書評
『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』(中央公論新社)
したたかで無垢な女学生文化
『女学校と女学生』を読む
高等女学校(戦前女子の実質的最高学府)生に代表される女学生が社会のなかで一定の厚みを持ち始める明治末あたりから、女学生ネタが新聞や雑誌をにぎわせ続けた。
女学校進学のために上京したが、虚栄にそまり、お金ほしさに富豪の妾となった女学生。誘惑され、身ごもり、捨てられる女学生などの「堕落女学生」論。女学生の読書好きも芸術への憧れも浅くて軽薄な代物だと非難する。
しかし、この種の女学生論は、おじさんがおじさんのために論じたものである。だから語り、消費するものたちの欲望と不安を表出しているにすぎない、と著者は喝破する。当の女学生のほうは、おじさん的女学生論をすりぬけ、ときにはそれを利用しながら、独自の世界を作り続けてきた。
本書(稲垣恭子『女学校と女学生――教養・たしなみ・モダン文化』中公新書、二〇〇七年)は、そうした、したたかでもあり、無垢でもある女学生文化を彼女たちの手紙や日記、エス(女同士の友愛)などを通じて、拾い上げ、再現する。彼女たちの間に独特のサブカルチャーが形成されていたからこそ、卒業後もお互いをファーストネームで呼び合う仲となり、女学校という「思い出共同体」がいつまでも続いたのだ、という。
女学生によるニックネームや隠語などにも触れていて思わず笑ってしまう。「ナフタリン」は「虫の好かない教師」という按配である。しかし、おじさんたちは女学生文化ののぞき見を楽しんでばかりもいられない。
学問と読書に偏った男の教養が実は狭く田舎臭いものであることなど、男インテリへの鋭い棘が要所におかれている。「軽薄でもよくってよ」とでもいいたげな、お茶目でちょっぴりコケットリーな女学生像をよみがえらせ、ほろ甘さとほろ苦さを仕掛ける筆力がみごとである。
週刊東洋経済 2007年3月31日号
1895(明治28)年創刊の総合経済誌
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