればこそ、説得力に富んだ歴史の「もしも」となっている。

本書を小説的歴史というのは、細部の描写においても綿密周匝(しゅうそう)だからである。いくらかの例を示しておこう。

江戸時代に早駕籠という陸路の特急駕籠があったことはよく知られている。時代ものドラマでも江戸から早駕籠で国元に気息奄々状態で到着する武士がでてくるが、本書はこの早駕籠についてもくわしい説明がある。駕籠かきだけが大変なのではない。乗り手も大変である。間断ない振動で乗り手の五臓六腑が狂わされ、また疲れて眠りこんだりしたりしたら、頰がゆるんで舌を嚙んでしまったりする。だから、腹には晒しをきつくしめ、口には手拭いなどをつよく押しこんでいるという。このような描写によって風雲急をつげる幕末の雰囲気がリアルになる。長旅の必須アイテム(手拭い、道中記、大小の風呂敷包みなど)や飢えをしのぐための軽くて日持ちのする鰹節の持参などの叙述によっても、読者はいやがうえにも幕末世界に引きつけられる。

主人公秋月悌次郎(あきづきていじろう)がかよった昌平坂学問所の授業風景についてはこうかかれている。授業はほとんどなく、寮生たちの「自学自習」がほとんどだった、と。当時の塾事情についての正確な叙述である。

そもそも教師が毎時間授業をおこなうというのは、明治になってから、西欧の学校をモデルにすることによって生じたことである。幕末から明治はじめの多くの塾では、「会読」(生徒が寄りあつまって原書を読みあう)や(原書の)「自学自習」がほとんどだった。福澤諭吉(一八三五~一九〇一)も適塾での教育を「自身自力の研究」(『福翁自伝』)だった、としている。著者のいう「自学自習」や福澤のいう「自身自力の研究」という自己教育は、日本社会の伝統的教育観によっている。これについて教育史学者中内敏夫の知見を合わせ鏡にして敷衍しておきたい。

中内は、「教育」に関連する言葉を、『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』などの辞書に遡って調べた。明治前に教育ということばはほとんどみあたらない、教育を意味することばで発見されるのは、「教」(をしへ、ケウ)と「学」(まなぶ)である、という。しかし、「教」がのっていることは少なく、その代理として「学」が圧倒的に使われているというのである(『近代日本教育思想史』国土社、一九七三年)。

大人や教師によるつぎの世代の人格への働きかけが、大人や教師の「教(える)」という行為によってではなく、なにものかを「学(ぶ)」という学習者の行為によってなりたつと考えてきたということである。日本人の伝統的教育観は「教授法的発想」ではなく、「学習法的発想」ということになる。こうした教育観はいまでも職人の技能の伝達において、技能を教えるよりも「盗む」(学びとる)ものというところに残っている。昌平坂学問所や私塾などでの「自学自習」や「自身自力の研究」の背後には、このような日本人の伝統的教育観が控えていたのだとおもわれる。

ここまで読んでいただいた読者のなかには、もしかすると本書をお堅い歴史小説のようにおもうかもしれないが、本書を一読すればわかるように、細部に目配りを行き届かせながら、雄大なスケールで描かれた幕末歴史小説の白眉である。なによりも主人公を会津藩士秋月悌次郎にしたところに本書の成功がある。

秋月悌次郎は、「新選組」の命名者でもある最後の会津藩主松平容保につかえた武士。中士(中流武士)の出ながら秀才だったところから、昌平坂学問所に留学。遊学十余年ののち、会津藩公用方(諸藩の情報を集める外交官)として公武融和のため東奔西走する。しかし、時代は幕末。毀誉褒貶と有為転変きわまりない運命を生きぬく。会津藩立役者といわれる間もなく、蝦夷地に左遷。会津藩降伏後、囚われの身となる。赦免後、高等中学校教授となる。第五高等中学校の同僚教授小泉八雲(一八五〇~一九〇四)に、「秋月先生のそばにゆけば、ファイヤー・サイドに行った気持がする」「神のような人」と評された。秋月こそ幕末を一身に体現した人物である。

秋月は、苛立ったり、興奮したときには、懐にいれているなめし皮の紐をなでることにしたそうだが、秋月が節目に書きしるす七言絶句も、なめし皮の紐の役目をはたしていた。左遷や敗戦に処していく凜とした品格によって七言絶句が書かれ、詠まれ、七言絶句を書き、詠むことで品格に厚みがましていった。蝦夷地の舎利(斜里)に左遷されたときの、若松城落城のときの、そして「行くに輿なく帰るに家なし」ではじまる「北越潜行の詩」……。いずれも悲しくも美しい。著者によって再現された秋月悌次郎の生涯に、学問(教養)の力と輝きをみることができるのである。

幕末武士は昨日佐幕、今日勤皇と翻弄されたが、現代人も昨日勝ち組だった者が、今日は敗け組。そんな無常かつ非情な時代を生きぬかねばならない。そんな時代を泰然と生きぬくにはなにが必要なのか……そんなことも示唆してくれる威風堂々の正統派歴史小説である。
落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎 / 中村 彰彦
落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎
  • 著者:中村 彰彦
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(430ページ)
  • 発売日:2008-01-01
  • ISBN-10:4122049601
  • ISBN-13:978-4122049604
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幕末の会津藩に、「日本一の学生」と呼ばれたサムライがいた。公用方として京で活躍する秋月悌次郎は、薩摩と結び長州排除に成功するも、直後、謎の左遷に遭う…。激動の時代を誠実に生きた文官を描く歴史長篇。新田次郎文学賞受賞作。

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